提一燈。行暗夜。勿憂暗夜。只頼一燈。
“一燈を提げて暗夜を行く。暗夜を憂えることなかれ。只一燈を頼むのみ。” 佐藤一斎「言志晩録」十三条

2011年4月23日土曜日

海水を器に斟み 器水を海に翻せば 死生は直ちに眼前に在り


春の紅白ツートンは、ハナノキとシデコブシ。シデコブシは少しピンクがかっている。




110418
「私と詩吟」 岐阜包容会 渡邊和隆
(静吟ニュース第100号 2011.1.25 全国静吟会発行)

私の詩吟との出会いが、伊藤先生の導
きであったことが、私の幸福だったと心
から思えます。色々と身辺の諸事雑事で
茫然としていた時期に偶々先生に見せて
いただいたのが古びた鶯色の表紙の小冊
子「詩吟と人生」で、その時偶然に目に
留まったのが、呂新吾「呻吟語」でした。
「その心を大にして/天下の物を受け
その心をむなしうして/天下の善を容れ
その心を平らかにして/天下の事を論じ
その心をひそめて/天下のことわりを観じ
その心を定めて/天下の変に応ず」
平易なことばですが、ズシンと腹に響く、
今を歩む心の支えにも、羅針盤として向
かう先の道標にもなってくれる詩との出
会いでもありました。この詩は心の中で
口ずさむ、念ずるだけでも自分に力を与
えてくれます。それを自身のこころざし
の発露として、腹の底から声にして空気
を震わせ、外に発揮できるすばらしさ、
詩吟は私に、他事では得られないものを
齎してくれてます。大切な日々の糧です。


義母が退院されたというが、喜寿を過ぎた身体で、自宅での療養は続くとのこと。
師範代の民謡舞踊で鍛えられた心身にも、無理は禁物とのことで、
近くで寄り添って生活することができないことを大変申し訳なく思う。
お義父さんに頑張ってもらうしかない。




110419
春の嵐のような大雨。


110420
今日のコアバリュー 「素直で謙虚であれ」

お手本は 生まれたての赤ちゃんであろう。
天上からどの親たちのもとに生まれてこようかと眺めている覚えのある人もいるとのことだが、
たしかに命は、赤ちゃんは、時と場と親を選んで生まれてくるのだと思わされる。
逆にいえば、命が授かる、生まれてくるということは、それだけの環境がととのっている、
少なくともその命が、みずからを委ねようと思える場があるからこそ、うまれてくるのだと思う。
そんな赤子は、自らの思うままに、泣き、求め、笑い、眠る。
その役割と能力について、過信もなければ謙遜もないであろう、
ただあるがままを、あるべき姿を、純真に演じるともなく、生きているのだ。
自分の赤ちゃんの時の写真を事ある度に見ると良いとは、先生の言葉だが、
自分の最も素直で謙虚な姿、あるべき役割を飾らずに果たしている姿を見ることができるのだ。
素直になれない、謙虚になれない、といつまでも、みずからの狭い了見で考えた自己実現なぞにこだわる姿を肯定し続けることはできない。
人生は有限なのだ。
天から与えられた命、役割、それを全うすることが、どれだけ貴いことか。




後に聞いた話では、
昼のいつもの散歩で浅間神社を詣でてもどってきた午後3時ころ、
先輩で畏友の 鈴木浩之さんが亡くなられたという。合掌。


110421
詩吟の師匠 伊藤先生より、夕暮れ時に連絡いただく。
兄弟子の鈴木さんが亡くなられたとのこと。
日曜日の発表会でお会いしたのが最後だったと、茫然としてしまった。
以下はこれから練習しようと先日話していた七言律詩。

