提一燈。行暗夜。勿憂暗夜。只頼一燈。
“一燈を提げて暗夜を行く。暗夜を憂えることなかれ。只一燈を頼むのみ。” 佐藤一斎「言志晩録」十三条

2011年6月25日土曜日

わたしの(好きな)言志四録 その25

110625

言志録 第25条


名を求むるに心有るは、固(もと)より非なり。
名を避くるに心有るも、亦(また)非なり。


事をなすに、人に示そうという心は必要ない。
天につかえる心あることが必要と第3条にある通り、

自らの名声、名誉を「意識」しては、本物でないと言われているのは、
理解できるが、それができているとは思わない。

陰徳を積むことも、ことさら人に知られないようにする時点で、
変質してしまいそうだ。

ひたすら写経に向かっている時、
それはだれのためでもない、
強いて言えば、天に向かって事をなしていることになるのか。
その在り方そのものが、本当の自分の姿であり、
字に顕れる、現れないというものでなく、
一つ一つの文字を書き記すことそれ自体が、反省そのものでもあるのだろう。

天を相手にすることは、
アラユルコトヲ / ジブンヲカンジョウニ入レズ二
自らの使命を淡々と遂行することか。
そこには自分の有る無しそのものが意味がないあり方が、
一瞬なりとも 生起するのだ。

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