提一燈。行暗夜。勿憂暗夜。只頼一燈。
“一燈を提げて暗夜を行く。暗夜を憂えることなかれ。只一燈を頼むのみ。” 佐藤一斎「言志晩録」十三条

2011年8月19日金曜日

わたしの(好きな)言志四録 その77


110816

言志録 第77条


古楽は亡びざる能わず。
楽は其れ何の世にか始まりし。果して聖人より前なる歟。
若し聖人に待つこと有って而して後作りしならんには、則ち其の人既に亡して、
而も其の作る所、安んぞ能く独り久遠を保せんや。
聖人の徳の精英、発して楽と為る。
乃ち之を管絃に被らせ、之を簫磬(しょうけい)に諧(ととの)え、
聴く者をして之に親炙するが如くならしむ。
則ち楽の感召にして、其の徳の此に寓するを以てなり。
今聖を去ること既に遠く、之を伝うる者其の人に非ず。
其の漸く差繆を致し、遂に以て亡ぶるも亦理勢の必然なり。
韶の斉に伝わる、孔子深く心に契(かな)えり。然れども恐らくは已に当時の全きに非じ。
但だ其の遺音尚お以て人を感ずるに足りしならんも、而も今亦遂に亡びたり。
凡そ天地間の事物、生者は皆死し、金鉄も亦滅す。
況や物に寓する者能く久遠を保せんや。
故に曰く古楽亡びざる能わずと。
但だ元声太和の天地人心に存する者に至りては、
則ち聖人より前なるも、聖人より後なるも、未だ嘗て始終有らず。
是れも亦知らざる可からざるなり。


古の聖人作の古楽は、
古楽器の調べに、聖人の徳を乗り移らせ、
その徳を 聴く人々に感化する。
しかし
天地間の事物同様に、その古楽も滅びる定めを免れることはできない。
永遠の物がないように、古楽も永遠のものではない。
これは真実である。

そして同時に、
天地や人の心の中(真心=魂)にある、
「元声太和」は、
始まりも終わりもないもの、
つまり、永遠に有り続けていることも、また、真実である。

天地間の事物にとらわれることなく、
そこにかわらずに有り続けるものを、
感受できることこそが大切であると。

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