王維 作  酒を酌んで裴迪(はいてき)に与う    

酒を酌んで君に与う 君、自ら寛くせよ
人情の翻覆、波瀾に似たり
白首の相知、猶お剣を按じ
朱門の先達、弾冠を笑う
草色、全く、細雨を経て湿い
花枝、動かんと欲して 春風寒し
世事浮雲 何ぞ、問うに足らん
如かず、高臥して 且つ、餐を加えんには



110422
追悼 鈴木浩之さん

廣瀬謙 作  櫻祠に遊ぶ

花 開けば、万人集まり
花 尽くれば、一人無し
但見る 雙黄鳥
緑陰、深きところに呼ぶを


頼山陽 作  冑山の歌 

冑山、昨(きのう)、我を送り、
冑山、今、吾を迎う
黙して数う、山陽十(とたび)往返
山翠、依然たり、我れ白鬚
故郷、親(しん)あり、更に衰老
明年、当に復、此の道を下るべし


上の2編は鈴木さんがマスターされ
発表会等でよく吟じられた詩。
これからますます、これらの詩を吟ずるときに鈴木さんのことを偲ぶことになるだろう。

告別式は明日土曜日の午後よりとのことだったが、
業務の都合上出席難しかったので、前日のお通夜に参加させていただいた。
おかげで最後の御顔にお別れをすることがかなった。

当地の通夜式はかなり簡素で、和尚様の読経と焼香、喪主のあいさつで30分ほどで終了する。
20日の午後3時に亡くなられた。享年60歳。
喪主は大学生のご長男。

感慨深かったのは、ちょうど自分が焼香する段になったとき、
丁度、和尚のお経が、「白隠禅師坐禅和讃」を唱え始めたこと。


衆生本来仏なり 水と氷の如くにて 水を離れて氷なく 衆生の外に仏なし
・・・で始まり、
況んや自ら回向して 直に自性を証すれば 自性即ち無性にて すでに戯論を離れたり
因果一如の門ひらけ 無二無三の道直し
・・・
此の時何をか求むべき 寂滅現前する故に 当処即ち蓮華国 此の身即ち仏なり


鈴木さんとの縁は、血縁や地縁、腐れ縁 のようではなく、
学ぼうとする魂が その成長時期に 
偶々 だが 必然に 時と場を同じくさせていいただいたような
徳増先生や伊藤師匠に導かれながらの
まさに道縁というべきか、
真に心の許せる先輩であり、友人であったと今にして思う。
素直になれるし、謙虚そのもの。自分を自分以上に見せる必要がない。

「壮にして学べば 則ち老いて衰えず。老いて学べば 則ち死して朽ちず」のとおり、
これからの私は 学ぶ度に 鈴木さんを想い、共に学び、
吟ずる度に 鈴木さんに想いを馳せ、共に吟じ、かつ鈴木さんに捧げる吟になると思う。
こんなに亡くして哀しい思いをした友人は私には初めてである。


平成14年ごろより 中世鰍(どじょう)之会で
徳増先生の陽明学勉強会に参加させていただいていた。
それは伊藤師匠の自宅で開催されており、
平成16年頃より、ご近所にすんでいらっしゃる税理士の鈴木さんが参加され始めた。
平成17年から共に 陽明学の勉強会とは別の日程で、
岐阜包容会伊藤師匠に入門 山田積善流詩吟を習う。
他方、大湫では 中山道開宿400年を記念する年、
2004年=平成16年から小学校の前身「嶺西舎」の開かれた宗昌禅寺で坐禅会が始まっていた。
平成18年夏、サイバーストークの中田社長参加の頃からは、坐禅の後に、
大人の寺子屋として勉強会も開催、
そんな大湫にも鈴木さんは通ってくださり、
平成19年から20年まで 
宗昌禅寺坐禅会ならびに「嶺西舎」大人の寺子屋に参加していただいていた。
詩吟は共に毎月の例会でご一緒させていただき、
先週は飲んで例会に参加した私を、家まで慣れない山道を送ってくださったのだ。
そして、つい先日の発表会まで一緒に進んできたのだ。

