提一燈。行暗夜。勿憂暗夜。只頼一燈。
“一燈を提げて暗夜を行く。暗夜を憂えることなかれ。只一燈を頼むのみ。” 佐藤一斎「言志晩録」十三条

2011年12月5日月曜日

石重し。故に動かず。根深し。故に抜けず。 ~大湫の二十二夜様の今後について~

111127

広報おおくて12月号(通算305号)用

石重し。故に動かず。根深し。故に抜けず。
~大湫の二十二夜様の今後について~

宗昌禅寺坐禅会世話人 渡邊 和隆

犬山市の明治村で毎日曜日に夏目漱石邸にいらしゃいます。


今年は文化祭の日の晩に開催されました。宿場修景の一環のおもだか屋の板塀完成の記念行事でした。市まちづくり担当課のご出席もいただき、文化祭に引き続いて、お茶の会の皆さんの呈茶ではじまり、毎回名古屋から薩摩琵琶伝承者の井村右水さんの琵琶弾奏、宿場の通りを竹灯籠が照らしました。ご尽力いただいた皆さん、ご参加いただいた皆さんに感謝申し上げます。



二十二夜様のお立ち待ちは、近在の地域でも大湫でも五十年ほど前までは行われていたのでしょうか。地域の年中行事の再生復活の試みとして二〇〇四年開宿四百年記念の前年のプレイベントがはじまりでした。宿場の風情に合わせた琵琶や抹茶、和服の婦人たち、
お立ち待ちの願掛けと地域の盛り上がりへの想いが重なり、宗昌寺に如意輪観音二体も寄進した江戸時代の女人講のごとく女性(その頃はこれが流行りでした)の力の集結で、おおくてを元気一杯に・・・そんな始まりから、今回第八回目を数えました。これまでの会場は、おもだか屋、丸森邸、宗昌寺、神田公民館、足又公民館、と特製の竹灯籠と薩摩琵琶の音が、大湫中の夜に趣きを加えています。
俊典先生の百話では、旧暦の二月と七月の二十二夜様の夜に二十二夜待ち講の主尊仏如意輪様の前に集まってお立ち待ちがなされていたようです。・・・戦争中は(「里の秋」の歌さながら)出征した兄弟父息子の無事の帰還を願掛け、また、座ってはいけないとの母の言いつけを守って、遅い月の出を往来を歩き続けて待った思い出もまだまだ残ってます。
月の出を待ちながら、皆が(それぞれの家の中でなく)外で寄り集まって、あれこれと井戸端談義のように話の花が咲いていたのでしょうか。一時期は映写会が小学校のグランドで開かれたようです。(これは夏祭りの前身だったかもしれません) 二十二夜様は、皆の娯楽の場だったのだと思います。皆が寄り集う場は、地域の娯楽の場でもあったのですね。
婦人会も、江戸期の女将さんたちの女人講から引き継がれながらも、女性の会として、解散されてしまいましたが、お寺の御詠歌や観音講、お休み処を盛りたてる皆さん、さまざまなサークル活動で、ご婦人たちの寄り集う場は引き継がれているのでしょうか。
宿場の経営が地域の一体感を否応にもたらした江戸期、農村また山林経営が生活と一体だった明治から昭和にかけても、地域が皆の娯楽を提供しながら、大家族のような(それゆえ大変だったとも思いますが)村だったのでしょうか? お蚕さんや味噌づくりも田んぼや山林の管理と同じく共同作業でしたね。
今、個人や各家庭の個別の娯楽を越えて、
地域の人が共有する娯楽の場は、あまり必要とされてないのかもしれませんが、寄り集うことも必要なくなってきてるのでしょうか?
親のみならず、子どもたちも朝から晩までよそで過ごして、夜の寝食を各家庭で過ごすだけの暮らしになっていないかと反省してます。釜戸の学校で過ごす子どもたちと、その学校を取り巻く地域を、瑞浪市の、または東濃の広がりの中でとらえて暮らすようになってきています。それだからこそ、すぐ足元の自分たちの生活環境である地域が、通過駅のようになってはならないですし、心身を育む気持いいものにするためにも、近くに住み暮らす者同士こそ、寄り集う必要は増しているようにも思います。
表題の言葉は、岩村藩出身の大儒佐藤一斎翁著「言志晩録」の言葉です(二二二条)。
「人は当に自重を知るべし」と続きますが、
自分のたちの重さ=価値=与えられた使命・天命の重大さを自覚することが必要なのだと心から思います。それは、大杉が身をもって示してくれている、時間と歴史の重みや、千三百年の根の深さへの畏敬の念でもありますし、四百年以上の先人からの営みの価値を、
この土地に住み暮らす自分たちの今の生活やあり方に見出せないかということです。
週末には、また平日でも、中山道を、大湫の宿場や里山を訪れる人たちが、お休み処やおもだか屋を遠くから訪ねて下さいます。何を求めて、交通の便がいいとも思えないのにわざわざこの地を訪ねてくるのか、そのことを改めて思いなおし、有難いと思うことができると、自分たちのこの土地への見方が変わってくると思います。
今年の薩摩琵琶で謳われた宝暦治水は薩摩人が木曽三川の分流事業に身命を捧げてくれたのでした。(十年前には、一斎さんは江戸(東京)の人だから岩村には関係ないと言われていたそうですが)岩村の一斎像は岩村に縁もゆかりもない人たちの厚志で建立され、一斎先生は岩村の偉人であるとともに日本人の誰もが敬愛しています。(恵那市では小学生も知っていることはまた素晴らしいことです。)
おらが村を日本や世界の中でみて、そこに貢献しうる何かを見いだせないでしょうか?
これは手前味噌ですが、開宿四百年を記念してその年始大寒からはじまった宗昌禅寺坐禅会も 先月で八十回を数えました。中断もありましたが毎月一回、町内だけでなく、市内や他市からもおいでいただきます。近隣地域に定期的にやっている坐禅会は多治見虎渓山とここしかありません。四百年以上の歴史ある開基保々宗昌さんの名のついたお寺が、近隣の青壮老の修養の場となっていることの意義はこれから価値が出てくると信じてます。
今月はいつもの第四土曜を変更して第三土曜の十二月十七日午後七時からです。
こちらも是非一度足をお運びください。

2011年9月11日日曜日

わたしの(好きな)言志四録 その103

110911

言志録 第103条




征、十が一に止(とどま)れば則ち井田(せいでん)なり。
経界、慢にせざれば則ち井田なり。
深く耕し易(おさ)め耨(くさぎ)れば則ち井田なり。
百姓(ひゃくせい)親睦すれば則ち井田なり。
何ぞ必ずしも方里九区に拘拘(くく)として、
然る後井田と為さんや。


(殷周時代の田制である)井田という税法は、
一里四方を9区に分ける形(8軒でそれを耕作し、中央の1区は年貢である)に
こだわってはならないという。
税の割合が定まり、みだりに上がらず、
区画の境界がぐらつかず、
しっかりと土地が活用され、
そこに生きる人々に争いがないことが重要であると。


3・11から半年。
何も変わらぬ現実。

そして
10年前に、アメリカで同時多発テロが起こった。(9・11)
そのことは、生業にするべく修行していた
炭焼きで夜の火の番をしていた時に、車のラジオで知った。
当時我が家にはテレビがなかった。

あれから10年か。

あの当時自分がめざしたのは、
土地を深く耕す暮らしだったと思う。

現実的には、生業としては、今も成り立たず、
変わったことは、5人から6人+1匹に家族が増えたこと、
サラリーマン生活になっていることだが、

心を深く耕すこと、人の暮らす集団の在り方の追求は、
今、10年たって、深化させてこれているとの自負はある。

あの前後でも、今でも、
実現すべきは、まさしく
「百姓親睦」
なのだと思う。

わたしの(好きな)言志四録 その102

110910

言志録 第102条




諺に云う、禍は下より起こると。
余謂う、是れ国を亡すの言なり。
人主をして誤りて之を信ぜしむ可からずと。
凡そ禍は皆上よりして起こる。
其の下より出ずる者と雖も、而も亦必ず致す所有り。
成湯之誥(こう)に曰く、
爾(なんじ)、万方(ばんぽう)の罪有るは予(わ)れ一人に在りと。
人主たる者は、当に此の言を監(かんが)みるべし。


国のトップのみならず、あらゆるリーダーにとって、
この殷王朝の湯王の勅語、「万方の罪有るは予れ一人に在り」は、
もって胆に銘ずるべき言葉である。
間違い、誤り、事故、災い、すべて原因があるとすれば、
それは上にいる者の方である。下に原因があったとすれば、
それも上がそれを助長しているか、そう仕向けているからであるという。

これは個々人についても金言である。
他に求めず、自らに原因を求め、自らからこそ変わるのだ。

わたしの(好きな)言志四録 その101

110909

言志録 第101条




或ひと疑う。
成王、周公の三監を征せしは、
社稷を重んじ人倫を軽んぜしに非ずやと。
余謂う、然らずと。
三叔、武庚を助けて以て叛けり。是は則ち文武に叛きしなり。
成王、周公たる者、文武の為に其の罪を討ぜずして、
故(ことさ)らに之を縦(ゆる)して以て其の悪に党(くみ)せんや。
即ち仍(な)お是れ人倫を重んぜしなり。


成王と周公が、叔父(周公にとっては弟)の三監(三叔)を討伐したことは、
古代中国の周王朝の初期の三監の乱
決して人倫にもとることではなく、
三叔は、父である文王や兄である武王に叛いたことになるので、
人倫を重んじた故にこそ、叔父たちを討ったのだと。

社稷=国家=領土争いであり、権力争いだが、
人倫を重んじるが為の争いだということか?

2011年9月8日木曜日

わたしの(好きな)言志四録 その100

110908

言志録 第100条




人君は社稷(しゃしょく)を以て重しと為す。
而れども人倫は殊に社稷より重し。
社稷は棄つ可し。
人倫は棄つ可からず。


君主は国家すなわち領地領民の為に奉仕すべき天命にそむくことはできない。
しかし、人倫すなわち人として踏み行うべき道を犠牲にしてまでも、
国家を擁護してはいけない。

人倫=五倫とは、「親・義・別・序・信」の五つで、
孟子の「教似人倫、父子有親、君臣有義、夫婦有別、長幼有序、朋友有信」から、
儒教における五つの基本的な人間関係を規律する五つの徳目であるという。

この五倫を蔑ろにする国家は存在に値しないし、君主の使命は、
この五倫が通用する国家のために奉仕することである。
国家の為に五倫が存在するというより、
五倫の為にこそ国家が存在するのだ。
逆ではない。

2011年9月7日水曜日

わたしの(好きな)言志四録 その99

110907

言志録 第99条




性は同じゅうして質は異なり。
質の異なるは、教の由って設くる所なり。
性の同じきは、教の由って立つ所なり。


「教」ということがここで登場する。

性質としては、それぞれ同じように氣の結実した個人個人である。
天道を教えること、教育が成り立つ基盤である。

なぜ教育が必要なのか?

氣質というが、
氣の集まり結実した体質には、それぞれ違いがある。
その違いを発揮するために、教育が必要とされる。

天道を教わることで、自己の使命に氣づくのだ。

わたしの(好きな)言志四録 その98

110906

言志録 第98条




氣に自然の形有り。
結んで体質を成す。体質は乃ち氣の聚(あつま)れるなり。
氣は人人異なり。故に体質も亦人人同じからず。
諸(もろもろ)其の思惟・運動・言談・作為する所、
各(おのおの)其の氣の稟(う)くる所に従って之を発す。
余静にして之を察するに、
小は則ち字画・工芸より、大は則ち事業・功名まで、
其の迹(あと)皆其の氣の結ぶ所の如くして、之が形を為す。
人の少長童稚の面貌よりして、而して漸く以て長ず。
既に其の長ずるや、凡そ迹を外に発する者は、一氣を推して之を条達すること、
体軀の長大にして已まざるが如きなり。
故に字画・工芸若しくは其の結構する所の堂室・園池を観るも、
亦以て其の人の氣象如何を想見す可し。


自然のあらゆる形あるものは、
「氣」の集まり結んだ結果であるという。
まず個人個人の体質そのものが、その「氣」の違いによって異なる。
その個人個人の身体の外に延長して、身体の外に発し結実するあらゆるものが、
個々人の「氣」の形結んだもの=「氣象」であることに想い致すべしと。

字はその人を表し、文は人なり、大なるものから小なる物まで、
「氣」の現れと捉えることで、
自らが、如何なる氣を集め、受け、形作って、外に発するべきかを
反省するべきだ。

2011年9月5日月曜日

わたしの(好きな)言志四録 その97

110905

言志録 第97条




目を挙ぐれば百物皆来処有り。
軀殻の父母に出ずるも、亦来処なり。
心に至りては、則ち来処何(いず)くにか在る。
余曰く、軀殻は是れ地氣の精英にして、父母に由って之を聚(あつ)む。
心は則ち天なり。
軀殻成って天焉(これ)に寓し、天寓して知覚生じ、天離れて知覚泯(ほろ)びぬ。
心の来所は乃ち太虚是れのみ。


一斎先生の言われること、
肉体は地より、そして、心は天より来る。

身体を形作る原子・分子は、地球を形作るもの、
ひいては宇宙空間にただよう星のかけら、塵と同じもの。
それらが形を為して、父母より戴いたものと信ずることはできる。
その無機物、有機物の塊に、どこから「心」が宿るのか?

この身に天が宿るということが、どれだけ人を勇氣づけることか。
まさしく、天が我をして我ならしむるのだ(第10条)。

心は天である。空より出でて我が身に宿る。

まさしく天道をただしく発揮するために、
地道をただしく全うできるようにしなければならない。

この天道、地道、相俟つ教養人にならなければ、
吾が使命を全うすることができないことに気付きたい。

2011年9月4日日曜日

わたしの(好きな)言志四録 その96


110904

言志録 第96条




地をして能く天に承(う)けしむる者は、
天之を使(せ)しむるなり。
身をして能く心に順(したが)わしむる者は、
心之を使しむるなり。
一なり。


心の在り方に応じて身体がその機能を果たし動く。(第95条
心の命ずるままに、体がそれを実現していく。
これは稀なことではないのか。

誰もが、自身を思うままに、意のままに実現したいと思いながら、
そうできないことに苦しんでいる。

心を自身を通して現実化すること。
天が、地をして、天意の実現をはかること。
これは同じことを言っていると一斎先生は言う。

我が心が、天意をそのまま、我が身に伝えることができるか、
それとも、我意の実現にとらわれ、我が身もろとも苦中にあえぐか。

そもそも、
自身が天意を実現する為に、この地にあることに思い至れば(第10条)、
我が心をして、天意そのままに、
自身において発揮することが当然求められている。

「敬」(第94条)とは、そのための心身の在り方の工夫であり技術である。
地道を生きることができれば、我意にとらわれる必要はない。
おまかせの安心立命の境地がある。

2011年9月3日土曜日

わたしの(好きな)言志四録 その95



110903

言志録 第95条




耳・目・口・鼻・四肢・百骸、各其の職を守りて以て心に聴く。
是れ地の天に順(したが)うなり。


地道とは、天に随うの道。
天意を地上で実現する道。
それはちょうど身体の各部、各感覚器、すべてが、その機能を果たしていること。
しかも、各々勝手にではなく、心の在り方に応じて、働いていること。

裏を返せば、心次第で、身体・肉体の在り方が変わる。
心が、天意をどう受け止めるか、どう受け入れているかで、
地上での人の在り方が違ってくる。
どのような世の中を実現できるかが問われている。

2011年9月2日金曜日

わたしの(好きな)言志四録 その94



110902

言志録 第94条




人は須らく地道を守るべし。
地道は敬に在り。順にして天に承くるのみ。


素直に天命に従うこと。
天があり、その天に生かされていることに
感謝できること。

「地道」に対して「天道」がある。
地道を育むのが「養育」、天道を育むのが「教育」
両者相まって、「教養」という、と師匠に教わる。

今の世、知識人は多いが、教養人は少ない。

「敬」とは、他をうやまい、自らつつしむことという。

母なる道、地道は、「敬」によって育まれる在り方。
父なる道、天道は、「誠」を通して伝えられる。

天道を真に生きるための基礎が、地道にある。

己れを存在させている、大いなる天の配剤を敬い、
その天に活かされている、己れを慎み、大切に育むこと。
それが、使命に生きるための大前提。

わたしの(好きな)言志四録 その93






110901

言志録 第93条




布置宜しきを得て、而も安俳を仮らざる者は山川(さんせん)なり。


第92条で花は無理強いされて咲くのでなく、
時機を得て、遅すぎず早すぎず、
それはまた、やむを得ず、開くと、
自然の時の流れの摂理を説かれた。

同様に、自然の地形とは、
(火山活動や気象条件の歴史を刻みながら)
その配置やバランスを、そこから はずしようがないほど、
そこから ずらしようがないほど、絶妙に保たれていると云う。

大自然のことわり、歴史の流れ、動きには、
理不尽はない。
無尽蔵の真理を感受できるか、
そこから学ぶことができるか、
が問われている。

2011年9月1日木曜日

わたしの(好きな)言志四録 その92



110831

言志録 第92条




已むを得ざるに薄(せま)りて、而(しか)る後に諸(これ)を外に発する者は、
花なり。


第10条とともに(「我れ既に天の物なれば、必ず天の役あり」)、
私の大好きな言葉である。
(両文とも、西郷南州手抄にとりあげられてないところも、
自分なりにその理由を考える材料を与えてくれているところで感慨を覚える。
勿論、言志四録は後半のものほど、よく練れている文が多いとも感ずるので、
同じ内容をより簡潔に語る文が、のちにあらわれるかもしれないが)

花は、無理矢理咲かせるものでない、というこの言葉が、
どれだけ人を励ますか。


2011年8月31日水曜日

わたしの(好きな)言志四録 その91



110830

言志録 第91条




人の月を看るは、皆徒(いらず)らに看るなり。
須らく此に於て宇宙窮(きわま)り無きの概(がい)を想うべし。
〔乙亥中秋月下に録す〕


一斎先生44歳の年の旧暦8月15日とのこと。

月見は、ただ漠然と見るだけでなく、
感傷的にもなり、花鳥風月を愛でる日本人ならではの情景である。
それは「もののあはれ」でもあるだろうが、
一斎先生は、そこに大自然の真理を感受すべし、と言われている。
「太上は天を師と」(第2条)するのである。

