提一燈。行暗夜。勿憂暗夜。只頼一燈。
“一燈を提げて暗夜を行く。暗夜を憂えることなかれ。只一燈を頼むのみ。” 佐藤一斎「言志晩録」十三条

2011年9月4日日曜日

わたしの(好きな)言志四録 その96


110904

言志録 第96条




地をして能く天に承(う)けしむる者は、
天之を使(せ)しむるなり。
身をして能く心に順(したが)わしむる者は、
心之を使しむるなり。
一なり。


心の在り方に応じて身体がその機能を果たし動く。(第95条
心の命ずるままに、体がそれを実現していく。
これは稀なことではないのか。

誰もが、自身を思うままに、意のままに実現したいと思いながら、
そうできないことに苦しんでいる。

心を自身を通して現実化すること。
天が、地をして、天意の実現をはかること。
これは同じことを言っていると一斎先生は言う。

我が心が、天意をそのまま、我が身に伝えることができるか、
それとも、我意の実現にとらわれ、我が身もろとも苦中にあえぐか。

そもそも、
自身が天意を実現する為に、この地にあることに思い至れば(第10条)、
我が心をして、天意そのままに、
自身において発揮することが当然求められている。

「敬」(第94条)とは、そのための心身の在り方の工夫であり技術である。
地道を生きることができれば、我意にとらわれる必要はない。
おまかせの安心立命の境地がある。

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