決して自分から表に出る人ではなく、師匠いわく「陰徳を噛みしめる」人であった。
だれも気づかぬところで どれだけの善行をしてみえるのか 
底知れぬ畏れを抱かせる友。
まさに畏友だった。
そして
私の修養にとって、まさに同志だったのだ。と改めて 哀しみを噛みしめる。

明日は、坐禅会。



「海水を器に斟み 器水を海に翻せば 死生は直ちに眼前に在り(言志晩録290条)」



自分に与えられた役割を、鈴木さんのように全うできるように、ひたすら進むのみ。


2011年4月18日月曜日

其の國を治めんと欲する者は、先ず其の家を齊う(「大学」)


110414

眞山民 作  山中の月

我は愛す、山中の月
炯然として、疎林に掛るを
幽独の人を 憐れむが為に
流光、衣襟に散ず
我が心、本、月の如く
月も亦、我が心の如し
心と月と、両つながら相照らし
清夜、長しなえに相尋ぬ


110415

 今日のコアバリュー「すべての人を好きになり、すべての人に好きになってもらう」

18あるサイバーストークのコアバリューの中でも、1,2を争って皆に苦手感を感じさせてしまうもの。
「そりゃ無理でしょ~」と、さらっと流してしまうか、
これに立ち向かう?食らいつく?、少しでも近付いてにじり寄る姿勢を見せられるか
分かれ目のコアバリューだ。
「我れは当に人の長処を視るべし。人の短処を視る勿れ」とは 佐藤一斎翁 言志晩録70条 だが、
呂新吾の呻吟語にも
「その心を大にして、天下の物を受け。その心をむなしうして、天下の善を容れ。」とある。
「むなしう」とは、空しい、であり、虚しい、であろう。
「無」とは、18のコアバリューを総括する言葉として、先生の掲げられたものだが、
まさしく この「無」に通じるありかたが、全ての人を好きになり好きになってもらう、なのだろう。


「今月の義塾嶺西講義録」

ACのCMでおなじみの金子みすゞさんに詩について
(私と先生の出会いの一つのきっかけが、丁度10年前の、
みずゞ生誕の地長門市仙崎町での酒屋保存問題だった)
以下は仙崎町に提出した先生の請願文。

             <旧酒屋(現 渡辺家) 保存に関するお願い>

       築120年と言われる渡辺家を保存・修復し「金子みすゞ記念館」として、
      仙崎の住民、訪れた人達を温かく包む建物にしていただけないものでしょうか。

      1) 仙崎の町並み景観というだけではありません。
      2) この渡辺家を保存することは、この後、仙崎の町並に対する意識を呼び起こすことになります。
      3) 渡辺家を残しその使い道を考えることは、仙崎の町のあり方、祭りのあり方等、これから若者達がどうやってこの仙崎と関わるかということのきっかけになります。

      「金子みすず館」は、展示するだけのものでいいのでしょうか? 
      観光客が仙崎に訪れるのは「みすずの心」に触れるためではないでしょうか。
      もし、展示というなら、仙崎の町全体がその詩の心を表すものであるべきです。

      渡辺家は、120年を生き延びた一つの歴史です。 土間があり、天井が低く
      一つ一つが小さい部屋のつくり、急な階段、薄暗い部屋。 これが日本の家屋
      なのです。この家屋を子供達に体験させてやろうではないですか。 
      「金子みすゞ」というなら、まさしく この家ではみすゞと同じ体験が出来るのです。

      この部屋に図書を置き、好きなところで本を読むことが出来る・・・・
      お年寄りの方々が「ねーま人形」やお手玉など、手作りをしていただければ、
      そこを訪れた人達とコミュニケーションが生まれるでしょう。 修学旅行や、
      校外学習で訪れた子供達がこの家で学習することも出来るでしょう。 