また、それは真理を窮めることの果てし無さ、
宇宙同様の茫漠さを思い知ることにもなる。
それは、月面に降り立っても、月の砂を研究しても、
極め尽せるものではないのではないだろうか。

余分だが、
山本夏彦氏
「何用あって月世界へ?/月は眺めるものである。」
を思い出す。
たとえ月面に降り立っても、
大いなる宇宙真理への敬意と、己の無力さの自覚が必要と思う。

わたしの(好きな)言志四録 その90



110829


言志録 第90条




已(すで)に死するの物は、方(まさ)に生くるの用を為し、
既に過ぐるの事は、将に来らんとするの鑒(かん)を為す。


死んで死なず、生きるを生かし、
過ぎて去らず、未来に現われる。

わたしの(好きな)言志四録 その89



110828

言志録 第89条




当今の毀誉(きよ)は懼(おそ)るるに足らず。
後世の毀誉は懼る可し。
一身の得喪は慮るに足らず。
子孫の得喪は慮る可し。



大所高所から見ることができること、
着眼のレベルの高さとは、
今ここでの、この自分の身からの発想ではないのだ。

今を貫く、過去から将来への、時の連なりから見えること。
自身の心体をバトンランナーにする、先祖から末代までの命の連なりに想いを致すこと。

判断の基準が違うのだ。

わたしの(好きな)言志四録 その88



110827

言志録 第88条




著眼(ちゃくがん)高ければ、則ち理を見て岐せず。


時に、一斎先生は、このように簡便に言い切ってしまわれる。

物の道理が見えているので、別れ道のように見えていても、
最終的なゴールが一緒であると見抜くこともできる。
迷わずに済むのは当然だが、別の道を進んでいるようでも、
目指すところが同じかどうかこそが問題なのだ。

それがわかるためにも、
目線の高さが問われる。
どこまで高いレベルの視野を手に入れることができるかが、
その人の人生の修行・修養の勝負である。

わたしの(好きな)言志四録 その87



110826

言志録 第87条




托孤の任に当たる者は、孤主年長ずるに迨(およ)べば、
則ち当に早く権を君に還し、以て自ら退避すべし。
乃ち能く君臣両(ふた)つながら全(まった)からん。
伊尹(いいん)曰く、「臣、寵利を以て成功に居ること罔(な)かれ」と。
是れ、阿衡が実践の言にして、万世大臣の亀鑑なり。


第86条の有徳の大臣の鑑が、
殷の湯王に仕えた伊尹であるという。
「君臣両つながら全からん」
君主も、家臣も、そして人民も、
各々の天命を、使命を、全うできることの価値を思う。

わたしの(好きな)言志四録 その86



110825

言志録 第86条




大臣の権を弄ぶの風は、多く幼主よりして起る。
権一たび下に移れば、復た収む可からず。
主、年既に長ずれども、仍(な)お虚器を擁し、
沿襲して風を成せば、則ち患、後昆に遺(のこ)る。
但だ大臣其の人を得れば、則ち独り此の患無きのみ。


よほど正しい道の行われている国で、
大臣たる天命に忠実な家臣に恵まれていなければ
一度、政権を手にした大臣が、
成人した君主に政権を譲渡することは、
人情からは考えにくい。
しかし、
天意にかなう政権であれば、
それを支える有徳の大臣がでるはずである。

わたしの(好きな)言志四録 その85



110824

言志録 第85条




邦、道有れば、則ち君は大臣と権を譲る。
権は徳に在りて力に在らず。
邦、道無ければ、則ち君は大臣と権を争う。
権は力に在りて徳に在らず。
権、徳に在れば、則ち権、上に離れず。
権、力に在れば、則ち権、遂に下に帰す。
故に政(まつりごと)を為すには唯だ徳礼を以てするを之れ尚(とう)としと為す。


分かりやすい対比で、
ここでは、君に在るべき権が、臣にあることの非を、
政権が、力による場合には、徳=道にもとるものであると説く。
これは裏返すと、
徳=道にもとづかない政治は、その政権を力で争わざるを得ないことになる。
政権が転覆する時には、それ相応の必然があるということか。

わたしの(好きな)言志四録 その84



110823

言志録 第84条




下情は下事と同じからず、
人に君たる者、下情には通ぜざる可からず。
下事には則ち必ずしも通ぜず。


それぞれの立場・地位に応じた、特殊な技能・技術、ノウハウはある。
上に立つ者は、自ら、それらに通じている必要は必ずしもないが、
それぞれの想い、感情については、
心を配る必要がある。

人は「情」で動く現実を直視すべきと。

わたしの(好きな)言志四録 その83



110822

言志録 第83条




大臣の言を信ぜずして、左右の言を信じ、
男子の言を聴かずして、婦人の言を聴く。
庸主皆然り。


大臣や男子は、その人の地位・立場から、その責任において意見する。
左右の者・婦人の意見に、その覚悟のあることは少ない。
両者の意見を少なくとも聴く必要はあるし、信じることも必要だが、
前者を蔑ろにすることは、
主人たる自らの立場そのものを蔑ろにすることになるのではないか。
凡庸な君主はそうだというのだ。
自らの天から授かった命を蔑ろにする。
それは自らを支えてくれる立場の人もまた天命であることを知らず、
蔑ろにしてしまう。

2011年8月21日日曜日

わたしの(好きな)言志四録 その82



110821

言志録 第82条




人主、事毎に私(ひそか)に自ら令すれば、則ち威厳を少(か)き、
有司を歴(ふ)れば則ち人之を厳憚す。


通例は逆に考えるのではないか。
つまり、リーダーの言うことを、
その人の言うこと「なら」と従う時の権威は、そのリーダーにある。
集団の大きさを問わず、
リーダーの言=意思が、組織的に分担されて、
伝えられる時、いちいちそれがリーダーの意思かどうか不安になる。
人情とはそういうものだ。

実はちがうのではないか? そんなことではいけないのではないか。
どのレベルのリーダーであれ、そのリーダーの私的な思いではなく、
その意思が、誰が言っても、その通り伝わるレベル、
人ではない、天が命じているのだと、思わせる権威が伝わる集団。
その天のレベルの意思を、
人情に逆らわずに、伝えることが リーダーには必要だということか。

わたしの(好きな)言志四録 その81



110820

言志録 第81条




人君閨門の事、其の好たいは、
外人能く識って窃(ひそ)かに之を議す。
故に風俗を正し、教化を敦(あつ)くせんと欲するには、
必ず基(もとい)を此に起こす。


これ、いい世の中にしたい、
いい会社に、いい地域にしたいという思いを持つ時、
集団のトップならずとも、
常に心しておかねばならない。
「基」とは、自己であり、
自己の営む家庭生活である。
そこを正さずして、
先には進めないのだ。

2011年8月19日金曜日

わたしの(好きな)言志四録 その80



110819

言志録 第80条


邦を為(おさ)むるに手を下す処は、閫内(こんない)の治に在り。
淫靡(いんび)を禁じ、冗費を省くを、最も先務と為す。


ひとこと、

修身斉家治国平天下。

つまり、

自分自身を根本から治めることを通してしか、
世の為、人の為になることなど、
到底成し遂げられないということか。

わたしの(好きな)言志四録 その79


110818

言志録 第79条

聡明にして重厚、威厳にして謙沖。
人の上(かみ)たる者は当に此の如くなるべし。



聡明さが、軽さにならず、
威厳ある姿が、勿体ぶった態度にならない。

重々しさが、愚鈍に見えず、
謙虚なこだわりのなさが、重心のブレにならない。

四十にして惑わず、としても、
これは、容易でない仕業だ。

わたしの(好きな)言志四録 その78


110817

言志録 第78条


一氣息、一笑話も、皆楽なり。
一挙手、一投足も、皆礼なり。



それぞれの人が、
外に発するもの、ひとつひとつを「楽」として表出し、
身の所作の、ひとつひとつを「礼」として慎重に動作する。

日々の在り方が、すべて「礼楽同一の妙」につながり得ること。

わたしの(好きな)言志四録 その77


110816

言志録 第77条


古楽は亡びざる能わず。
楽は其れ何の世にか始まりし。果して聖人より前なる歟。
若し聖人に待つこと有って而して後作りしならんには、則ち其の人既に亡して、
而も其の作る所、安んぞ能く独り久遠を保せんや。
聖人の徳の精英、発して楽と為る。
乃ち之を管絃に被らせ、之を簫磬(しょうけい)に諧(ととの)え、
聴く者をして之に親炙するが如くならしむ。
則ち楽の感召にして、其の徳の此に寓するを以てなり。
今聖を去ること既に遠く、之を伝うる者其の人に非ず。
其の漸く差繆を致し、遂に以て亡ぶるも亦理勢の必然なり。
韶の斉に伝わる、孔子深く心に契(かな)えり。然れども恐らくは已に当時の全きに非じ。
但だ其の遺音尚お以て人を感ずるに足りしならんも、而も今亦遂に亡びたり。
凡そ天地間の事物、生者は皆死し、金鉄も亦滅す。
況や物に寓する者能く久遠を保せんや。
故に曰く古楽亡びざる能わずと。
但だ元声太和の天地人心に存する者に至りては、
則ち聖人より前なるも、聖人より後なるも、未だ嘗て始終有らず。
是れも亦知らざる可からざるなり。


古の聖人作の古楽は、
古楽器の調べに、聖人の徳を乗り移らせ、
その徳を 聴く人々に感化する。
しかし
天地間の事物同様に、その古楽も滅びる定めを免れることはできない。
永遠の物がないように、古楽も永遠のものではない。
これは真実である。

そして同時に、
天地や人の心の中(真心=魂)にある、
「元声太和」は、
始まりも終わりもないもの、
つまり、永遠に有り続けていることも、また、真実である。

天地間の事物にとらわれることなく、
そこにかわらずに有り続けるものを、
感受できることこそが大切であると。

わたしの(好きな)言志四録 その76


110815

言志録 第76条


人君当に士人をして常に射騎刀矟の技に遊ばしむべし。
蓋し其の進退、駆逐、坐作、撃刺、人の心身をして大に発揚する所有らしむ。
是れ但だ治に乱を忘れざるのみならず、
而も又政理に於て補い有り。


泰平の江戸期において、わけても文化爛熟の時期に於いて
武士に武芸を奨励する理由が、
心身を大いに発揚するところ=楽に求められているところ、
しかも、それら武芸が、礼を重んずるものであることにも着目したい。
礼楽合一がここでも希求されている。

2011年8月18日木曜日

わたしの(好きな)言志四録 その75


110814

言志録 第75条


人心は歓楽発揚の処無かる可からず。
故に王者の世に出ずる、必ず楽を作りて以て之を教え、人心をして寄する所有り、
楽しんで淫するに至らず、和して流るるに至らざらしむ。
風移り俗易りて、斯に邪慝無し。
当今伝うる所の雅俗の楽部は、並に風を移し俗を易うるの用無しと雖も、
而も士君子之を為すとも、亦不可なる無し。
坊間の詞曲の如きに至っては、多くは是れ淫哇巴兪欠(いんあいはゆ)、損有りて益無し。
但だ此を捨てては則ち都鄙の男女、寄せて以て歓楽発揚す可き所無し。
勢も亦之を繳停(しゃくてい)す可からず。
諸を病に譬うるに、発揚は表なり。抑鬱は裏なり。
表を撃てば則ち裏に入る、救う可からざるなり。
姑(しばら)く其の表を緩くして、以て内攻を防ぐに若かず。
此れ政を為す者の宜しく知るべき所なり。



歓楽発揚を必要とするのが人情である。
歓楽発揚を抑える、無くしてしまうと、
邪慝抑鬱になるのも人情である。
内攻する邪慝抑鬱は人心の病である。
人の世の、社会の病である。

楽は、人心を歓楽発揚するゆえ、
社会の病を未然に防ぐことができるという。
宮廷音楽でも巷間の戯れ歌でも楽は楽であるのだ。
人を懽欣鼓舞し暢発する楽の不可欠なこと(第72条)斯くの如し。

また、ここで、王者の楽を
「風を移し、俗を易える」ものとしていることは、
礼楽合一の妙をそこに見出そうとしているものとして注目しておきたい。

2011年8月13日土曜日

わたしの(好きな)言志四録 その74



110813

言志録 第74条




治安日に久しければ、楽時漸く多きは、勢(いきおい)然るなり。
勢の趨(おもむ)く所は即ち天なり。
士女聚(あつま)り懽(よろこ)びて、飲讌歌舞(いんえんかぶ)するが如き、在在に之れ有り。
固より得て禁止す可からず。
而るを乃ち強いて之を禁じなば、則ち人氣抑鬱して発洩する所無く、
必ず伏して邪慝と為り其の害殊に甚しからん。
政(まつりごと)を為す者但だ当に人情を斟酌して、之が操縦を為し、
之を禁不禁の間に置き、其れをして過甚に至たらざらしむべし。
是れも亦時に赴くの政然りと為す。


天下泰平、安逸をむさぼる世の中で、
楽しみに耽ることは、人のもつ氣の勢いからも
天意にかなうものであるという。
ただし、まつりごとを為す者が心得なければならないことは、
人情が、行き過ぎないようにすること。

折しも、文化文政の爛熟期の只中での言で、
世の中が勢いづいている時であったと思う、その時、
世情の勢いの上下を、どうコントロールするかが、
政治の時勢への対処の勘どころであるという。
同様に、第84条では、下情に通ぜざるべからずと。

自らの事を省みても、人情の勢いにまかせてやることの
後悔の多いこと身に覚えあり、
氣の勢いの上下に乗じて、
人情の振幅にどう対処するかが、修身のキモかもしれない。

わたしの(好きな)言志四録 その73



110812

言志録 第73条




古(いにしえ)は方相氏儺(だ)を為す。
熊皮(ゆうひ)を蒙り、黄金四目(もく)玄衣朱裳、
戈を執り盾を揚げ、百隷を帥(ひき)いて之を欧(う)つ。
郷人(きょうじん)群然として出でて観る。
蓋し礼を制する者深意有り。
伏陰愆陽(ふくいんげんよう)、結ばれて疫氣と為る。
之を駆除せんと欲するには、人の純陽の氣に資(と)るに若くは莫し。
方相氣を作(な)して率先し、百隷之に従う。状、恠物(かいぶつ)の若く然り。
闔郷(こうきょう)の老少、雑遝(ざっとう)して聚(あつま)り観て、且つ駭(おどろ)き且つ咲(わら)う。
是に於て陽氣四発し、疫氣自ら能く消散す。
乃ち闔郷の人心に至りても、亦因て以て懽然として和暢し、復た邪慝の内に伏鬱する無し。
蓋し其の戯に近き処、是れ其の妙用の在る所か。


古代中国周の時代から、鬼やらいの儀式は方相氏という役人が執り行ったていたという。
鬼に負けぬ怪物のような姿でもって、その地域の悪疫を追い払う儀礼は、
陰りのない、腹の底からの純粋な陽氣を発散させることで、
地域の人々の心の健全さを保つという。

そこには、伸びやかな歓喜を起こす「楽」を、
一定の厳粛さ、決まり事の中で心身を引き締める「礼」の中に現出させる、
礼楽が合一した妙味があり、これがこのような儀礼に込められた意味であるとのこと。

ここでとりわけ着目されているのは、
陽氣も陰気も、時と場所を選びながら、
陽は陽らしく、陰も陰らしく?あれということである。
陽と陰の調和・バランスが大切なのだ。
陰も鬱も邪も、それそのものが悪であるわけでなく、
伏せられたり、隠されたりすることで、
(同様に、陽も季節外れなら、悪影響を及ぼす)
悪影響を人心に及ぼす、ひいては、集団や社会に悪影響を及ぼす。


2011年8月11日木曜日

わたしの(好きな)言志四録 その72



110811

言志録 第72条


人をして懽欣鼓舞(かんきんこぶ)して
外に暢発(ちょうはつ)せしむる者は
楽(がく)なり。
人をして整粛収斂(せいしゅくしゅうれん)して
内に固守せしむる者は
礼なり。
人をして懽欣鼓舞の意を整粛収斂の中(うち)に寓せしむる者は、
礼楽合一の玅(みょう)なり。


現在の私の世話になっている会社では、
2つのことに取り組んでいる。

ひとつは「環境整備」で、整理・整頓・ルール化、
そしてコスト管理である。
内へ内へと意識を絞りこみながら、体質としては筋肉質をめざし、
最小コストでの最大売り上げを目指すあり方だ。

今一つは、会社のメンバーやお客様への「喜びや感動の提供」の徹底化である。
自らも楽しみ、感情を表に出しながら、
他をも同じ喜びの渦に巻き込もうとする、心躍るあり方だ。

「環境整備」に取り組みながら、意識は内にこもらず、
あくまでも、お客様や他のメンバーの「喜びや感動」を志向すること。
ザッポスという企業にインスパイアされて、

まさにわが社がめざしているのは、
「礼楽合一の玅」のあり方なのだった。

2011年8月10日水曜日

わたしの(好きな)言志四録 その71



110810

言志録 第71条




諫(いさめ)を聞く者は、固(も)と須らく虚懐なるべし。
諫を進むる者も亦須らく虚懐なるべし。


「素直で謙虚」。
人としての宝でこれにまさるものを探すのは難しいのではないか。

「虚心坦懐」胸にも腹にも、何の一物もない状態を維持することは、
その人の修養の達成度をはかる、よい目安になるだろう。
呻吟語にも「その心をむなしうして/天下の善を容れ」とある。(110418)

諫言は、世の為、(その)人の為に為されるものであるが、
それを進言する方にも受ける方にも、器が求められる。(第37条

苦い良薬を受け入れる度量、
私心なく、その人の身になって、世の為、人の為に、尽す思いが、
人を変え、世の中を変えるのだと思う。

2011年8月9日火曜日

わたしの(好きな)言志四録 その70



110809

言志録 第70条




凡そ人を諫(いさ)めんと欲するには、
唯だ一団の誠意、言に溢(あふ)るる有るのみ。
荀(いやし)くも一忿疾の心を挾(はさ)まば、諫めは決して入らじ。


いかりやにくしみの心は、私に属する、我欲のこころ。
人を諫めることも、己を諫めることも、同じこととすれば(第69条)、
怒りや憎しみの心は自他に同時に向けられている。

求められているのは、「誠」。
これは、自他ではない、天に仕える心。(第10条

人を変えるには、天命を自覚して、
自分も同時に変えるのでなければならない。

2011年8月8日月曜日

わたしの(好きな)言志四録 その69



110808

言志録 第69条




己れを治むると人を治むると、只だ是れ一套事(いちとうじ)のみ。
自ら欺くと人を欺くと、亦只だ是れ一套事のみ。


他人を変えるためには、自分自身を慎み変化させなければならない。
自分が変われば、周りも変わると。

他人の身になって考える、人を先に立てて、
自らは犠牲にして。。。。。

自利利他も同じだが、この自他一套事もまた、
このような自分が先か、周りが先かというような
因果を本当に云っているのだろうか?

