提一燈。行暗夜。勿憂暗夜。只頼一燈。
“一燈を提げて暗夜を行く。暗夜を憂えることなかれ。只一燈を頼むのみ。” 佐藤一斎「言志晩録」十三条

2011年8月18日木曜日

わたしの(好きな)言志四録 その75


110814

言志録 第75条


人心は歓楽発揚の処無かる可からず。
故に王者の世に出ずる、必ず楽を作りて以て之を教え、人心をして寄する所有り、
楽しんで淫するに至らず、和して流るるに至らざらしむ。
風移り俗易りて、斯に邪慝無し。
当今伝うる所の雅俗の楽部は、並に風を移し俗を易うるの用無しと雖も、
而も士君子之を為すとも、亦不可なる無し。
坊間の詞曲の如きに至っては、多くは是れ淫哇巴兪欠(いんあいはゆ)、損有りて益無し。
但だ此を捨てては則ち都鄙の男女、寄せて以て歓楽発揚す可き所無し。
勢も亦之を繳停(しゃくてい)す可からず。
諸を病に譬うるに、発揚は表なり。抑鬱は裏なり。
表を撃てば則ち裏に入る、救う可からざるなり。
姑(しばら)く其の表を緩くして、以て内攻を防ぐに若かず。
此れ政を為す者の宜しく知るべき所なり。



歓楽発揚を必要とするのが人情である。
歓楽発揚を抑える、無くしてしまうと、
邪慝抑鬱になるのも人情である。
内攻する邪慝抑鬱は人心の病である。
人の世の、社会の病である。

楽は、人心を歓楽発揚するゆえ、
社会の病を未然に防ぐことができるという。
宮廷音楽でも巷間の戯れ歌でも楽は楽であるのだ。
人を懽欣鼓舞し暢発する楽の不可欠なこと(第72条)斯くの如し。

また、ここで、王者の楽を
「風を移し、俗を易える」ものとしていることは、
礼楽合一の妙をそこに見出そうとしているものとして注目しておきたい。

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