      少なくとも、みすずが実際に見て、「角の乾物や」の詩に出てくるもので唯一現存
      しているものでもあります。 
      大正時代の建物を真似て作ったとしても、それは所詮、にせて作った平成の建物で
      あり、ニセモノでしかありません。木の色、土間の匂い、120年間のほこり、存
      在する雰囲気というのはいったん壊してしまったらもう二度と元に戻すことは出来
      ません。

      仙崎を訪れる人達は、のんびりとした空気・普通に生活している雰囲気にとても癒
      やされるのです。観光化したところは全国どこにでもあります。 また、古い建物
      も見るだけというのはあります。
      ですが、「いらっしゃい」「ただいま・・」というおもてなしの雰囲気を残してい
      る場所はどこにもありません。 この渡辺家は生活の雰囲気がそのまま残っています。
      是非残していただいて、ここを「住民全体の家」 訪れる人は「みんな仙崎のお客様」
      という風に出来ないでしょうか。 

      大切にしたいと思う心をどうぞおくみとりいただきますようにお願いいたします。
      皆様の御賛同が得られますように。

残念ながら建物は解体されてしまいました。現在は跡地に記念館がたっているようです。



こだまでしょうか

「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。

「ばか」っていうと
「ばか」っていう。

「もう遊ばない」っていうと
「遊ばない」っていう。

そうして、あとで
さみしくなって

「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう。

こだまでしょうか、
いいえ、だれでも。


大漁

朝やけ小やけだ
大漁だ
大ばいわしの
大漁だ。

はまは祭りの
ようだけど
海のなかでは
何万の
いわしのとむらい
するのだろう。


(1時間遅刻)・・・先月話題に上がった三好学氏顕彰のフォーラムは、来月の開催は調整つかず、今秋をめどに開催見込みとのこと。
山桜の研究でも著名な植物学者三好氏が、調査に訪れた茨城県桜川市(「西の吉野、東の桜川」と平安時代より謳われていた)の磯部稲荷神社の宮司さんを招くほか、
多彩なパネリストで、天然記念物の保存とともに「景観」という言葉でもって、人間と環境との不可分の関係、どのような感性で自然と向き合うかを追求された三好学の顕彰がなされる。

人間は環境をつくることのできる存在でもあるが、
自らもその一部である大自然の、または、天の理のあらわれである自然を、
あまりに軽んじてはこなかったか?
~ 木をやたら軽々しく伐ってはいないか? 水の流れの曲がっているところを安易に真っ直ぐにしてないか?

天や大自然の表わしてくれる厳然たる真実がある。
その一部である自分の真実に気づくこと。
それは、「利他」の精神である。ひとたびその「使命」に気づいたならば、
悩みや迷いは捨てるべき。
捨てる覚悟でもって、信ずるのみ。
レールが敷かれたように、眼前が開けてくる。自らの進む道が拓かれてくる。
それが「自然に沿う」ということ。

自利利他とは、「忘己」利他である。
己を無視するのではない。
魂の次元から、自分を眺める、視る視点であり、それは
神仏に拝んでいる一瞬、(拝む時には、神仏を通して自らに対して拝んでいる)
そうした位置に自分があることに気づくことがある。

上のあり方は、
自らを満たした後に、他を満たす。
自分が十分に一杯にならなければ、他に与えることができない。
という考えを一蹴する。そうではないそうだ。
「自らが先、己をまず満たしてから」ではないのだ。

呼吸が、まず息を吐き出しすことが先で、自らを空にしたときに、
ちょうど呼び水のように、息が入ってきて、その空の器を空気が満たしてくれる。
自分を忘れる、とは 自分を空にするということなのだ。

それで気づくことは、
修養とは、
そのように自らを空にすることができるようになること。
また、その空の器を、自らの器の限り大きくすること。
この器の大きさが、その個人の持ちうる仁愛の大きさになるのか。