己れも人も、互いに連関し合っている。
というか、同時に存在している。

己のあり方は、そのまま人のあり方だと感受できること。
公と私が、矛盾せず、同じ表れであるということ。

ただ、治まった状態、欺かれた状態がある。
善の状態がある、真の状態がある、

自分だけが善であり真である、
というようなことはあり得ないということか。

虚心に己れを見て、人のあり方、全体の状態を推し量り、
あるがままに人を見、全体を見ることで、己れのあり方を反省する。

2011年8月7日日曜日

わたしの(好きな)言志四録 その68

110807

言志録 第68条




情に循(したが)って情を制し、
欲を達して欲を遏(とど)む。
是れ礼の妙用なり。


情も欲も、人の社会生活において
ネガティブに語られることが多いものだが、
これのない人生は考えにくいし、
人の心に活力を与えるものでもあると思う。

その情をコントロールし、その欲を抑え込むのに、
実は、「礼」が用いられているという。

情の働きは、一定の方向性があるが、
その向きに沿って従うようにすることで、情を制御する。
欲は、一定の不足感を埋めよう埋めようとするので、
その欲を満たすことで、欲の働きを止める。

情けの流れを妨げず、欠乏・不足をそのままにせず埋めようとする。
しかも、
人間として、恥ずかしくないやりかたで、
人間としての尊厳を失わない形をとるのが、
「礼」の効用であると。

だから、五常(仁、義、礼、智、信)の一つである
「礼」は、ある行動、行為の形をとるのか。

人の心が、動く状態を保ちつつ、
ある礼節にかなった、行為・行動に導いていく。

後の条文で、一斎先生は、
「楽」との対比で「礼」を語り、
また、「礼楽合一」を語る。(第72条) 

人の生き暮らす社会の活力は、
そこで生き暮らす人ひとりびとりが作り出すものである。

今年の東北のまつりをテレビで見聞きし、
「まつり」の妙用を教えられる。

2011年8月6日土曜日

わたしの(好きな)言志四録 その67

110806

言志録 第67条




利は天下公共の物なれば、
何ぞ曾(かつ)て悪有らん。
但だ自ら之を専(もっぱら)にすれば、
則ち怨を取るの道たるのみ。


自利利他がわからない。

他に利益をもたらすために、まず自らを利することか、
自らの利益のために為したことが、他を利することにもなるということか、
他の利益の為に為すことが、自分の利益にもなるということか。

自も他もない
天下公共の為と思えば、
利が悪になることもない。

なぜ利が悪になるのか。
自も他もないところ=無であり空である、
天下公共の和の状態から遠ざかるからと考える。

怨とは、和の対極の状態。
和を蝕むこころ。

自他を越えた「和」のための
自らの天命を思う。



今日は偉大なる先行者をまた知ることができた佳き日
保育支援事業をされている会社の社長ブログ


わたしの(好きな)言志四録 その66

110805

言志録 第66条


爵禄を辞するは易く、小利に動かされざるは難し。


自らの、内なる弱さに気付かせられる言葉。

勿論、「爵禄」を与えられるほどの者にならなければ、
辞すること、そのものが成り立たない。
そのような、一廉の人物だからこそ、
大向こうに見得を切る、受けを狙うことは
失うものより、得るものが多い。
如何にも脇の甘さを見透かされるようで、
真に人物たるためには、一朝一夕では難しいのだなと
思わされる。

あらためて
大学/中庸にある「慎独」の修養が必要だ。

「天知る、地知る、我知る、人知る」ー後漢書(楊震伝)
他ならぬ、「自分」が知っているのだ。

自分の数多い弱さを誤魔化さず認め、
そのひとつひとつに向き合うしかない。

2011年8月4日木曜日

わたしの(好きな)言志四録 その65

110804

言志録 第65条




古今姦悪(かんあく)を為すの小人(しょうじん)は、皆才、人に過ぐ。
商辛の若きは、最も是れ非常の才子なり。
微、箕、比干の諸賢にして且つ親有りと雖も、其の心を格(ただ)す能わず。
又其の位を易(か)うる能わず。
終に以て其の身を斃して、而かも其の世を殄(た)つ。
是れ才の畏るべきなり。


殷の紂王の極悪非道を詳らかにできないが、
最後には、自分自身のみならず子孫までもが断絶してしまうほどに、
才の限りを尽くして、私利私欲の恣にしたリーダーがあったとのこと。

才智に於いては、如何に優れていても、
これは「小人」である、
世の為、人の為にならない、と。

全体の為に生かされない「才」の(第64条
無念を思う。彼の天命はどこにあったのか?

己の才能を正しく活かせるようになるには、
自らの心を格すこと=修養が不可欠なのだと思う。
周りの助けも大きいが、克己にまさるものはない。

自分の力でコントロールできないほどの、
才の畏れるべきこと、故に、謙虚な者に正しく活かされるべきことを
後の世の我々に伝えるため、
その材料となることが天命だったというか?

2011年8月3日水曜日

わたしの(好きな)言志四録 その64

110803

言志録 第64条




才は猶お剣(つるぎ)のごとし。
善く之を用うれば、則ち以て身を衛(まも)るに足り、
善く之を用いざれば、則ち以て身を殺すに足る。


昨年のアジア大会で優勝した日本代表サッカーの
本田選手がのちに振り返って言った言葉、
「自分の個人技は
チームを勝たせることのできる個人技のレベルになっていなかった」
だからチームプレー、フォア・ザ・チームに徹したと。

自らの技を見極めることのできるほどの技術のレベルとともに、
謙虚さを感じさせられ、彼の今後の成長への期待をも抱かせてくれる言葉。

全体に役立たない技は、チームを勝たせることができないし、
その技にこだわるような選手は必要とされないから、
チームに迷惑をかけるばかりか、身をも滅ばす。

自らの才能を 私してはならない。
第61条第62条はそう伝える。
才を善く用いるとは、全体への貢献のために自らの才能を提供すること。
それによって、全体が生かされるのみならず、
個の生かされる道も、それに尽きる。

わたしの(好きな)言志四録 その63

110802

言志録 第63条




凡そ事 吾が分の已むを得ざる者に於ては、
当に之を為して避けざるべし。
已むを得べくして已めずば、これ則ち我より事を生ぜん。


自分とは、自ずから自律的に有ると同時に、
分限をもち、全体に対する部分として存在だといわれる。
まさしく、部分でありながら、果たすべき役割があり、
それは、自然な自らの働きとしてもそうであるので、
無理に止めることができないし、全うするべきものである。

自らの役目、義務から逃れようとしてはいけない。
避けてはいけない。
これが、一人ひとりのかけがえのなさでもあり、
それが、天分である所以である。使命である所以である。

その逆も真なり。
部分が全体を冒すことになる。
他のかけがえなさを侵すことになる。

起こらなくてよい問題の元である。
己れの出るべきところ、控えるところを弁えることが必要だ。

2011年8月1日月曜日

わたしの(好きな)言志四録 その62

110801

言志録 第62条




凡そ人と語るには、須らく渠(かれ)をして其の長ずる所を説かしむべし。
我に於て益有り。


第61条で「語るべし」とされる「一芸の士」。
世の為、人の為に語るべし。

そして聞き手はどうか。
語り手が、自らの長所、
すなわちその人の使命、分限を語ることのできるように、
聞く態勢をもって臨むべし。
聞く耳を持って、その人が自らの天命を語ることができ、
その使命を全うできるように。

話し上手は聞き上手と言われるが、
決して人の愚痴を聞いてやることが益になるとは言えない。
それよりも「長ずる所」を語らせる、
その人の使命に気づかせること、そのことが、

世の為、人の為となる。

我にとっての益は言うに及ばず。

2011年7月31日日曜日

わたしの(好きな)言志四録 その61

110731

言志録 第61条




一芸の士は、皆語る可(べ)し。


なぜか。
世の為、人の為だからである。

皆 この世に生を受けている者はだれでも、
その人なりの役割を果たすために、今を生きている。(第10条)
その限り、皆、一芸の士である。

とすれば、自らの使命、志は、自分だけのものではない。
語るべし。
他の人のために。
自分が授かった能力の限り、世の為、人の為に尽すべし。

語る能力があり、
一芸に秀でた人物は、他の分野の一芸に秀でた者たちと、
同じ土俵で語り合い、理解し合えるということだ。
自らの一度きりの人生の使命に気づく時、
皆が一芸の士であるのだ。

だから、皆が語る能力があり、語るべきなのだ。
世の為、人の為に、自らの使命を全うする為に。

わたしの(好きな)言志四録 その60

110730

言志録 第60条




古人は経(けい)を読みて以て其の心を養い、
経を離れて以て其の志を弁ず。
則ち、独り経を読むを学と為すのみならず、
経を離るるも亦是れ学なり。




真に学ぶ時、「守・破・離」のプロセスを経る。

経=書物、古典を読むことで、養われる心の深さ、豊かさでもってこそ、
広く世事による実学を通して、書物にとらわれない学びを深めることができる。
師は、先人の遺した書物であり、人=師友であり、大自然=天である。(第2条
自分の生き方は、書物に書いてあるわけでないが、
書物を通して耕された心には、
世間や自然の教えに気づき、受けとめることができる。

豊かな心で感受する、天から与えられたわが命の貴さ。
そこから自らの使命、分限に気づき、それに生きようとする志を弁えることができると思う。

その志の灯りで照らしだされる時、
書物はそれまで見せることのなかった、
新たな姿を現してくれる。
さらに深く自らの心を養ってくれる。

これが
30代前半で出会った本書を、
再び、一斎先生が本書を書き記した年齢になって
読み直す理由でもあり、
意義でもあると思う。

2011年7月29日金曜日

わたしの(好きな)言志四録 その59

110729

言志録 第59条




凡そ遭(あ)う所の患難変故、屈辱讒謗(ざんぼう)、払逆(ふっぎゃく)の事は、
皆天の吾(わが)才を老せしむる所以にして、砥礪切嗟(しれいせっさ)の地に非ざるは莫し。
君子は当に之に処する所以を慮るべし。
徒らに之を免れんと欲するは不可なり。



人生の苦労や逆境を、自らの能力を成熟させるための切磋琢磨の修行の場と捉えること。
しかも天が与えた試練と受けとめること。

安岡師「六中観」にある通り、苦中楽有り の境地は、
同様に苦を避けようとする心ではなく、
苦の中に身を任せ、余分な力を抜いて、
「身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ」のように、
苦の力で、我が身を浮き上がらせるよう、
真正面に受けとめようとする覚悟の中にあるのだと思う。

なぜ才を老せしむか。自らの天命に役に立つだけの力を持つためである。
世の役に立って、楽天の域に自らを遊ばせるためである。

2011年7月28日木曜日

わたしの(好きな)言志四録 その58

110728

言志録 第58条




山岳に登り、川海を渉り、数十百里を走り、
時有ってか露宿して寝(い)ねず、時有ってか饑(う)うれども食(くら)わず、
寒けれども衣(き)ず、此は是れ多少実際の学問なり。
夫(か)の徒爾(とじ)として、明窓浄几(じょうき)、
香を焚き書を読むが若き、
恐らくは力を得るの処少なからむ。


学問の為の学問を戒めている。

身体的にも限界の状態を経験することの中で、
真に学ぶことができ、
力をつけることができるとは、
まさしく、「身につく」という身体的経験のことを言っていると思う。

40代でこのことを述べる時、
これまでの経験からの実感、
自らの身に付けた「学力」の感触とともに、
これから将来、身体的経験からも真に学ぶということを、
継続することができるかと、己に問うている。

学び続けることは、すごいことなのだ。

2011年7月27日水曜日

わたしの(好きな)言志四録 その57

110727

言志録 第57条




草木を培植して、以て元気機緘の妙を観る。
何事か学に非ざらむ。


植物を栽培、育てることで、
生命の氣のあり方や、生育のタイミングなど、
大自然の絶妙な機微や、人としての成長の仕方を観察することができる。
学ぶことができる人にとっては、
ひとたび志立ちなば、薪拾いの中にも水汲みの中にも学べることがある(第32条)。

2011年7月26日火曜日

わたしの(好きな)言志四録 その56

110726

言志録 第56条




勤の反を惰と為し、倹の反を奢と為す。
余思うに、酒能く人をして惰を生ぜしめ、
又人をして奢を長ぜしむ。
勤倹以て家を興す可ければ、則ち惰奢以て家を亡すに足る。
蓋し酒之れが媒(なかだち)を為すなり。


穀氣の精である酒(第54条)。
酒は、「勤倹」に反するものではない。
しかし、「心の解放」や「人間関係の潤滑油」など、
酒の効能を云々することはできても、
「惰」と「奢」を助長するものであることを否定できない。

神に奉り、老人に気力を与える酒は、(第55条)
若年・壮年にはまだまだ不必要な薬であるということか。

そうであるならば、
ここは一念発起して、
老年に至るまでは酒を遠ざけ、「勤倹」に専念すべきか?

2011年7月25日月曜日

わたしの(好きな)言志四録 その55

110725

言志録 第55条




酒の用には二つあり。
鬼神は氣有りて形無し。故に氣の精なるものを以て之を聚(あつ)む。
老人は氣衰う。故に亦氣の精なる者を以て之を養う。
少壮氣盛なる人の若(ごと)きは、秖(まさ)に以て病を致すに足るのみ。


「酒は穀氣の精なり」(第54条)
「氣」の精髄であるので、
「氣」そのものである神仏魂魄に相通ずるための媒介(なかだち)となってくれる。
若者もそういう思いで、酒を用いようとするが、大抵、狂ってしまうのみ。
自らの足りない「氣」を補う程度に用いるべきと言われてわかるのは、
痛い目に何度もあってからか。

老人の氣を養うためにこそ、酒は役に立つとは、
敬老会での、老男女の宴席の談笑を見て実感する。

少年・壮年には、勿体ないものなのだ、酒は。
精々、老人鬼神に酒をふるまうべし。

2011年7月24日日曜日

わたしの(好きな)言志四録 その54

110724

言志録 第54条




酒は穀氣の精なり。
微(すこ)しく飲めば以て生を養う可し。
過飲して狂酗(きょうく)に至るは、是れ薬に因って病を発するなり。
人葠(にんじん)、附子(ぶす)、巴豆(はず)、大黄の類の如きも、
多く之を服すれば、必ず瞑眩(めんけん)を致す。
酒を飲んで発狂するも亦猶お此くのごとし。


酒は穀物のエッセンシャル・オイルのようなもので、
劇薬につき、少量を、身体を養うために飲むべきものだという。
暑い夏にビール(これも麦の精か?)をがぶ飲みするのが
楽しみというのは、言語道断ということか。
確かに、二十代、三十代と比べた時に、
飲む量、また、翌朝の回復具合は、年々下がってきているように思える。
四十代は、そういった習慣・嗜好の見直しの時期かもしれない。

結局、酒を酔っ払うために飲むのは良くないということは認めざるを得ない。

2011年7月23日土曜日

わたしの(好きな)言志四録 その53


110723

言志録 第53条




家翁、今年齢八十有六。
側(かたわ)らに人多き時は、神気自ら能く壮実なれども、
人少なき時は、神気頓(とみ)に衰脱す。
余思う、子孫男女は同体一気なれば、
其の頼んで以て安んずる所の者固(もと)よりなり。
但だ此れのみならず、老人は気乏し。
人の気を得て以て之を助くれば、
蓋し一時気体調和すること、温補薬味を服するが如きと一般なり。
此れ其の人多きを愛して、人少きを愛せざる所以なり。
因て悟る、王制に、「八十、人に非ざれば煖ならず」とは、
蓋し人の気を以て之を煖(あたた)むるを謂うなり。
膚嫗(ふう)の謂に非ざるを。
〔癸酉(文化十年)﨟月(十二月)小寒の後五日録す。〕


礼記にある「八十、人に非ざれば煖ならず」を、
人肌ではなく、人の「氣」こそが、人を安心させると解き明かす。
真冬に九十歳近い老父の姿に学びを見出す。

人は、「同体一気」である家族一族のみならず、
「人の氣」に支えられて、その生を全うするものと。

誕生も、その終盤も、人に囲まれ過ごせることの幸せを思う。

そのことを、まさしく人生中盤の四十二歳の一斎先生が書き記していることに、
共感を覚える。

礼記という「経」に学び、老父という「人」に学び、
真冬の一族家族のあり方は、「自然」に学ぶことになろうか。(第二条

天意にかなった人のあり方を、あらゆる師から学び取ろうとする姿がここにある。


昨日訃報が届いた。
瑞浪市の、そして大湫町の歴史を研究され続けた、
江戸屋渡邉俊典翁、八十六歳で天寿を全うされた。

ご冥福を祈念したい。

2011年7月21日木曜日

わたしの(好きな)言志四録 その52


110722

言志録 第52条




社稷(しゃしょく)の臣の執る所二あり。
曰く鎮定。曰く機に応ず。


平時には、内外に心配事なく、落ち着いた日常を送れること。
緊急時には、まさに臨機応変、適切な対応をとれること。

一国を統べる大臣の日常の業務は、
常に今に対して正しく応接できることに尽きるということか。

またこの、鎮定・応機、二つの働きは、国のみならず、
修身、斉家、治国、平天下
どのレベルにも必要とされることに気づく。

わたしの(好きな)言志四録 その51

110721

言志録 第51条




大臣の職は、大綱を統ぶるのみ。
日間の瑣事は、旧套に遵依するも可なり。
但だ人の発し難きの口を発し、人の処し難きの事を処するは、
年間率(おおむ)ね数次に過ぎず。
紛更労擾を須(もち)うること勿れ。


