提一燈。行暗夜。勿憂暗夜。只頼一燈。
“一燈を提げて暗夜を行く。暗夜を憂えることなかれ。只一燈を頼むのみ。” 佐藤一斎「言志晩録」十三条

2011年7月16日土曜日

わたしの(好きな)言志四録 その46

110716

言志録 第46条




土地人民は天物なり。承(う)けて之を養い、物をして各其の所を得しむ。
是れ君(きみ)の職なり。
人君或は謬(あやま)りて、土地人民は皆我が物なりと謂(おも)うて之を暴(あら)す。
此を之れ君(きみ)、天物を偸(ぬす)むと謂(い)う。


これより100年ほど前に、
米沢藩の上杉鷹山公が家督を譲る時の
「伝国の辞」が思い起こされる。
一、国家は先祖より子孫へ伝え候国家にして我私すべき物にはこれ無く候
一、人民は国家に属したる人民にして我私すべき物にはこれ無く候
一、国家人民の為に立たる君にて君の為に立たる国家人民にはこれ無く候
右三条御遺念有間敷候事
天明五巳年二月七日
その鷹山公は、「民の父母にならん」と
細井平洲師より教えを受けたのだった。

君より先に土地人民がある、土地人民のために君が存在するという
この認識の上に、
なぜなら、土地人民は天のものであり、天からの預かりものであると。

これは、藩や国の問題だけでない。
あらゆるレベルでの組織の長、リーダーの弁えるべき原則だ。

さらに、一つの家庭、また、己自身の身体についても、
この真理を感受したい。
第10条にあるように、
「我れ既に天の物なれば、必ず天の役あり」なのだ。
我のみならず、誰でもが天物なのだ。
だから、自らの身体も、自分の恣(ほしいまま)に粗末に扱ってはならないし、
自分の集団を恣意的に方向づけることも天物を損なうことになると自覚すべきだ。

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