110416

月半ば、4月の第2週 春爛漫である。
3月末からアセビが藪を白く染め、山腹をタムシバ(コブシの仲間)が白い星雲のようにそこかしこを白く輝かしていた。
ここにきて、
谷間のシデコブシが白やピンクに満開、ソメイヨシノばかりか、ヤマザクラも競って咲き乱れるということがふさわしいほど、
花々が百花繚乱の今年の春。

11軒の小学生の親が集まり、「大湫子ども会育成会総会」。
小学校閉校後7年、確実に活動の領域を狭めてきている子ども会の活動は、
地域の親相互の親睦団体としての影も薄くなってきている。
来年度からは、小学校区の子ども会連合会の中の一子ども会として位置づけられることになる。
まだまだ自分たち子育て世代は、自分たちの事でいっぱいいっぱいで、
子ども「会」のことも、自分たちの住む地域での自分たちの果たすべき役割についても
考えて行動できるようにはなり得ていない。
世の中に求めるところがまだまだ多い。


110417

「釜戸小学校PTA総会」
会員軒数131 出席者数は200人ほどか。
地元の市議会議員、区長会役員などご来賓に迎え開催。
司会進行者の立場は、実りある会というよりも、つつがなく滞りなく会が進む方に価値を置く。
新会長のあいさつの中、
「~のせいで」と、他に求めての不満を漏らすのではなく、
「~のおかげで」と、感謝をもって事に当たることを強調された、
のはさすが。
自らの経験を価値あるものにしていこうという心構えは見習うべし。


「第38回瑞浪市吟剣詩舞連合会発表会」
私の参加している流派は今回進行役を分担していたが、
朝からの準備を含めて、先輩達にお任せし、
昼前かろうじて大御所の先生方の発表よりも前に駆け付けることができた。
来賓の市長は地元釜戸の方だが、まだ帰られる前で、
拙い吟を披露する羽目となった。

廣瀬淡窓作 親を思う(桂林荘雑詠 諸生に示す その二)
遥かに思う、白髪、門に倚るの情
宦学、三年、業、未だ成らず
一夜、秋風、老樹を揺かし
孤窓、枕を欹てて、客心驚く。

参加は50名ほど。最年少はおそらく自分で、他に50代が男女数名か? あとは推して知るべし。
第1回目はおそらく1973年。自分がまだ学校にあがる前だが、当時の親の世代や祖父母の世代から始まっているこの会は、
昨年でも、昼食に休憩あり、夕方に懇親会あり、最盛期の吟者演者の数は100を下らなかったのではないか。
現在、自分のようなペイペイが昼過ぎ遅れて駆け付け、先輩がたの間に混ざって、
一人前に発表させてもらえるような状況は、あまりいい傾向ではないだろう。
会員の勧誘を含めて
会にきちんとした貢献ができるようにならねばと、
浅い息継ぎの反省ともども家路についた。


夕方は PTAの懇親会参加予定だったが、
東京は府中の義母が入退院の時期でもあり(手助けに行けず忸怩たる思い)、
遠慮させていただく。

2011年4月14日木曜日

たとえ明日世界の終りが来ようとも、私は今日リンゴの木を植える

檜の穴の中にムササビがいるが見えない

110405 再び、『稲盛和夫の実学 経営と会計』を読み直す。
= 原点を見つめなおす。

とりわけ、印象深く思い出すべきと感じたのが、「ダブルチェックによって会社と人を守る」の章だ。
「・・・仕事が、公明正大にガラス張りの中で進められるということは、その仕事に従事する人を、不測の事態から守ることになる。それは同時に、業務そのものの信頼性と、会社の組織の健全性を守ることにもなるのである。
このため「ダブルチェック」というメカニズムは、どんな事情があろうとも、ゆるがせにできない、徹底すべき原則である。」