仮に天の使命を得、国家人民の安寧を助ける君主の役割があるとしたら、
その君主が助けに使う道具=鋤(第50条)が大臣であろう。
鋤が鎌の働きをすることはできないし、逆もまたそのとおりで、
鋤には鋤の役割を全うする役目がある。


第一、志ある者には重要事に専念する以外の時間など許されてない(第31条)。


大臣など重職の役割について心すべきことを書き連ねた
「重職心得箇条」が、この10数年後に著されるが、
この長=主を補佐する役割の重要性を教えられる。

それぞれの分に応じた役割、職分が全うされることの重要性が、
幕末の半世紀ほど前に記されていること、
この後、幕末まで書き継がれる四録が、
まさしく変革期における個人のあり方の道標となっていることをおもう時、
天=自然の働きに学び、それに殉じる個人のあり方こそが、
真に歴史を動かすことになると信じることができるのではないか。
最後まで幕臣として生き切った勝海舟や山岡鉄舟をおもう。

2011年7月20日水曜日

わたしの(好きな)言志四録 その50

110720

言志録 第50条




五穀自ら生ずれども、耒耜(らいし)を仮りて以て之を助く。
人君の財成輔相も、亦此れと似たり。


耒耜(らいし)とは、「鋤」のことで、大地自然の働きの、手助けをするためのもの。
鋤を使う人間は補佐役で、あくまで主役は五穀=自然である。
国家人民の営みを手助けするのが、君主の役割だが、あくまで補佐役であるというのだ。
経世済民を担う役割は、やはり補助役なのであって、主役は国家であり、また、その民の生活である。

「奇跡のリンゴ」を実現した木村秋則さんも、
自然の働きの手助けをしただけと言うだろう。
天の働きを、天の意思を、実現する、また、実現が可能になる条件をつくる。
その手助けをする。

天=大自然は、人間を通して、それぞれの人間にそれぞれの役割を託して、
何事かを為そうとしているのか、
大自然の働きそのものの自己実現的な生成展開があるのか、
そんなことも、自然を師に(第2条)、学び感得できていけたらと思う。

わたしの(好きな)言志四録 その50

110720

言志録 第50条




五穀自ら生ずれども、耒耜(らいし)を仮りて以て之を助く。
人君の財成輔相も、亦此れと似たり。


耒耜(らいし)とは、「鋤」のことで、大地自然の働きの、手助けをするためのもの。
鋤を使う人間は補佐役で、あくまで主役は五穀=自然である。
国家人民の営みを手助けするのが、君主の役割だが、あくまで補佐役であるというのだ。
経世済民を担う役割は、やはり補助役なのであって、主役は国家であり、また、その民の生活である。

「奇跡のリンゴ」を実現した木村秋則さんも、
自然の働きの手助けをしただけと言うだろう。
天の働きを、天の意思を、実現する、また、実現が可能になる条件をつくる。
その手助けをする。

天=大自然は、人間を通して、それぞれの人間にそれぞれの役割を託して、
何事かを為そうとしているのか、
大自然の働きそのものの自己実現的な生成展開があるのか、
そんなことも、自然を師に(第2条)、学び感得できていけたらと思う。

2011年7月19日火曜日

わたしの(好きな)言志四録 その49

110719

言志録 第49条




天工を助くる者は、我従うて之を賞し、
天物を?(そこな)う者は、我従うて之を罰す。
人君は私を容るるに非ず。


一旦、天の物としてこの世に生きるのであるから、
天地自然に寄与するか、
それとも天地自然に反するかが問題で、
天の意思に基づいた賞罰が必要である。

そこに人の私心が入らないことで、
賞罰は受け入れられる。

人は、行動するときに
「この人の為に」「この人の為なら」
と心動かされて、駆り立てられることがある。

これを是とするか。非とするか。

大自然の中にある人間のあり方を追求すると、
この人情の働きを越えた判断が求められる。

わたしの(好きな)言志四録 その48

110718

言志録 第48条




天尊(たか)く地卑(ひく)くして、乾坤(けんこん)定る。
君臣の分は、已(すで)に天定に属す。各其の職を尽くすのみ。
故に臣の君に於ける、当に畜養の恩 如何を視て、其の報(むくい)を厚薄にせざるべきなり。


「我れ既に天の物なれば、必ず天の役あり」(第10条)、
この認識が自らの生の前提であり、
天地が天地として定まっている大自然に生きる人間のあり方である。
それぞれが、その職分を全うするのみで、
相手が何をどれくらいしてくれるかの問題ではない。

それぞれがその職分を尽しながら、
それでも起こるべくして起こるのが大自然の変化なのだろう。
来るものは来るし、来ないものはこない。

2011年7月17日日曜日

わたしの(好きな)言志四録 その47

110717

言志録 第47条




君(きみ)の臣に於ける、賢を挙げ能を使い、与(とも)に天職を治め、与に天禄を食み、
元首股肱、合して一体を成す。
此を是れ義と謂う。
人君若し徒(いたず)らに、我れ禄俸を出し以て人を畜(やしな)い、
人将(まさ)に報じて以て駆使に赴かんとすと謂うのみならば、
則ち市道と何を以てか異ならむ。


天下国家を治める君道と
市井の商売たる市道とが対比されているが、
今、商売をし、事業を興す人は、それが、代々継承されているものにせよ、
新規に起業されているにせよ、およそ、ここでいわれている君道にもとづいた
リーダーがいないところは、早晩、マーケットから退場させられているのではないか?

渋沢栄一氏の言う「論語と算盤」は、今、世の中で何らかの価値を提供している
企業家や政治家、官吏にとっても、必須の道具ではないのだろうか?

そのうえで、ここで言われている「義」について。
組織のメンバーが、その地位にかかわらず、
「ともに天職を治め、ともに天禄を食む」
それぞれが、天から与えられた役割を発揮し、
そのための適材適所も妨げられずに登用され、
ふさわしい報酬を天から与えられるものとして受ける。
これは、天を「顧客」と読み替えることで、
企業にも官公庁にも、ここでの「義」が貫かれるべき理由があると思う。

これは、リーダーの如何にかかわらず、
自らの与えられている位置を全うせよという厳しい言葉でもある。
リーダーや親分の恩に報いるために働くのではないのだ。
そういう部下や子分では、
「義」が貫かれる組織のリーダーを育てることはできない。
天から与えられた職分を、上も下も、忠実に私心なく全うすることが求められている。

2011年7月16日土曜日

わたしの(好きな)言志四録 その46

110716

言志録 第46条




土地人民は天物なり。承(う)けて之を養い、物をして各其の所を得しむ。
是れ君(きみ)の職なり。
人君或は謬(あやま)りて、土地人民は皆我が物なりと謂(おも)うて之を暴(あら)す。
此を之れ君(きみ)、天物を偸(ぬす)むと謂(い)う。


これより100年ほど前に、
米沢藩の上杉鷹山公が家督を譲る時の
「伝国の辞」が思い起こされる。
一、国家は先祖より子孫へ伝え候国家にして我私すべき物にはこれ無く候
一、人民は国家に属したる人民にして我私すべき物にはこれ無く候
一、国家人民の為に立たる君にて君の為に立たる国家人民にはこれ無く候
右三条御遺念有間敷候事
天明五巳年二月七日
その鷹山公は、「民の父母にならん」と
細井平洲師より教えを受けたのだった。

君より先に土地人民がある、土地人民のために君が存在するという
この認識の上に、
なぜなら、土地人民は天のものであり、天からの預かりものであると。

これは、藩や国の問題だけでない。
あらゆるレベルでの組織の長、リーダーの弁えるべき原則だ。

さらに、一つの家庭、また、己自身の身体についても、
この真理を感受したい。
第10条にあるように、
「我れ既に天の物なれば、必ず天の役あり」なのだ。
我のみならず、誰でもが天物なのだ。
だから、自らの身体も、自分の恣(ほしいまま)に粗末に扱ってはならないし、
自分の集団を恣意的に方向づけることも天物を損なうことになると自覚すべきだ。

2011年7月15日金曜日

わたしの(好きな)言志四録 その45

110715

言志録 第45条




寵(ちょう)過ぐる者は、怨(うらみ)の招なり。
昵(じつ)甚しき者は、疏(うとん)ぜらるるの漸なり。


根本的な認識の基礎に「無常」がある。
大自然の法則しかり、
そして人情もそうであるのか。

頂点極まったものは、底辺まで転がり落ちる。(第44条)
またその勢いで、再び上まで登るかもしれないが、
頂点が続くわけではない。

そのことを忘れてはならないという、
警告でもあるが、
また、頂点の極みに溺れずに、
常に一新、
変わり続ける工夫が求められている。(第43条

変われるものだけが、変わらずに維持され続くのは、
私たちの生命=身体も同様である。

2011年7月14日木曜日

わたしの(好きな)言志四録 その44

110714

言志録 第44条




得意の時候は、最も当に退歩の工夫を著(つ)くべし。
一時一事も亦皆亢龍(こうりょう)有り。


これぞ「智慧」と思う。
第34条の「老成の工夫」と思う。

昇りつめた後には、降る道が用意されている。
これは後悔すべきことではない。
必然、必定である。

第43条でいうところ、
改めることで、
変わることはできるのかもしれない。
落ちるのでなく、くだる。
別の山を再び登ることもできるかもしれない。

得意の時に、変化を怖れないこと。
惰性とこだわりから、
いかに自らを解き放つか。

2011年7月13日水曜日

わたしの(好きな)言志四録 その43

110713

言志録 第43条




昨の非を悔ゆる者は之れ有り、
今の過(あやまち)を改むる者は鮮(すく)なし。


反省は、後悔の為にするのではない。
前進する為に、真に学び、己に問い、省みて、
まちがいは間違いと認め、
それを止める、変える、別のやり方をする。。。

誤りを誤りのままにしていることが、成長を止めている。
成長とは、一歩でも自らの使命に近づくこと。
自らの役割を担える自分に近づけていくこと。

朝令暮改は、その集団が成長する為には、欠かせない態度である。
今日の自分を変えることができることが、君子豹変すの意味である。

「大学」にあるという
まことに日に新たに、日々に新たに、又、日に新たなり、と。

毎日が生まれ変わりの機会であり、その機会を活かして、
自らの天命に少しでも肉薄することを目指すのだ。

2011年7月12日火曜日

わたしの(好きな)言志四録 その42

110712

言志録 第42条




分を知り、然る後に足るを知る。


己の役割に気づいたとき、
自分の本分がどこにあるかわかる。
どこまでが自分の職分か、
自分の天分は何か。

それが全うされること、すなわち満足の状態である。
またそれは、己の役割を与えられ、それを担わせていただけるときの感謝の念も。

欲望には限度がない。どこまでいけば満足できるのか。
己の分度=限度がわかれば、それに満足できるというのか?

自分の使命を全うできてないことの、
恥の認識。
天命を全うするまで、これでいいというところはないのではないか。

分を知るとは、身分を弁えることというよりは、
恥を知ること、つまり自らの使命に気づくこと。

足るを知るとは、欲望をおさえた慎ましさより、
自らが存在できることへの感謝の気持、
己の生まれてきた役割を全うできたときの 満足感ではないのだろうか。

2011年7月11日月曜日

わたしの(好きな)言志四録 その41

110711

言志録 第41条




富貴は譬えば則ち春夏なり。人の心をして蕩せしむ。
貧賤は譬えば則ち秋冬なり。人の心をして粛ならしむ。
故に人、富貴に於ては則ち其の志を溺らし、
貧賤に於ては則ち其の志を堅うす。


富貴といい貧賤といい、これは
個人の境遇であるばかりか、
その時々の社会情勢をもいうのだろう。
江戸時代の文化文政の爛熟期に、
人の心の退廃を看破し、
国家としても、武士としても、その使命を見失った状況が
また、一斎先生をして、
本書を書かせることにもなったのかもしれない。

また人生で云えば、春夏を過ぎ、
これから秋冬を迎える厄年を過ぎての心境には、
共感を覚える。

夏と冬の対比に、
はるか四半世紀前の耳に残る
母校新潟県立三条高校校歌を思い出す。

その5番には、

世は柔弱の風ぬるく/咲くや浮薄の花あれど
我は花なき松杉の/冬凛々の気を凌ぎ
夏炎々の日に枯れず/国の柱とそびえばや

と。

バブル絶頂の頃 青年期を過ごすことのできた我々は、
人生の後半生を、
まさに国の貧賤期と同期して過ごすことになるのだ。
覚悟せよ。

今は元治元年(1864年)からはじまる180年の最後60年の下元の時代を、
まさに一回り前の一斎先生言志四録執筆時期を生きていることになる。
ここを越えると、43年後の2044年には、再び上元へと繰り返すことになる。

2011年7月10日日曜日

わたしの(好きな)言志四録 その40

110710

言志録 第40条




愛悪の念頭、最も藻鑑を累(わずら)わす。


一斎先生にして、
人を選ぶのに、好悪の気持がやはり邪魔になったのだろうと
推察される。

人情は大切であるし、これが人の世に潤いをもたらしてくれる。
家族においても、知友においても、
地域においても、国際関係でも、
人の情がないところに、
絆など成立しないのではと思われる。

しかし、その人情によって、
人物鑑定してはならない、判断がくもる。
結局、自他に対してどう客観的になれるかが問われる。

これは
修身、斉家、治国、平天下
どのレベルでも言えるのだと思う。

自分が好きか嫌いか、そんなところを超えた所に、自分の使命はある。
家族の中にも、仲の良し悪しはある。
性格などの好き嫌いも。
そんなものに左右されては育つものも育たない。
地域でもそうだろう。一国のあらゆるレベルの組織においてもそうだろう。

第37条で述べたように、リーダーとしては、
人情をわきまえて、人に接するべしと考え、
しかし、その人情から自由にならないと、
正しい判断ができないと、続けて述べるあたりが、
一斎先生の人間っぽいところで、好きなところだ。

2011年7月9日土曜日

わたしの(好きな)言志四録 その39

110709

言志録 第39条


人の賢否は、初めて見る時に於て之を相するに、
多く謬(あやま)らず。


初めて人を観る。
その時にどれだけ真剣に対するか。
または、
何気なくすれちがう、はじめて言葉を交わす。
その時に素の人物が現れるということか。

「言を察して色を観る」(第38条)。

心の在り方やその人のもって生まれたものは、
表面に如実に表れているのだから、
それを素直に見て、人を判断することが可能であるし、
翻って、自らもそこで判別されていると覚悟するべし。

わたしの(好きな)言志四録 その38

110708

言志録 第38条


心の形(あら)わるる所は、尤も言(げん)と色(いろ)とに在り。
言を察して色を観れば、賢不肖、人廋(かく)す能わず。


人物鑑定は、人が社会で人とかかわることを避けれない限り、
最も重要な素養のひとつに数え上げられるものである。
どんな人物を師とし、友とし、家族とし、志事を共にし、
どんな人物とかかわらないようにするか。

それを判断する手掛かりは、その人自身が見せてくれている。

人に見えるものとして、表に顕れるのは、
その人の容姿であり、発する声や言葉である。
その見える物を通して、見えないものへの思いをはせて、
言葉や顔色から、その人の本質を見抜けないようではいけないと。

わかっていたはずの、みえていたはずのものに、
なぜもっと早くに気づかなかったのか、
その反省を通して、
さらに人物鑑定の鍛錬を深めるべし。

2011年7月8日金曜日

わたしの(好きな)言志四録 その37

110707

言志録 第37条


能く人を容るる者にして、而(しか)る後以って人を責むべし。
人も亦其の責を受く。
人を容るること能わざる者は人を責むること能わず。
人も亦其の責を受けず。


これも先生反省の弁と受けとめる。

自分を認めてくれていると思える人の忠告は
受け入れやすいが、
人から認めてもらえてないと決めつけている時、
その相手の言うことを聞き入れることは難しい。

それが人情というもので、
その人情を超越して、
人とはこうあるべきだと考えている人、
客観的に自他を見ることができる人には、
自分も含めてなかなか出合えない。

第35条のように、人を容れることにも明暗がある。
その明暗を超越できる人でないと、
能く人を容れる者とならないのだ。

また、なぜ人を責めるのか?
たいていは、自分も含めた周りの人が
迷惑や被害を被る可能性ありと認めた時ではないのか?
その人のことを考えて、その人の立場になって、責めることよりも、
いうなれば、その人自身よりも、その周りの立場を、
個よりも全体を考えて、人を責めるのではないか。

責められた方は、そこに思い至れば、その指摘を受け入れることができるのではないか。
何が言われているかが問題であり、
誰が言ったかは、本来問題にしてはならない。
しかし、何が、よりも、誰が言ったかに、左右されるのが
人情なのだ。

その人情をわきまえよと、一斎先生は反省したのではないか?

2011年7月6日水曜日

わたしの(好きな)言志四録 その36

110706

言志録 第36条


人の言は須らく容れて之を択ぶべし。
拒む可からず。
又惑う可からず。


これもその人の度量、器量の問われるところ。
まず、受け入れる。

まず、「はい」と受けて、それから、判断する。
出来るか出来ないか。
正しいか正しくないか。
好きか嫌いか。

判断する前に、または、即断する前に、
断って、戸ピッシャン ではいけない。

まず、受ける。躊躇しない。

択ぶ基準はもう決まっている。
だから迷うことはない。

ためらうことなく受け、
迷わずに判断する。

この言葉、思うに
壮年時代の一斎先生の反省から来ている言葉ではないか?

頂点に立つ人ほど他からの攻撃受けやすい。
また、上役からの目も厳しいだろう。
期せずして敵にしてしまったり、
相手に誤解されることが多かったのか?

