110904
言志録 第96条
地をして能く天に承(う)けしむる者は、
天之を使(せ)しむるなり。
身をして能く心に順(したが)わしむる者は、
心之を使しむるなり。
一なり。
心の在り方に応じて身体がその機能を果たし動く。(第95条)
心の命ずるままに、体がそれを実現していく。
これは稀なことではないのか。
誰もが、自身を思うままに、意のままに実現したいと思いながら、
そうできないことに苦しんでいる。
心を自身を通して現実化すること。
天が、地をして、天意の実現をはかること。
これは同じことを言っていると一斎先生は言う。
我が心が、天意をそのまま、我が身に伝えることができるか、
それとも、我意の実現にとらわれ、我が身もろとも苦中にあえぐか。
そもそも、
自身が天意を実現する為に、この地にあることに思い至れば(第10条)、
我が心をして、天意そのままに、
自身において発揮することが当然求められている。
「敬」(第94条)とは、そのための心身の在り方の工夫であり技術である。
地道を生きることができれば、我意にとらわれる必要はない。
おまかせの安心立命の境地がある。
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