2011年7月5日火曜日

わたしの(好きな)言志四録 その35

110705

言志録 第35条


物を容るるは美徳なり。
然れども亦明暗あり。


人には、その人なりの度量があり、
その度量の範囲で、
世事や人や物事を受け入れることで、
人の人生は形作られる。

何でも受容できる懐の大きさは、
その人の魅力でもあるし、
まさしく美徳ではある。

自分の器の大きさの中で、
受け取ることのできる物は何か。
極上のピンから最悪のキリまで。
どんな範囲の物でも、容れることのできる度量、
それは、その人の徳である。

その玉石混淆の物は良くも悪くも人生に影響を与える。
物を容れることで良くもなれば、悪くもなる。
その振れ幅そのものが、その人の人生の幅なのだろう。
それを受け入れられる限度が、まさしくその人の徳である。

どうやって器を大きくするか。
学問しかない。
修養しかない。

器が大きくなればなるほど、
自らの天命の活かされる範囲が広がるのだと思う。

2011年7月4日月曜日

わたしの(好きな)言志四録 その34

110704

言志録 第34条


少年の時は当に老成の工夫を著すべし。
老成の時は当に少年の志気を存すべし。


40代が老成の年代であれば、
その40代のアドヴァイスを、少年は受け入れるべし。
若さが特権の少年だからこそ、わずかばかりの気配りが功を奏するのだ。

一斎先生お気に入りの対比の妙もあるが、
これはまさに40代の
少年でもない、老成もしてない、
そのような状態の時に実感することかもしれない。

もう少年ではない、だが、あの時の勢い、初心を失ってはならない。
まだ老成してない、だが、若い時に失敗した教訓を忘れてはならない。

五十代後半から八十代まで書き続けられた、
後の三冊と比べた時に、
四十代に書かれた 最初の 言志録の
直截的・直感的な書かれ方に、多少 違和感を覚えることがある。
同様の内容について書かれても、
後の三冊の方が、練られている印象がある。

言志録第29条「大徳は閑を踰えざれ。/小徳は出入すとも可なり。/此を以て人を待つ。/儘好し。」
では、人に具わる徳の大小にこだわりが見受けられるが、

後録第33条「春風を以て人に接し/秋霜を以て自ら粛す。」の簡潔さには、
まさしく 人の徳の大小を云々しない、「老成の工夫」が見受けられる。

2011年7月3日日曜日

わたしの(好きな)言志四録 その33

110703

言志録 第33条


志有るの士は利刃(りじん)の如し。百邪辟易す。
志無きの人は鈍刀の如し。童蒙も侮翫(ぶかん)す。


ひとたび天命に気づき志を立ててからは、
よこしまな道に立ち寄っている暇のないことは、
32条の通り、毎日が学びの連続なのだから、
日常の一挙手一投足に 誠が 表れなければならないし、
真の学びは、そこに邪悪の入る隙間を与えない。

一斎先生は、利刃/鈍刀、百邪辟易/童蒙侮翫と、
対比の妙を好まれるが、

子どもに馬鹿にされるとは、
幼長に関係なく、他人に対して、
後ろめたい心がおこることと捉えたい。

ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ

ここには 童蒙侮翫をものともしない、
精神の充実のみが、(充実しているが、「空」である)
感じられる。

2011年7月2日土曜日

わたしの(好きな)言志四録 その32

110702

言志録 第32条


緊(きび)しく此の志を立てて以て之を求めば、
薪を搬び水を運ぶと雖(いえど)も、亦是れ学の在る所なり。
況や書を読み理を窮むるをや。
志の立たざれば、終日読書に従事するとも、亦唯だ是れ閑事のみ。
故に学を為すは志を立つるより尚(かみ)なるは莫し。


思えば学生時代は、まさしく学をしているつもりでいたが
閑事に現をぬかしていたのだと反省する。
閑事を無駄とは言いたくないし、また
今の自らの人生に不必要な経験はしていないという自負もある。
が、閑事は閑事だ。
有限な自らの人生で、真の実事といえるかどうか。
(それでもあえて、
大学に進学する意味を、海を見たい時に実際に観に行ける自由を得るためと
卒業生に伝えた、ある高校の校長さんの言葉には
言いようのない魅力を感じてしまう。)

自らの使命に直結した学びは、
シンプルで、かつ、力強く、
己の心身を筋肉質に鍛え上げてくれるように思う。

そして、思うに、
昔の小学校の校庭に
薪を背負って書を読む尊徳像は、
書を読んでいたのではなく(それでは道を踏み外しそう)、
薪を背負うことそのものが学びであることを
伝えてくれるメディアだったのではないか、
そういうふうに教えられるべきなのではなかったか。

己の使命に生きることを貴しとする気風は、
まさに学びの場である学校において育まれるべきだった。
労働よりも学を尊ぶことではなく、
勤労そのものに学問があることを教え伝える師が必要だった。

その意味で、
今の自分は、
真の意味で 日々学問していると言いたいし、
そう言える 自分でありたい。

2011年7月1日金曜日

わたしの(好きな)言志四録 その31

110701

言志録 第31条


今人率(おおむ)ね口に多忙を説く。
其の為す所を視るに、実事を整頓するもの十に一二。
閑事を料理するもの十に八九、又閑事を認めて以て実事と為す。
宜(むべ)なり其の多忙なるや。
志有る者誤って此窠(か)を踏むこと勿れ。


「閑事を認めて以て実事と為す」との指摘は厳しいものがある。
自らの日々の業務にあてはめて、冷静かつ客観的に反省することができるだろうか?

忙しい忙しいと言うのは、自分が無能力であると言って廻っているに等しいと、
重職心得箇条」にもある。
(第8条:重職たるもの、勤向繁多と云う口上は恥べき事なり。仮令(たとえ)世話敷とも世話敷とは云わぬが能きなり。随分手のすき、心に有余あるに非れば、大事に心付かぬもの也。重職小事を自らし、諸役に任使する事能わざる故に、諸役自然ともたれる所ありて、重職多事になる勢あり。)

しかし、ここでの眼目は、多忙でも無能力でもない。

有限な人生において、ひとたび、自らの使命に気づいたら、
そのこと以外に大切な限られた時間を使えるはずがないと叫び声が聞こえるのだ。

多忙を理由に、その人の人生で最も大切な事柄に時間を振り向けることができず、
無為に過ごしていないか、をこそ反省すべきと言われているのだ。

2011年6月30日木曜日

わたしの(好きな)言志四録 その30

110630

言志録 第30条


自ら責むること厳なる者は、人に責むることも亦厳なり。
人を恕するころ寛なる者は、自ら恕することも亦寛なり。
皆一偏たるを免れず。
君子は則ち躬自ら厚うして、薄く人を責む。


人に対して厳しく責めないためには、
こだわらないこと。

自分に対して甘くならないためには、
天命に恥を覚えないことを恥と思うこと。

連れ合いには、
人には厳しいくせに
自分にはとことん甘いと
いつも詰(なじ)られている。
(なじら?は、生まれ故郷の言葉では、HOWAREYOU?のこと。)

まだまだ
こだわりがぬけず、
天命に気づいてないということ。

春風を以て人に接し
秋霜を以て自ら粛す。
と、言志後録第33条にもある。

目標にしたい
好きな言葉なのだが、
まだまだだ。

2011年6月29日水曜日

わたしの(好きな)言志四録 その29

110629

言志録 第29条


大徳は閑(のり)を踰(こ)えざれ。
小徳は出入すとも可なり。
此(これ)を以て人を待つ。儘(まま)好し。


大徳とは、忠・信・孝・悌 など。
小徳は、進退応対など とのこと。

正直、誠実など人としての守るべき価値は譲れない。
社会人としてのマナーについては、そうこだわらなくてもよい。
と今は解しておく。

大枠の価値観や方向性があっていれば、
細部にこだわらない。

第27条とは矛盾しない。

「こだわらない」ことだ。

2011年6月28日火曜日

わたしの(好きな)言志四録 その28

110628

言志録 第28条


纔(わずか)に誇伐(こばつ)の念頭有らば、便(すなわ)ち天地と相似ず。


天地自然のようにあることは難しい。
天命に気づくこと、そして
その天命に生きることも 簡単なことではない。
天の計らいに学ぶこと
誰もがやれているわけではない。

その上で、それを誇りに思っては、天然自然に反すると。

四十歳は不惑、そして知命は五十歳ということだが、
そこに至っても、誇ってはならずとは 厳しい。

誇ることの中に、一片の私=自我があるのだ。
それが 天然自然、あるべき姿を損なうことに思い至り、

あくまでも、天地自然のあるように。

2011年6月27日月曜日

わたしの(好きな)言志四録 その27

110627

言志録 第27条


真に大志有る者は、克(よ)く小物を勤め、
真に遠慮有る者は、細事を忽(ゆるがせ)にせず。


ゆっくり
大きく
遠くを
見る

これは 数年前になくなった
(と記憶していたがもう7年とは
野村万之丞氏の言葉と記憶している。

視野を狭めず、自ら素になる時には、
こういう作法が必要と思う。
そしておいて、

着眼大局 着手小局

神は細部に宿る ものと心得

一歩一歩 細心の注意で
後ろ足に重心を残しながら、
前へ進んでいきましょう。

2011年6月26日日曜日

わたしの(好きな)言志四録 その26

110626

言志録 第26条


事を慮(おもんばか)るは周詳ならんことを欲し、
事を処するは易簡ならんことを欲す。


生きることは、事に対処することの連続だ。
どんな人生を送ろうが、
時々の事々にどう対応するかが問われる。

どうすればよいか。
周到詳細、可能な限り遠く広く狭く詳しく思いを巡らし準備する。
実際の行動は、平易簡便、できるだけ単純に簡単な行為に納める。

シンプルに生きるために、日頃の準備を念入りにしたい。

2011年6月25日土曜日

わたしの(好きな)言志四録 その25

110625

言志録 第25条


名を求むるに心有るは、固(もと)より非なり。
名を避くるに心有るも、亦(また)非なり。


事をなすに、人に示そうという心は必要ない。
天につかえる心あることが必要と第3条にある通り、

自らの名声、名誉を「意識」しては、本物でないと言われているのは、
理解できるが、それができているとは思わない。

陰徳を積むことも、ことさら人に知られないようにする時点で、
変質してしまいそうだ。

ひたすら写経に向かっている時、
それはだれのためでもない、
強いて言えば、天に向かって事をなしていることになるのか。
その在り方そのものが、本当の自分の姿であり、
字に顕れる、現れないというものでなく、
一つ一つの文字を書き記すことそれ自体が、反省そのものでもあるのだろう。

天を相手にすることは、
アラユルコトヲ / ジブンヲカンジョウニ入レズ二
自らの使命を淡々と遂行することか。
そこには自分の有る無しそのものが意味がないあり方が、
一瞬なりとも 生起するのだ。

2011年6月24日金曜日

わたしの(好きな)言志四録 その24

110624

言志録 第24条


心の邪正、氣の強弱は筆画之を掩(おお)うこと能わず。
喜怒哀懼、勤惰静躁に至りても、亦皆諸(これ)を字に形(あら)わす。
一日の内、自ら数字を書し、以て反観せば、亦省心の一助ならむ。


願をかけて百日百回、心経を書いたことがある。
筆ペンを使ったが、ともかく毎日、字の間違いないように、
(間違えたら最初から書き直しなので)真剣に書き続けたが、
こうも毎日、同じ字を書きながら、多様な字面に、唖然とした。
(おかげで、諳んずることができるようになったが、)
実はこれ、自らとの対話だったのか。
自分が、いま如何なる状態か、反省するよい機会だったのだ。

そうだとして、わからないのは、
書かれた文字にあらわれる、自らのあり方は、
真の己れなのか、仮の自我なのか?

本当の自分と、もう一人の自分との関係は、外に現れる時、
どういうあらわれ方をするのか、
これからも 追究して参りたい。

2011年6月23日木曜日

わたしの(好きな)言志四録 その23

110623

言志録 第23条




吾(われ)方(まさ)に事を処せんとす。
必ず先ず心下に於て自ら数鍼(しん)を下し、然る後、事に従う。


従事するとは、事に「従う」ことであった。これは発見だ。
事を処理するのではないのだ。
志事に従う、使命=天命に従う。

事に従う前にすべきこと、
それはまず自らの心を修めて、腹を据えること。

事を追いかけるのではなく、事に添って従うこと。

2011年6月22日水曜日

わたしの(好きな)言志四録 その22

110622

言志録 第22条




間思雑慮の紛紛擾擾たるは、外物之を溷(みだ)すに由るなり。
常に志気をして剣の如くにして、
一切の外誘を駆除し、敢て肚裏に襲い近づかざらしめば、
自(おのずか)ら浄潔快豁なるを覚えむ。


日常の仕事は、諸事雑事多く、大事なこと、なかなか進まず。。。
外物を排除し、外誘を駆除し、とはごもっともだが、
仕事とは、そちらの方が多いのではないか?

しかし、これは言い訳にすぎない、
その「大事」の大事さが身に沁みてないだけだ。
真剣を自らに向け、「浄潔快豁」の境地で、大事に専念すべしと。

仕事を「志事」と呼ぶらしい。
諸事雑事も、自らの志事として、真剣に取り組む。
それも「大事」であると認めれば。

そのためには、自らの器をまず見直す必要がありそうだ。
限られた資源、仲間の時間、自らの能力、自らの時間、
それらを「真剣に」見極め見直し、
自らの大事=志事=使命に専念できていると実感こそが、浄潔快豁か。

2011年6月21日火曜日

わたしの(好きな)言志四録 その21

110621

言志録 第21条




心下痞塞すれば、百慮皆錯(あやま)る。


ころころ変わるココロも動きがあるが、
ここでは、良心の方の心、良知=魂 のこと。
心を動かされる方の心は、どちらか?
後者の方の心こそ、軽やかに、融通無碍に、動きがある方がよい。

その良心が動きを失う時、
ころころ動くココロがいくら働きまわっても、正しい道を歩めるはずがない。

心下とは、こころの奥底とのことだが、
そこに押し込められることを 良心は嫌う。

冷静な言動を時宜にかなって実現するには、
胸は空にし、腹は充実させ、
背にすまわせた良心が、からだを縦横無尽に躍動するイメージが浮かぶ。

わたしの(好きな)言志四録 その20

110620

言志録 第20条


人の精神尽(ことごと)く面(おもて)に在れば、物を逐(お)いて妄動することを免れず。
須らく精神を収斂して、諸(これ)を背に棲ましむべし。
方(まさ)に能くその身を忘れて、身(み)真に吾が有(ゆう)ならん。


心や気持を顔面に集中させ、身体の表面に表し過ぎている時は、
外界の事象に反応し過ぎ、物の表面をなでるのみで、行動が的を射たものにならない。
自分の身体であって自分のものでない状態になってしまうとのこと。

背中に一本、軸をもつように、精神を集中させるべきで、
軸足に体重がかかった状態、その時には、
外界に反応し過ぎず、また、自らの身体にも意識が行き過ぎない状態で、
自他の状況に応じた行動ができるという。
自分のからだを意識しない時にこそ、融通無碍に自らのからだを使うことができる。
「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあり」に通ずる。

これは心でも同じことだろう。
我=自我=仮己を忘れて、吾=真己=魂に生きる。

ここでも心のありよう、行動の秘訣を、身体の姿勢から説いている。

2011年6月19日日曜日

わたしの(好きな)言志四録 その19

110619

言志録 第19条




面(おもて)は冷ならんことを欲し、
背は煖(だん)ならんことを欲し、
胸は虚ならんことを欲し、
腹は実ならんことを欲す。


天然自然のありようを自得することとは、
自らの身体にも大自然を感得し、
また心のありようと体の姿勢とが不可分なことに気づくこと。

対比の妙と普段の感覚と逆の違和感が、
大自然としての自らの身体と精神のあるべき姿を、
より印象的に実感させてくれる。

表情や頭の中は冷静に自他を惑わすことなく、
暖かさは背中に充満させて自他を安心させるべし。

こころは空にして善きことを容れることができるようにし、
腹は充実させて胆をすわらせるべし。

2011年6月18日土曜日

わたしの(好きな)言志四録 その18

110618

言志録 第18条




凡そ事の玅処(みょうしょ)に到るは、
天然の形勢を自得するに過ぎず。
此の外 更に別に玅無し。


天然自然=天の計らいに学ぶべきで、
それ以上でも以下でもないということか。
ここまで「生生」(第16条)、「造化」(第17条)、
そして「玄妙」とあげられたことは
すべて大自然の営為そのもの。
天に生を授けられている自らも
その大自然の一部であると気づくことが大切。

「格物致知」と言われるとき、
物は、対象でなく、自らも含んだ天=自然を体得することと思う。
自らの良心に気づき、それに沿って生きることも、
いうなれば、天の計らいによるあるべき在り様に気づくこと。

2011年6月17日金曜日

わたしの(好きな)言志四録 その17

110617

言志録 第17条




静に造化の跡を観るに、皆な其の事無き所に行わる。


自然の営為には、当然のことながら「不自然」なところは見受けられない。
あえて事を為そうとしなくても、自然の創造化育は、絶え間なく繰返されている。
そこに、自然の一部である自らのあり方や活動を見出すこと、
自らの在り様を反省し、天然自然の一部として自らを発揮することができれば。

太上は天を師とす(第2条)とは、このことを意味すると思うが、
物言わぬ大自然から「其の事無き所」に天然自然のことわりを学びとることは難しそうだ。

自然を、また、自らを「静観」することを会得出来ればと考える。

2011年6月16日木曜日

わたしの(好きな)言志四録 その16

110616

言志録 第16条




栽(う)うる者は之を培う。雨露(うろ)固より生生なり。
傾く者は之を覆えす。霜雪も亦生生なり。


天然自然のあるがままの姿を 「生生」と表現するのであろうか。
雨も露も、雪も霜も、その持って生まれた役割を全うするだけで、
ものを育みもし、また殺ぐこともする。
丁度、土が、ものを育て支えるとともに、朽ち腐らせもするように、
陽光でさえも、命をもたらすとともに、奪いもすることに直截的に現れている。

第1条で云う「凡そ天地間の事は、・・・其の数皆前に定まれり」と。

自らの 有るがままに気づき、有るがままに「生生」たることを 求めて参りたい。

2011年6月15日水曜日

わたしの(好きな)言志四録 その15

110615

言志録 第15条




辞(ことば)を修めて其の誠を立て、誠を立てて其の辞を修む。
其の理一なり。


学問することで人としての誠の道を立て修養すること。
人としての修養を積み己の誠の道を立てて、学問すること。
つまり、学問することと、心を正し真に生きることとは、
表裏一体、道理を同じくする。
また、どちらが欠けても成り立たないものであることを
肝に銘ずる必要がある。
修辞立誠(易経)とのことだが、
学問には立志が肝要であり、立志を欠いて学問はない。

まさしく
「言志」録とは、「知言」と「立志」の謂いであると、
近藤正則氏の説にあるとおり、

大自然=宇宙=世界のことわりを知ること、すなわち
自らの天命を知り、使命に生きることなのだ。

2011年6月14日火曜日

わたしの(好きな)言志四録 その14

110614

言志録 第14条


吾、既に善を資(と)るの心有れば、
父兄師友の言、唯だ聞くことの多からざるを恐る。
読書に至っても亦多からざるを得んや。
聖賢云う所の多聞多見とは、意正に此くの如し。


資善の心があってこそ、
より多く見聞きし、見聞きすればするほど、より謙虚に、
その中の善なるもののみを自らのものとすることができるという。

学問の手段である読書もまた、虚心により多く求めてこそ、
真の学問の為になる。

第3条のように、天に仕える心はなくてはならない。人に示そうという心はないほうがよい。

呂新吾の云う「その心を空(むな)しうして、天下の善を容れ」とは、このことか。

より多く見聞きすることで、どんどん人は謙虚になるのだ。


アラユルコトヲ / ジブンヲカンジョウニ入レズ二
ヨクミキキシワカリ / ソシテワスレズ

2011年6月13日月曜日

わたしの(好きな)言志四録 その13

110613

言志録 第13条


学を為す。故に書を読む。


何故 書を読むのか?
学問の為である。

何故学問が必要なのか?



ここまで「学」について触れられているのは、

第1条の「凡そ天地間の事は、・・・其の数皆前に定まれり。・・・殊に未だ前知せざるのみ。」
第2条の「太上は天を師として、・・・人を師として、・・・経を師とす。」
第5条の「憤の一字は、是れ進学の機関なり。」
第6条の「学は立志より要なるは莫し。」
第12条の「三代以上の意思を以って、三代以上の文字を読め」


自分が何故この世に生を享け、どう生きてゆけば良いのか。
自らの良心、すなわち、天の意思に気づくことが大切。
そのために、
学んで自らに問う「学問」が必要なのだ。

2011年6月12日日曜日

私の(好きな)言志四録 その12

110612

言志録 第12条


三代以上の意思を以て、三代以上の文字を読め。


古代中国の理想時代、夏・殷・周を合わせて三代と呼ぶとのこと。
そんな理想時代の書物・聖典に学ぶ時にもつべき気概とは、
その理想時代以上の見識をもって、字面にとらわれずに、その行間を読み取り、
現在に生かすべき、大宇宙の真理を学ぼうとすることである。
三代の理想・真理を現実に生かすための工夫と考えられる。

歴史「を」学ぶのではなく、歴史「に」学べと
常々、私も師から教えられている。

また、ここで「三代」は、文字通り、三世代や三時代と考えて、
自らを先人や子孫の流れの中でとらえ、
今の時代を、前後の歴史の流れの中でとらえることで、
その流れの中で働いている、天の意思とでも言うべきものに想いに到らせることで、
学ぶべき書物についても、そのような歴史の流れの中で、
それを貫いているものを読み取ることが必要と言っているようにも考えられる。

歴史や人や書物に学びながら、そこに天の意思、自らの使命を読み取れと。

2011年6月11日土曜日

私の(好きな)言志四録 その11

110611

言志録 第11条


権は能く物を軽重すれども、而も自ら其の軽重を定むること能(あた)わず。
度は能く物を長短すれども、而も自ら其の長短を度(はか)ること能わず。
心は則ち能く物を是非して、而も又自ら其の是非を知る。
是れ至霊たる所以なる歟(か)。


ハカリも物差しも自分のことを計測できないが、
人の心は自分の善悪の判断をも為し得る。

我が師が伝えてくださるのは、人の心には、
中心に「しん」(心=芯)と呼ぶべき、魂=良心があり、
我々が通常感じる心というのは、
そのまわりにある、コロコロ変わる「ココロ」なのだと。
ココロの是非を判断するのは、芯となる良心であり、
それは、鏡に映る自分(=仮己)を見つめる、もう一人の自分(=真己)がいることに気づくことだと。

自らの使命が何か省察できるのは、この心のはたらき、心のあり方のおかげである。
自らの良心に気づき、その良心のはたらきに、自らをゆだねることができるかどうか、
万物の霊長たる人間としてこの世に生を与えられた自分が、
天の命ずる自らの使命を果たすことができるかどうかが問われている。

2011年6月10日金曜日

私の(好きな)言志四録 その10

110610

言志録 第10条


人は須らく自ら省察すべし。
「天、何の故にか我が身を生出(うみいだ)し、我れをして果して何の用にか供せしむる。
 我れ既に天の物なれば、必ず天の役あり。
 天の役共せずんば天の咎(とが)必ず至らむ。」
省察して此(ここ)に到れば則ち我が身の苟(いやし)くも生く可からざるを知らむ。


人は何のために生まれてきたのか。
天が生み出した、「天の物」である自分の心体には、
「天の役」があるはずなのだ。
第3条のいうように「天に事うるの心」を発揮し、
その天職を全うするために この世に生を受けたのだ。
無慈悲にも、その役が終われば、また、全うできない時には、
天にもどされることとなるのだ。
天の意にかなうこと、すなわち、
「天を師」(第2条)とすること。
そして、その天の意思を、人や先人の書物の助けを受けながら、
省察~自らに問い、見出し、気づいていく過程こそが人生なのだと改めて思う。

2011年6月9日木曜日

私の(好きな)言志四録 その9

110609

言志録 第9条


君子とは有徳の称なり。
其の徳有れば、則ちその位有り。徳の高下を視て、位の崇卑を為す。
叔世に及んで其の徳無くして、其の位に居る者有れば、
則ち君子も亦遂に専ら在位に就いて之を称する者あり。
今の君子、盍(なん)ぞ虚名を冒すの恥たるを知らざる。


君子という地位にも、天職がある。
徳がなくては、その天職を全うできないのに、
恥を知らないことこそ、恥の最たるもの。
しかるべき地位にあるなら、自問すべきだろう。

2011年6月8日水曜日

私の(好きな)言志四録 その8

110608

言志録 第8条


性分の本然を尽くし、職分の当然を務む。
此くの如きのみ。


この世に生まれてきたからには、
人間本来の良心を発揮し、自分の天職を全うすることに専心するべし。
自分の魂を磨きあげ、人物を練りあげる。
それぞれの人が、それぞれの与えられた場で、
自らの良知に気づき、その一燈を引っ提げて、世を照らすことに、一生を賭ける。
安岡師の「一燈照隅行」とはこのことと考える。

「性分」「職分」についての所説は
よくわかってないので下記に譲る。

性分とは、五常(仁義礼智信)のことで、
人間が本質的に持っている真心とのこと。

職分とは、孝悌忠信など、他人に対して尽すべき奉仕、
為すべき義務とのこと。五倫五常のうちの、五倫に近いか?
「五倫」は基本的な人間関係を規律する五つの徳目で、
父子の親、君臣の義、夫婦の別、長幼の序、朋友の信 とのこと。


これまでことわりなしに引用してきている
本文読み下しは、
川上正光氏全訳注の講談社学術文庫より。
解釈も参考にさせていただきつつ、

一斎翁が齢四十二歳より記した言志四録に、
逐条逐一随っていくことで、
同年齢になった自分がこれまで学んで身につけてきた
一燈=志=良知=魂=使命=天職という
自らの読みを確認修正して参りたい。

2011年6月7日火曜日

私の(好きな)言志四録 その7

110607

言志録 第7条


立志の功は、恥を知るを以て要と為す。


自らの使命に生きようと決意する時、その使命に対して本当に自分が相応しいかどうか
悩み苦しむ、これは、「恥」の意識と思う。
自分の天命に相応しくない、現在の自らのあり方にたいする、憤り。
誰に対して恥ずかしいか、世間や他人に対してではない。
自分に対しての恥、それはすなわち、自分に生を与えた天に対する恥。
自らの良心に対する恥と言えるかもしれない。

志を立てることによって得られる功徳の中心は、恥を知ることである。
もしくは
志を立てるための工夫としては、恥を知ることが肝要と教えている。

2011年6月6日月曜日

私の(好きな)言志四録 その6

110606

言志録 第6条


学は立志より要なるは莫し。
而して立志も亦之れを強うるに非らず。
只だ本心の好む所に従うのみ。

「志」というのはどのようにして個人に生まれてくるのか、よくわからない。
「夢」のことか? 「目標」のことか?

今の私の考えでは、志とは、自らの使命に生きようとする決意と思う。
自分がこの世に生命を与えられて誕生し、生きている理由、
天が命じている 自らの役割。天命?
これが何ものか、それに気づくのも自らの人生の中での
大変重要な使命なのではないかと思う。
本当の自分、自らの良心。そこから引き出せる、自らの天命。

志すなわち、本心の好む所とは、自らの良心に従う時にしか見いだせない
自分の使命、そのことと考えられる。

使命に気づくためにも、学ぶことが必要だ。
学ばねば、自分の志もわからないまま、一生を過ごすことになるかもしれない。

自らに対して、自分がこの世に生を与えられている意味、
まっとうすべき使命をいまだ果たせてないことへの憤りが、
学びを進める力になると同様に、

自らの使命に気づくこと、立志のためにこそ
学ぶ意義がある。
本当の自分が求めるところに従った学びのみが大切なのだ。

2011年6月5日日曜日

私の(好きな)言志四録 その5

110605

言志録 第5条


憤の一字は、是れ進学の機関なり。
舜何人(なんびと)ぞや、予(われ)何人ぞやとは、方(まさ)に是れ憤なり。


「憤」ということが、
学問に進む、または学問を進めるために必要不可欠なものとして挙げられる。

孔子の弟子顔淵が「古代中国の名君である舜も自分も同じ人間ではないか、舜にできて自分にできないはずがない」と、自らを鼓舞し発奮激励する。
それこそが、学ぶことに人を駆り立て、またその学びを継続し深化させるためのエンジンとなる。

通常、外に向けた心の動きと感じられる、発憤(発奮)、憤(いきどお)るとは、
しかし、ここでは(本来は、というべきか)自らに向けられている。
「学問」は、学んで「自らに」問うこと、と教わっているのと同じく、

この「憤」も自らに対して、
自分がこの世に生を与えられている意味、
まっとうすべき使命をいまだ果たせてないことへの憤りが必要なのだ。

2011年6月4日土曜日

私の(好きな)言志四録 その4

110604

言志録 第4条


天道は漸を以て運(めぐ)り、人事は漸を以て変ず。
必至の勢いは、之を卻(しりぞ)けて遠ざからしむる能(あた)わず、
又、之を促して速かならしむる能わず。


天然自然の成り行きも、人の世の移り変わりも、
出し抜けに、急に生起するものではなく、
着実に、一歩ずつ、しかし 遅すぎもせず、早すぎもせず、
なるようになるものだ。
この認識は、
すべてのことが、避けようなく、起こるべくして起こることゆえ受け入れよと命ずる。
あらゆることを 時間が解決してくれる という安心感をもたせてくれる。
自らが、天道にのっとり、人道にそむかずに、ひたむきに生きてさえいれば。

2011年6月3日金曜日

私の(好きな)言志四録 その3


110603

言志録 第3条


凡そ事を作(な)すには、須らく天に事(つか)うるの心有るを要すべし。
人に示すの念有るを要せず。


自分の為にではない。他人の為でもない。
人がこの世に生を受けて為すべきは、天の意を汲み取り、天命に生きること。

毎日 身内だけでなく他人を相手にしながら、
人に注意を払わないと一歩たりとも前に進めぬような毎日を過ごしている今だからこそ、
あえて、その人の向こうに、天の意思を感じながら、
天の意に適う行動を追求することこそ大切と教えてくれる。

顧客を創造するとは、天=宇宙を顧客にできるような事業を創造するということかもしれない。
天の意思があるとしたらそれに適うようなサービスとは何か。

人を相手にしながら、その実、その人をも生かしている 大自然を相手にすること。

2011年6月2日木曜日

私の(好きな)言志四録 その2

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言志録 第2条


太上は天を師とし、其の次は人を師とし、其の次は経を師とす。


私が言志四録、また 佐藤一斎翁と引き合わせていただいたのは、師と仰ぐ人とのご縁である。
人は、ことばを発することのない大自然からこそ学ぶべきである。
でも、大自然=天のことばなき言葉を人を介して学ばせていただくこと、
人の書き記し遺した書物、
人から人へと伝えられてきた 聖典・経典や古典からも学ばせていただけることの
なんと有難いことか。

天災からも人災からも、そこから何を汲み取り、学ぶことができるか。
同時代のこの時期に居合わせていることの、
自らの使命、役割に思いを致す。

現在の職場で満三年。
人事も含めた大自然での事上磨錬が今、求められていること。

私の(好きな)言志四録 その1

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私の(好きな)言志四録 その1

言志録 第1条


凡そ天地間の事は、古往今来、陰陽昼夜、日月代わる代わる明らかに、四時錯(たがい)に行(めぐ)り、其の数皆な前に定まれり。
人の富貴貧賤、死生寿殀、利害栄辱、聚参離合に至るまで一定の数に非ざるは莫し。
殊に未だ之れを、前知せざるのみ。
譬えば猶お傀儡の戯の機関已に具れども、而も観る者知らざるがごときなり。
世人其の此の如きを悟らず、以て己の知力恃むに足ると為して終身役役として東に索め西に求め、遂に悴労して以て斃る。
斯れ亦惑えるの甚しきなり。(文化十年五月二十六日録す)

これを運命論ととるべきか、とるべきでないと考える。
人には、(人以外も)それぞれ使命があるのだと、
そこに生を受けている理由があるのだと、
それを見失ってじたばたするでないと、
自らの役割を早く見つけて全うせよと、
受けとめたい。

佐藤一斎先生42歳にこの達観。まさに不惑というところか。
この年にこの「其の数皆な前に定まれり」と喝破する、その境地に迫るべく、
これから 毎日一条ずつ 後を追って参りたい。


2011/05/31 9:00 撮影

2011年5月9日月曜日

君子素其位而行不願乎其外 君子無入而不自得焉



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雨ニモマケズ / 風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク / 決シテ瞋(イカ)ラズ
イツモシズカニワラッテイル

一日二玄米四合ト / 味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ / ジブンヲカンジョウニ入レズ二
ヨクミキキシワカリ / ソシテワスレズ

野原ノ松ノ林ノ蔭ノ / 小サナ萱ブキノ小屋ニイテ
東二病気ノコドモアレバ / 行ッテ看病シテヤリ
西二ツカレタ母アレバ / 行ッテソノ稲ノ束ヲ負イ
南二死二ソウナ人アレバ / 行ッテコワガラナクテモイイトイイ
北二ケンカヤソショウガアレバ / ツマラナイカラヤメロトイイ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ / サムサノナツハオロオロアルキ

ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ / クニモサレズ

ソウイウモノニ / ワタシハナリタイ

このあまりに有名な言葉を引きながら、
わが同郷の(新潟六日町)渡辺謙氏は、
「絆」を中日新聞掲載記事で説いていた。


その新聞記事を見た後、
ふるさとがえり」という
映画を恵那市文化センターに観に行った。
高校生の長男も一緒に。

7年前の市町村合併を受けて、
市民の「心の合併」を企てた若者たち?の制作した映画とのこと。

恵那を映画で笑顔にしよう!! 「えな『心の合併』プロジェクト

最後に舞台挨拶?(朝一の上映では俳優さんたちの舞台挨拶があったそうで、)
昼からの部では、この映画プロジェクトを立ち上げられた行政マンさんが
挨拶されていた。

HPでは、

行政や地域経済の担い手が中心となり、
様々なまちづくり活動が始められていく中、
「これでいいのだろうか?本当に地域の意識はひとつになるのだろうか」
と疑問を抱く行政マンがいた。何とかして、地域や世代を超えて、
人がつながることは出来ないのかと思案していた。
その頃に、とあるシンポジウムで出会ったのが、
映画製作会社FireWorksが推進する「映画を使ったまちづくり」の手法だった。

とあるように、

映画づくりと まちづくり とが同時進行することが
期待されているので、

映画としてどうだったかと聞かれると、
???おもしろかったが、2時間半は長かった。

消防団、子どもたちの亀の子団、恵那市の印象的な風景の数々、青年の夢・・・
いろいろ焦点を当てて見直すことができる映画と思う。
東北巡業もあるとのこと。

むしろ、この映画づくりをドキュメントしているとのことで、
こちらの方が、映画=まちづくりのドキュメンタリーとして、
楽しみだ。
(今足りてない分、これから必要な分で1400万円。映画の前宣でやっていた、タイトルは
「監督!赤字分は折半でどうですか。~「ふるさとがえり」アナザーストーリー~」)

映画の中での
「土地も 親も 人は選べない。むしろ、選ばれるのだ。」
「どこで生きるか、ではなく、誰と何のために生きるかが大事ではないか」
との鶴光師匠(和尚役)の言葉は、
印象に残っている。

人は何のために生きるのか、というテーマを考えるときに
その考えを深めてくれる材料を提供してくれる、
映画であり、映画づくりであると思う。

こだわりを捨てて、愛することができるかどうか。


110430

ETVでの辺見庸氏の言葉をどう消化するか。
この度の大震災に対して、どう詩人としてメディアの中で語ることができるか
絞り出しながら紡がれた言葉をどう理解していくか。


今回の出来事に対してもったおそれの念、
恐ろしい、よりも、おそれかしこまる方の畏れ、畏怖の念。

3・11は、決して天罰でも黙示録的事象でもない。
われわれに根源的な認識上の修正を迫る出来事ではなかったか。
避けられないこと(the inevitable)
あり得ること(the probable)
あり得ないこと(the impossible)
あり得ないことのはずが、宇宙の一瞬のくしゃみのようにして起こりうること。

われわれは、もっと「予感」すべきだった。

「アウシュビッツ以降に詩を書くことは野蛮である」というアドルノの言葉(文化批評と社会)を媒介に、
それまで、アウシュビッツのような苦難や残虐性、野蛮さを前提にしていなかった
コミュニティの文化が、そのあり得ないはずのことが現実となってしまった後で、
もう一度言葉を捉えなおす作業が必要だということ。

外部の廃墟に対する 内部を語ることのできる、新しい内面をこしらえることのできる言葉が必要。

絶望の淵でとるべき態度は「誠実さ」である。
それこそが「救い」であるし、例外なる個人のとることのできる態度。
カミュの「ペスト」に表されていること。
「日本人の精神」のみに回収されるわけではない。

死体としてモノ化しうる人間。
被災地の映像から死体を排除したことには、死者への敬意を感じることができない。

「絶望」できるのは人間の能力である。
その絶望をもう一段深めること、深めつつ、それを言語化していくこと。
死んでしまう方が当然で、生きていることのほうが偶然である、
その中で生き残ってしまった人間のなすべきこととは?


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またまた恵那市文化センターに
未来の食卓」という映画を観に行く。
今度は妻と。

2008年のフランスのドキュメンタリー映画で
「お金より命が大切だと
南仏の小さな村から始まった奇跡の実話」
「全ての学校給食を自然の味(オーガニック)にしようと、
南フランスの小さな村が立ち上がった。」

高校生の長男が生まれて間もなく、
重度のアトピー性皮膚炎だったことから、
名古屋で暮らし始めていた
若夫婦はせっせとオーガニックフーズを購入し続けていた。
動物性食品をはずして、夫婦とも顔が変わるほど痩せてしまったこともあり、
幾多ある治療法を試しながら、
毎晩血の海となるシーツから解放されたのは
小学校にあがるころのことだった。
長女次女と女の子にはアトピーの症状がなかったことと、
経済的にオーガニックを維持していくことの困難さから、
以降、わが家では縁遠い話題になっていた。

瑞浪は大湫に移り住んでからも
地元でも低農薬低肥料の志向性はあるのだが、
除草剤を含めた全体的な流れに
抗う主体的な動きがとれていたわけでない。

あえて忘れていたというべきか。
良心とともに覚醒されたようだ。

映画を無料で自主上映してくれた
岩村にある 恵み自然農園さん
美濃ふるさと企画さん
には感謝。

君子素其位而行不願乎其外
素冨貴行乎冨貴
素貧賤行乎貧賤
素夷狄行乎素夷
素患難行乎患難
君子無入而不自得焉(「中庸」)

素行自得の言葉通り、

与えられた、即ちそれは、選ばれた 環境の中にあって、
どれだけ最善を尽くすことができるかどうか。

2011年5月2日月曜日

子貢問曰、有一言而可以終身行之者乎、 子曰、其恕乎、己所不欲、勿施於人



110423

第75回宗昌禅寺坐禅会

日中は 日本中?激しい雨の中、
浜松では、会社の仲間たちが 
フェアレディZ(Z33)カスタムイベント参戦(一泊二日)

また、瑞浪では畏友鈴木浩之さんの告別式が行われている。
友人代表の弔辞は伊藤師匠だった。

今日のコアバリューは、「どんな時もありがとうが言える笑顔を絶やさない」

たしかに「ありがとう」の言葉は大切。
そして、それを伝える「笑顔」も大事。
「和顔愛語」というではないか。
言施、顔施。

しかし、根本は、「感謝の念」と思う。
水や空気に対しても絶えず持つべき感謝。
今こうしてあることが全く当然のことではないこと、
無常の認識からは、今あることすべてに感謝できる。
節電・目に見えぬ放射能の恐怖・それに汚染されているかもしれぬ空気、水、土・・・

有難や、と思えるかどうか。

確かに、これは、難有りととらえて、いかなる艱難辛苦をも己を試す糧ととらえ、
それらに対して、笑顔で「ありがとう」と言える心持ちこそ大切とみることも可能。

少し重心が自分にあるところが気になる、
環境・他者は、自分を鍛える、支えるためにこそあるという傲慢さ。

自らが満たされてから他を満たす、のではないとすれば、
自らを捨てうるところから、自他を活かす道があるということか。

坐禅の参加者は4名、
立ち上げ時から皆勤を共に続けてきたが、蜂採りで車に轢かれて(何故?)しまったあと参加できずにいた桐井さん、
唯一新聞記事を見ての参加で、志士の会を率いて参加以来恵那人の参加に道を開いた髙木さん、
それに私と息子。

傾ぐ身体。呼吸の数を数えることにも集中できない。

自分の呼吸すら思うままにコントロールできぬ身で、
何が、他者か。環境か。地域か。

おかしかったのは、(自分にとっては興味深いのだが)
帰り際、髙木さんが、本多静六という人物を知っているかと。
私が風貌が似ていると、おもしろがっていた。

調べてみると興味深い人物だった。

日本の公園の父と呼ばれる方で、
<四分の一天引き貯金>や<一日一頁原稿執筆>など、
「勤倹貯蓄」を処世訓とされていたあたりは、これからの私が見習わさせてもらわねばならないところで、
私たち家族が10年前にホントに足繁く通いお世話になっていた名古屋の鶴舞公園の改良設計(明治45年)の他、
大正13年に大分の湯布院に温泉を核とした森林公園都市バーデンをお手本として紹介し、
「昭和3年(1928年)当時の比企郡菅谷村(現、埼玉県比企郡嵐山町)にある、現嵐山渓谷周辺を訪れた際、風景が京都の嵐山(あらしやま)によく似ていることから、武蔵嵐山(むさしらんざん)と命名した・・・」
その嵐山の地に三年後、安岡正篤氏が日本農士学校を開いている。

気になる写真は、こちらのブログが。。。

此の写真から彷彿される穏やかな人柄共々
まさに 爪の垢を煎じて飲ませてもらえと、髙木さんに教えていただいた。感謝。


110424

福山雅治 新曲「家族になろう」に感涙。

Get Old with Me にもやられた。


4つ上につれあいには、4人の子宝に恵まれていることもあり、
自分を考えに入れない志向が身についているのか。
この点は、同じ福山さんの「道標」が考えさせてくれる。

知りあって20年以上になる つれあい には、ありがとうと言う機会がなかなかない。
逆に厳しい辛らつな言葉で傷つけてしまうことばかり。
こちらこそ自分を捨ててかからないと。

午前中は町民パターゴルフ大会 家族で参加。
ギフチョウが舞うのを見る。

昼は山でコシアブラを採る。
お詫びのお土産になったかどうか。

午後は中学校の授業参観とPTA総会。
中学の娘は2年生になって、皆勤とは言わぬまでも、週の半分以上は登校するようになっている。


110425

今日のコアバリュー 大丈夫だよと気遣い助け合える行動をする。

ここでも自分の安定がどうしても先になる。
自分を勘定に入れないあり方は、企業活動には妨げになるだけなのか。


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今日のコアバリュー ノリよくコミュニケーションを楽しみ、信頼関係を構築する。

ここでも自身の安定が大切という。

「のび太という生き方」の本をFMで紹介していた。
富山大名誉教授の横山氏の本で
他に「人生で必要なことは、全て「ドラえもん」が教えてくれた」という著書もあるという。

明るい、前向き、落ち込まない、じっくり、のんびり、やさしい。。。

結婚前夜に しずかちゃんのお父さんが、
大丈夫、彼は人の幸せを願い、人の不幸を悲しむことのできる人間だ。
それが人として最も大切なことだと、
しずかちゃんを安心させて送り出してあげたという。

それ恕か。


110427

協力企業がGW返上と聞き、
フクシマを想う。

それは、猪苗代湖ズが歌う ふるさと としての フクシマ でもあり、

合唱曲「大地讃頌」(30年前の中学の合唱曲を思い出すのだ)で謳われる 母なる大地 でもある。


母なる大地の懐に 我ら人の子の喜びはある

大地を愛せよ 大地に生きる

人の子ら 人の子その立つ土に感謝せよ
(人の子ら 人の子ら 土に 感謝せよ)

平和な大地を 静かな大地を
大地を誉めよ 頌(たた)えよ 土を

恩寵の豊かな 豊かな 大地 大地 大地
(我ら人の子の 我ら人の子の 大地を誉めよ)

頌えよ 頌えよ 土を
(誉めよ 頌えよ)

母なる大地を 母なる大地を
頌えよ 誉めよ 頌えよ 土を

母なる大地を ああ 頌えよ大地を ああ

大木惇夫作詞とのこと)


昼の散歩中、圃場整備された岡瀬沢の田んぼの用水路に、
カワセミの背中を見た。
(その後、土砂降りの雨に見舞われたが、雨の前に虹を見た心境)


110428

安岡正篤氏の著書の中に、明の崔銑の言葉として、
「六然訓」というものを学んだ。

自處超然(じしょちょうぜん)
處人藹然(しょじんあいぜん)
有事斬然(ゆうじざんぜん)
無事澄然(ぶじちょうぜん)
得意澹然(とくいたんぜん)
失意泰然(しついたいぜん)

これを知って驚いたのは、
学校にあがる以前から一緒に寝起きした祖父母の居間の掛け軸が
この書だったのに気づいたからだ。
(数年前の大河ドラマ天地人の直江兼続と上杉景勝が幼少時学んだ禅寺・雲洞庵の和尚揮毫の掛け軸を祖父が譲り受けたとのこと)

自身のことで、超然としていられるかどうか?

2011年4月23日土曜日

海水を器に斟み 器水を海に翻せば 死生は直ちに眼前に在り


春の紅白ツートンは、ハナノキとシデコブシ。シデコブシは少しピンクがかっている。




110418
「私と詩吟」 岐阜包容会 渡邊和隆
(静吟ニュース第100号 2011.1.25 全国静吟会発行)

私の詩吟との出会いが、伊藤先生の導
きであったことが、私の幸福だったと心
から思えます。色々と身辺の諸事雑事で
茫然としていた時期に偶々先生に見せて
いただいたのが古びた鶯色の表紙の小冊
子「詩吟と人生」で、その時偶然に目に
留まったのが、呂新吾「呻吟語」でした。
「その心を大にして/天下の物を受け
その心をむなしうして/天下の善を容れ
その心を平らかにして/天下の事を論じ
その心をひそめて/天下のことわりを観じ
その心を定めて/天下の変に応ず」
平易なことばですが、ズシンと腹に響く、
今を歩む心の支えにも、羅針盤として向
かう先の道標にもなってくれる詩との出
会いでもありました。この詩は心の中で
口ずさむ、念ずるだけでも自分に力を与
えてくれます。それを自身のこころざし
の発露として、腹の底から声にして空気
を震わせ、外に発揮できるすばらしさ、
詩吟は私に、他事では得られないものを
齎してくれてます。大切な日々の糧です。


義母が退院されたというが、喜寿を過ぎた身体で、自宅での療養は続くとのこと。
師範代の民謡舞踊で鍛えられた心身にも、無理は禁物とのことで、
近くで寄り添って生活することができないことを大変申し訳なく思う。
お義父さんに頑張ってもらうしかない。




110419
春の嵐のような大雨。


110420
今日のコアバリュー 「素直で謙虚であれ」

お手本は 生まれたての赤ちゃんであろう。
天上からどの親たちのもとに生まれてこようかと眺めている覚えのある人もいるとのことだが、
たしかに命は、赤ちゃんは、時と場と親を選んで生まれてくるのだと思わされる。
逆にいえば、命が授かる、生まれてくるということは、それだけの環境がととのっている、
少なくともその命が、みずからを委ねようと思える場があるからこそ、うまれてくるのだと思う。
そんな赤子は、自らの思うままに、泣き、求め、笑い、眠る。
その役割と能力について、過信もなければ謙遜もないであろう、
ただあるがままを、あるべき姿を、純真に演じるともなく、生きているのだ。
自分の赤ちゃんの時の写真を事ある度に見ると良いとは、先生の言葉だが、
自分の最も素直で謙虚な姿、あるべき役割を飾らずに果たしている姿を見ることができるのだ。
素直になれない、謙虚になれない、といつまでも、みずからの狭い了見で考えた自己実現なぞにこだわる姿を肯定し続けることはできない。
人生は有限なのだ。
天から与えられた命、役割、それを全うすることが、どれだけ貴いことか。




後に聞いた話では、
昼のいつもの散歩で浅間神社を詣でてもどってきた午後3時ころ、
先輩で畏友の 鈴木浩之さんが亡くなられたという。合掌。


110421
詩吟の師匠 伊藤先生より、夕暮れ時に連絡いただく。
兄弟子の鈴木さんが亡くなられたとのこと。
日曜日の発表会でお会いしたのが最後だったと、茫然としてしまった。
以下はこれから練習しようと先日話していた七言律詩。

王維 作  酒を酌んで裴迪(はいてき)に与う    

酒を酌んで君に与う 君、自ら寛くせよ
人情の翻覆、波瀾に似たり
白首の相知、猶お剣を按じ
朱門の先達、弾冠を笑う
草色、全く、細雨を経て湿い
花枝、動かんと欲して 春風寒し
世事浮雲 何ぞ、問うに足らん
如かず、高臥して 且つ、餐を加えんには



110422
追悼 鈴木浩之さん

廣瀬謙 作  櫻祠に遊ぶ

花 開けば、万人集まり
花 尽くれば、一人無し
但見る 雙黄鳥
緑陰、深きところに呼ぶを


頼山陽 作  冑山の歌 

冑山、昨(きのう)、我を送り、
冑山、今、吾を迎う
黙して数う、山陽十(とたび)往返
山翠、依然たり、我れ白鬚
故郷、親(しん)あり、更に衰老
明年、当に復、此の道を下るべし


上の2編は鈴木さんがマスターされ
発表会等でよく吟じられた詩。
これからますます、これらの詩を吟ずるときに鈴木さんのことを偲ぶことになるだろう。

告別式は明日土曜日の午後よりとのことだったが、
業務の都合上出席難しかったので、前日のお通夜に参加させていただいた。
おかげで最後の御顔にお別れをすることがかなった。

当地の通夜式はかなり簡素で、和尚様の読経と焼香、喪主のあいさつで30分ほどで終了する。
20日の午後3時に亡くなられた。享年60歳。
喪主は大学生のご長男。

感慨深かったのは、ちょうど自分が焼香する段になったとき、
丁度、和尚のお経が、「白隠禅師坐禅和讃」を唱え始めたこと。


衆生本来仏なり 水と氷の如くにて 水を離れて氷なく 衆生の外に仏なし
・・・で始まり、
況んや自ら回向して 直に自性を証すれば 自性即ち無性にて すでに戯論を離れたり
因果一如の門ひらけ 無二無三の道直し
・・・
此の時何をか求むべき 寂滅現前する故に 当処即ち蓮華国 此の身即ち仏なり


鈴木さんとの縁は、血縁や地縁、腐れ縁 のようではなく、
学ぼうとする魂が その成長時期に 
偶々 だが 必然に 時と場を同じくさせていいただいたような
徳増先生や伊藤師匠に導かれながらの
まさに道縁というべきか、
真に心の許せる先輩であり、友人であったと今にして思う。
素直になれるし、謙虚そのもの。自分を自分以上に見せる必要がない。

「壮にして学べば 則ち老いて衰えず。老いて学べば 則ち死して朽ちず」のとおり、
これからの私は 学ぶ度に 鈴木さんを想い、共に学び、
吟ずる度に 鈴木さんに想いを馳せ、共に吟じ、かつ鈴木さんに捧げる吟になると思う。
こんなに亡くして哀しい思いをした友人は私には初めてである。


平成14年ごろより 中世鰍(どじょう)之会で
徳増先生の陽明学勉強会に参加させていただいていた。
それは伊藤師匠の自宅で開催されており、
平成16年頃より、ご近所にすんでいらっしゃる税理士の鈴木さんが参加され始めた。
平成17年から共に 陽明学の勉強会とは別の日程で、
岐阜包容会伊藤師匠に入門 山田積善流詩吟を習う。
他方、大湫では 中山道開宿400年を記念する年、
2004年=平成16年から小学校の前身「嶺西舎」の開かれた宗昌禅寺で坐禅会が始まっていた。
平成18年夏、サイバーストークの中田社長参加の頃からは、坐禅の後に、
大人の寺子屋として勉強会も開催、
そんな大湫にも鈴木さんは通ってくださり、
平成19年から20年まで 
宗昌禅寺坐禅会ならびに「嶺西舎」大人の寺子屋に参加していただいていた。
詩吟は共に毎月の例会でご一緒させていただき、
先週は飲んで例会に参加した私を、家まで慣れない山道を送ってくださったのだ。
そして、つい先日の発表会まで一緒に進んできたのだ。

決して自分から表に出る人ではなく、師匠いわく「陰徳を噛みしめる」人であった。
だれも気づかぬところで どれだけの善行をしてみえるのか 
底知れぬ畏れを抱かせる友。
まさに畏友だった。
そして
私の修養にとって、まさに同志だったのだ。と改めて 哀しみを噛みしめる。

明日は、坐禅会。



「海水を器に斟み 器水を海に翻せば 死生は直ちに眼前に在り(言志晩録290条)」



自分に与えられた役割を、鈴木さんのように全うできるように、ひたすら進むのみ。


2011年4月18日月曜日

其の國を治めんと欲する者は、先ず其の家を齊う(「大学」)


110414

眞山民 作  山中の月

我は愛す、山中の月
炯然として、疎林に掛るを
幽独の人を 憐れむが為に
流光、衣襟に散ず
我が心、本、月の如く
月も亦、我が心の如し
心と月と、両つながら相照らし
清夜、長しなえに相尋ぬ


110415

 今日のコアバリュー「すべての人を好きになり、すべての人に好きになってもらう」

18あるサイバーストークのコアバリューの中でも、1,2を争って皆に苦手感を感じさせてしまうもの。
「そりゃ無理でしょ~」と、さらっと流してしまうか、
これに立ち向かう?食らいつく?、少しでも近付いてにじり寄る姿勢を見せられるか
分かれ目のコアバリューだ。
「我れは当に人の長処を視るべし。人の短処を視る勿れ」とは 佐藤一斎翁 言志晩録70条 だが、
呂新吾の呻吟語にも
「その心を大にして、天下の物を受け。その心をむなしうして、天下の善を容れ。」とある。
「むなしう」とは、空しい、であり、虚しい、であろう。
「無」とは、18のコアバリューを総括する言葉として、先生の掲げられたものだが、
まさしく この「無」に通じるありかたが、全ての人を好きになり好きになってもらう、なのだろう。


「今月の義塾嶺西講義録」

ACのCMでおなじみの金子みすゞさんに詩について
(私と先生の出会いの一つのきっかけが、丁度10年前の、
みずゞ生誕の地長門市仙崎町での酒屋保存問題だった)
以下は仙崎町に提出した先生の請願文。

             <旧酒屋(現 渡辺家) 保存に関するお願い>

       築120年と言われる渡辺家を保存・修復し「金子みすゞ記念館」として、
      仙崎の住民、訪れた人達を温かく包む建物にしていただけないものでしょうか。

      1) 仙崎の町並み景観というだけではありません。
      2) この渡辺家を保存することは、この後、仙崎の町並に対する意識を呼び起こすことになります。
      3) 渡辺家を残しその使い道を考えることは、仙崎の町のあり方、祭りのあり方等、これから若者達がどうやってこの仙崎と関わるかということのきっかけになります。

      「金子みすず館」は、展示するだけのものでいいのでしょうか? 
      観光客が仙崎に訪れるのは「みすずの心」に触れるためではないでしょうか。
      もし、展示というなら、仙崎の町全体がその詩の心を表すものであるべきです。

      渡辺家は、120年を生き延びた一つの歴史です。 土間があり、天井が低く
      一つ一つが小さい部屋のつくり、急な階段、薄暗い部屋。 これが日本の家屋
      なのです。この家屋を子供達に体験させてやろうではないですか。 
      「金子みすゞ」というなら、まさしく この家ではみすゞと同じ体験が出来るのです。

      この部屋に図書を置き、好きなところで本を読むことが出来る・・・・
      お年寄りの方々が「ねーま人形」やお手玉など、手作りをしていただければ、
      そこを訪れた人達とコミュニケーションが生まれるでしょう。 修学旅行や、
      校外学習で訪れた子供達がこの家で学習することも出来るでしょう。 

      少なくとも、みすずが実際に見て、「角の乾物や」の詩に出てくるもので唯一現存
      しているものでもあります。 
      大正時代の建物を真似て作ったとしても、それは所詮、にせて作った平成の建物で
      あり、ニセモノでしかありません。木の色、土間の匂い、120年間のほこり、存
      在する雰囲気というのはいったん壊してしまったらもう二度と元に戻すことは出来
      ません。

      仙崎を訪れる人達は、のんびりとした空気・普通に生活している雰囲気にとても癒
      やされるのです。観光化したところは全国どこにでもあります。 また、古い建物
      も見るだけというのはあります。
      ですが、「いらっしゃい」「ただいま・・」というおもてなしの雰囲気を残してい
      る場所はどこにもありません。 この渡辺家は生活の雰囲気がそのまま残っています。
      是非残していただいて、ここを「住民全体の家」 訪れる人は「みんな仙崎のお客様」
      という風に出来ないでしょうか。 

      大切にしたいと思う心をどうぞおくみとりいただきますようにお願いいたします。
      皆様の御賛同が得られますように。

残念ながら建物は解体されてしまいました。現在は跡地に記念館がたっているようです。



こだまでしょうか

「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。

「ばか」っていうと
「ばか」っていう。

「もう遊ばない」っていうと
「遊ばない」っていう。

そうして、あとで
さみしくなって

「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう。

こだまでしょうか、
いいえ、だれでも。


大漁

朝やけ小やけだ
大漁だ
大ばいわしの
大漁だ。

はまは祭りの
ようだけど
海のなかでは
何万の
いわしのとむらい
するのだろう。


(1時間遅刻)・・・先月話題に上がった三好学氏顕彰のフォーラムは、来月の開催は調整つかず、今秋をめどに開催見込みとのこと。
山桜の研究でも著名な植物学者三好氏が、調査に訪れた茨城県桜川市(「西の吉野、東の桜川」と平安時代より謳われていた)の磯部稲荷神社の宮司さんを招くほか、
多彩なパネリストで、天然記念物の保存とともに「景観」という言葉でもって、人間と環境との不可分の関係、どのような感性で自然と向き合うかを追求された三好学の顕彰がなされる。

人間は環境をつくることのできる存在でもあるが、
自らもその一部である大自然の、または、天の理のあらわれである自然を、
あまりに軽んじてはこなかったか?
~ 木をやたら軽々しく伐ってはいないか? 水の流れの曲がっているところを安易に真っ直ぐにしてないか?

天や大自然の表わしてくれる厳然たる真実がある。
その一部である自分の真実に気づくこと。
それは、「利他」の精神である。ひとたびその「使命」に気づいたならば、
悩みや迷いは捨てるべき。
捨てる覚悟でもって、信ずるのみ。
レールが敷かれたように、眼前が開けてくる。自らの進む道が拓かれてくる。
それが「自然に沿う」ということ。

自利利他とは、「忘己」利他である。
己を無視するのではない。
魂の次元から、自分を眺める、視る視点であり、それは
神仏に拝んでいる一瞬、(拝む時には、神仏を通して自らに対して拝んでいる)
そうした位置に自分があることに気づくことがある。

上のあり方は、
自らを満たした後に、他を満たす。
自分が十分に一杯にならなければ、他に与えることができない。
という考えを一蹴する。そうではないそうだ。
「自らが先、己をまず満たしてから」ではないのだ。

呼吸が、まず息を吐き出しすことが先で、自らを空にしたときに、
ちょうど呼び水のように、息が入ってきて、その空の器を空気が満たしてくれる。
自分を忘れる、とは 自分を空にするということなのだ。

それで気づくことは、
修養とは、
そのように自らを空にすることができるようになること。
また、その空の器を、自らの器の限り大きくすること。
この器の大きさが、その個人の持ちうる仁愛の大きさになるのか。


110416

月半ば、4月の第2週 春爛漫である。
3月末からアセビが藪を白く染め、山腹をタムシバ(コブシの仲間)が白い星雲のようにそこかしこを白く輝かしていた。
ここにきて、
谷間のシデコブシが白やピンクに満開、ソメイヨシノばかりか、ヤマザクラも競って咲き乱れるということがふさわしいほど、
花々が百花繚乱の今年の春。

11軒の小学生の親が集まり、「大湫子ども会育成会総会」。
小学校閉校後7年、確実に活動の領域を狭めてきている子ども会の活動は、
地域の親相互の親睦団体としての影も薄くなってきている。
来年度からは、小学校区の子ども会連合会の中の一子ども会として位置づけられることになる。
まだまだ自分たち子育て世代は、自分たちの事でいっぱいいっぱいで、
子ども「会」のことも、自分たちの住む地域での自分たちの果たすべき役割についても
考えて行動できるようにはなり得ていない。
世の中に求めるところがまだまだ多い。


110417

「釜戸小学校PTA総会」
会員軒数131 出席者数は200人ほどか。
地元の市議会議員、区長会役員などご来賓に迎え開催。
司会進行者の立場は、実りある会というよりも、つつがなく滞りなく会が進む方に価値を置く。
新会長のあいさつの中、
「~のせいで」と、他に求めての不満を漏らすのではなく、
「~のおかげで」と、感謝をもって事に当たることを強調された、
のはさすが。
自らの経験を価値あるものにしていこうという心構えは見習うべし。


「第38回瑞浪市吟剣詩舞連合会発表会」
私の参加している流派は今回進行役を分担していたが、
朝からの準備を含めて、先輩達にお任せし、
昼前かろうじて大御所の先生方の発表よりも前に駆け付けることができた。
来賓の市長は地元釜戸の方だが、まだ帰られる前で、
拙い吟を披露する羽目となった。

廣瀬淡窓作 親を思う(桂林荘雑詠 諸生に示す その二)
遥かに思う、白髪、門に倚るの情
宦学、三年、業、未だ成らず
一夜、秋風、老樹を揺かし
孤窓、枕を欹てて、客心驚く。

参加は50名ほど。最年少はおそらく自分で、他に50代が男女数名か? あとは推して知るべし。
第1回目はおそらく1973年。自分がまだ学校にあがる前だが、当時の親の世代や祖父母の世代から始まっているこの会は、
昨年でも、昼食に休憩あり、夕方に懇親会あり、最盛期の吟者演者の数は100を下らなかったのではないか。
現在、自分のようなペイペイが昼過ぎ遅れて駆け付け、先輩がたの間に混ざって、
一人前に発表させてもらえるような状況は、あまりいい傾向ではないだろう。
会員の勧誘を含めて
会にきちんとした貢献ができるようにならねばと、
浅い息継ぎの反省ともども家路についた。


夕方は PTAの懇親会参加予定だったが、
東京は府中の義母が入退院の時期でもあり(手助けに行けず忸怩たる思い)、
遠慮させていただく。

2011年4月14日木曜日

たとえ明日世界の終りが来ようとも、私は今日リンゴの木を植える

檜の穴の中にムササビがいるが見えない

110405 再び、『稲盛和夫の実学 経営と会計』を読み直す。
= 原点を見つめなおす。

とりわけ、印象深く思い出すべきと感じたのが、「ダブルチェックによって会社と人を守る」の章だ。
「・・・仕事が、公明正大にガラス張りの中で進められるということは、その仕事に従事する人を、不測の事態から守ることになる。それは同時に、業務そのものの信頼性と、会社の組織の健全性を守ることにもなるのである。
このため「ダブルチェック」というメカニズムは、どんな事情があろうとも、ゆるがせにできない、徹底すべき原則である。」

「・・・経営哲学の根底にあるのは、『人の心をベースとして経営する』ということである。・・・人の心は大変大きな力を持っているが、ふとしたはずみで過ちを犯してしまうというような弱い面を持っている。人の心をベースにして経営していくなら、この人の心が持つ弱さから社員を守るという思いも必要である。これがダブルチェックシステムを始めた動機である。・・・社員に罪をつくらせないためには、資材品の受取、製品の発送から売掛金の回収に至るまですべての管理システムに、論理の一貫性が貫かれていることが必要である。個々の管理者のご都合主義によって、そのシステムの一貫性がそこなわれるようでは、わずかな管理者の判断ミスが、やがて、大きな問題へと発展してしまう。
『ダブルチェックの原則』を間違いの発見やその防止のためのテクニックであると考える人もいるかもしれない。しかし、このような厳格なシステムが必要な本当の目的は、人を大切にする職場をつくるためなのである。複数の人間や部署がチェックし合い確認し合って仕事を進めていく。このような厳しいシステムが存在することによって、社員が罪をつくることを未然に防ぎながら、緊張感のあるきびきびとした職場の雰囲気が醸し出されるのである。
このようにして経営を管理するシステムを正しく十分に機能させるようになって初めて、さらに次元の高い愛や利他の心にもとづいた経営ができるようになるのである。

稲盛氏の経営理念の背骨にある ヒューマニズム を感じさせられる。

コアバリューを企業の価値理念として導入したときに、「働く人の心が動いている会社」「会社の皆の心の動きが会社の活力を生み出す」ようになると感じたのと、
同じ種類の心の動きがここにはあると思う。


110406 『星野リゾートの教科書 サービスと利益両立の法則』(中沢康彦著 日経BP社 2010)より

大正十五年七月二十八日 星野温泉若主人の為に草す

成功の秘訣 六十六翁内村鑑三

一、自己に頼るべし、他人に頼るべからず。
一、本を固うすべし、然らば事業は自づから発展すべし。
一、急ぐべからず、自動車の如きも成るべく徐行すべし。
一、成功本位の米国主義に倣ふべからず。誠実本位の日本主義に則るべし。
一、濫費は罪悪なりと知るべし。
一、能く天の命に聴いて行ふべし。自から己が運命を作らんと欲すべからず。
一、雇人は兄弟と思ふべし。客人は家族として扱ふべし。
一、誠実に由りて得たる信用は最大の財産なりと知るべし。
一、清潔、整頓、堅実を主とすべし。
一、人もし全世界を得るとも其霊魂を失はば何の益あらんや。
人生の目的は金銭を得るに非ず。品性を完成するにあり。
以上


110407 今月も 半年に一度の 査定の時期、社内のスタッフ同士が、互いを評価し合う「360度評価」の時期が来た。

評価内容は下記の通り。仲間からの評価は、信頼なくして 受けとめられるものではない。

5.常に出来ている。4.よく出来ている。3.出来ている。2.たまに出来ている。1.できていない。0.不明評価できない で評価する。

360度評価項目一覧/2011
1.常にお客様の立場で考え、行動しているため感謝されている。
2.商品を常に探求し、サイバーストークの商品のこだわりを理解している。
3.1日の段取り、時間割を意識して能率が高い。
4.自分都合で仕事を選んでいないので助かる。
5.納期に対して、言い訳なく完了する。
6.私語をしながら作業をしていないので、正確。
7.仕事を中途でやめないで、最後までやりきる。
8.作業や依頼事項を終了後、報告をしっかり行うのでうっかりがない。
9.失敗を繰り返さないように努力している。
10.得意でない分野でも目的を理解して取り組める。
11.掲示板での確認、返答を怠らず、完了にするなどルールをしっかり実行できている。
12.マニュアルや作業の改善提案を常に考え実行している。
13.信頼していても、チェックもしっかりしてくれる。
14.成功ノウハウの作業手順を場当たり的に変えない。
15.相談をしながら進めるので行き違いがない。
16.いつも明るく元気で、周りが明るくなる。
17.全体を考えての個の発言、行動をしているので、皆に頼られている。
18.自分磨きを怠らず、成長しつづけている。
19.教えられ方は謙虚で、気持ちが良い。
20.教え方は丁寧で尊敬できる。
21.相手のことを常に考えて発言、行動してくれる
22.ありがとうと感謝の心を忘れない。
23.ごめんなさい。すみませんでしたと非を認める勇気がある。
24.こそこそ話をしないので、裏表がない。
25.小さいことに気がつき助かる。
26.できない理由を言わず、できる方法を口にする。
27.服装が整っていて清潔感がある。
28.体調管理がしっかりしており、休みがない。
29.車の外装、内装が綺麗で光っている。
30.無駄な経費を削除する為に、小さな努力を怠らない。
31.決められた場所に、決められた物を、その時に戻している。
32.サイバーストークを愛し、サイバーストークから愛されている。
33.メンバーと社外でも気軽に付き合いができている。
34.メンバーに信頼されている。
35.人に感動を届けることを常に意識できている。


110408 新年度PTA役員会

新学期始まり、総会の前の 学年委員や支部長さんたちとともに役員会開催された。
印象に残ったのは、校長先生(新任のイシザカ「コウジ」先生・・・最近はウケなくなったと嘆いておられた)の言葉。

「役を引き受けてくださり大変有難い。しかし、今日この場に出かけてくるときに、子どもたちにどういう背中を見せてきたかが重要。
面倒な役をいやいや引き受けて重たい足取りででかけてくるか、それとも、子どもたち、学校、地域の為に、一肌脱いで、喜び勇んで出かけてきたか。
学校では子供達に児童会や学級で積極的に委員や役に就いてみんなの為に働くことを大切にしている」と。

自らのあり方を反省させられた。
厄年に 人様の役に立つと良い厄除けとなる、などと言っている場合ではないのだ。


110409 伝説のバリューモーニング

会社では、毎朝朝礼時に、日替わりで18ある「コアバリュー」から一つ選び、それについて、ひとこと発表し合いながら、社内外での行動の指針となる、価値観について、理解を深めたり、確認し合ったりしている。
なかでも土曜日は出勤者が少ないこともあるが、平日10分ほどのところ、30分も1時間もかけて、何順も回りながら、一つのコアバリューを深めていく。
今日は「人が幸せを感じた時に、自分も幸せを感じられる人であれ」を4人で深めていった。
人の幸せを自分の幸せと感じることができるのはすばらしいが、なかなかできるものではない。
その中で、以前は自分のことにこだわり、他者との区別を大切にしていた時には、感じられなかった幸福感を今持てるようになっているのは、
自分と他人との区別が前ほど厳格に感じられなくなったからではないかとの気づきが発表された。
自他の区別にこだわらなくなった時に、他人の幸せを我がこととして感じることができるようだ。
人間としての良心がはたらくのは、そういう時かもしれない。致良知というのはそういう状態をいうのだろうか。
最近、そのような幸せな感覚、喜び、驚きの発見が 少なすぎるのではないか、との皆の思いから、
(会社では それを「WOW」と呼び、専用ボードに投稿し、皆の共感を得ることで、会社の内外をWOWであふれかえるほどにしたいのだが、
それがうまく機能してない現実があった)
そのようなWOWの発見、スタッフのまさに心の動きをどんどん取り上げて、それの数を、被災地の支援に結びつけることにした。
その決定が、今日の、70分もかけたバリューモーニングでなされたことも、「WOW」なことだった。


110410 中日新聞 2011.4.10 の記事より

「政府が支えているのではない。東北の人たちの静かな忍耐に政府が支えられているのだと思う」(宮沢賢治の東北・山田登世子氏「言論欄」)

「人が他者を信じる力は、他者に共感する能力に根ざしている。・・・共感にもとづいて立てられる信頼は、監視社会における信用とはちがう、素朴なものだ。だが、装置を用いない、この信頼の立て方をこそ、これからの社会の再建の土台におきたい」(永井良和氏「読書欄」)


110411 ガッツポーズが生まれた日(1974)だとか。ガッツ石松さんでしたかね。


110412 「信を人に取ること難し。人は口を信ぜずして躬を信じ、躬を信ぜずして心を信ず」言志録148条


110413 今の結論「信用は他者に求めるもの。信頼は自らの覚悟による。」

自信は自身

「明日世界の終りが来ようとも、私は今日リンゴの木を植える」私はこの言葉を 童門冬二氏のたび重なるご講演から教えていただいた。
マルティン・ルターの言葉とも、コンスタンチン=ゲオルグとも、いろいろ言われておりますが。