「・・・経営哲学の根底にあるのは、『人の心をベースとして経営する』ということである。・・・人の心は大変大きな力を持っているが、ふとしたはずみで過ちを犯してしまうというような弱い面を持っている。人の心をベースにして経営していくなら、この人の心が持つ弱さから社員を守るという思いも必要である。これがダブルチェックシステムを始めた動機である。・・・社員に罪をつくらせないためには、資材品の受取、製品の発送から売掛金の回収に至るまですべての管理システムに、論理の一貫性が貫かれていることが必要である。個々の管理者のご都合主義によって、そのシステムの一貫性がそこなわれるようでは、わずかな管理者の判断ミスが、やがて、大きな問題へと発展してしまう。
『ダブルチェックの原則』を間違いの発見やその防止のためのテクニックであると考える人もいるかもしれない。しかし、このような厳格なシステムが必要な本当の目的は、人を大切にする職場をつくるためなのである。複数の人間や部署がチェックし合い確認し合って仕事を進めていく。このような厳しいシステムが存在することによって、社員が罪をつくることを未然に防ぎながら、緊張感のあるきびきびとした職場の雰囲気が醸し出されるのである。
このようにして経営を管理するシステムを正しく十分に機能させるようになって初めて、さらに次元の高い愛や利他の心にもとづいた経営ができるようになるのである。

稲盛氏の経営理念の背骨にある ヒューマニズム を感じさせられる。

コアバリューを企業の価値理念として導入したときに、「働く人の心が動いている会社」「会社の皆の心の動きが会社の活力を生み出す」ようになると感じたのと、
同じ種類の心の動きがここにはあると思う。


110406 『星野リゾートの教科書 サービスと利益両立の法則』(中沢康彦著 日経BP社 2010)より

大正十五年七月二十八日 星野温泉若主人の為に草す

成功の秘訣 六十六翁内村鑑三

一、自己に頼るべし、他人に頼るべからず。
一、本を固うすべし、然らば事業は自づから発展すべし。
一、急ぐべからず、自動車の如きも成るべく徐行すべし。
一、成功本位の米国主義に倣ふべからず。誠実本位の日本主義に則るべし。
一、濫費は罪悪なりと知るべし。
一、能く天の命に聴いて行ふべし。自から己が運命を作らんと欲すべからず。
一、雇人は兄弟と思ふべし。客人は家族として扱ふべし。
一、誠実に由りて得たる信用は最大の財産なりと知るべし。
一、清潔、整頓、堅実を主とすべし。
一、人もし全世界を得るとも其霊魂を失はば何の益あらんや。
人生の目的は金銭を得るに非ず。品性を完成するにあり。
以上


110407 今月も 半年に一度の 査定の時期、社内のスタッフ同士が、互いを評価し合う「360度評価」の時期が来た。

評価内容は下記の通り。仲間からの評価は、信頼なくして 受けとめられるものではない。

5.常に出来ている。4.よく出来ている。3.出来ている。2.たまに出来ている。1.できていない。0.不明評価できない で評価する。

360度評価項目一覧/2011
1.常にお客様の立場で考え、行動しているため感謝されている。
2.商品を常に探求し、サイバーストークの商品のこだわりを理解している。
3.1日の段取り、時間割を意識して能率が高い。
4.自分都合で仕事を選んでいないので助かる。
5.納期に対して、言い訳なく完了する。
6.私語をしながら作業をしていないので、正確。
7.仕事を中途でやめないで、最後までやりきる。
8.作業や依頼事項を終了後、報告をしっかり行うのでうっかりがない。
9.失敗を繰り返さないように努力している。
10.得意でない分野でも目的を理解して取り組める。
11.掲示板での確認、返答を怠らず、完了にするなどルールをしっかり実行できている。
12.マニュアルや作業の改善提案を常に考え実行している。
13.信頼していても、チェックもしっかりしてくれる。
14.成功ノウハウの作業手順を場当たり的に変えない。
15.相談をしながら進めるので行き違いがない。
16.いつも明るく元気で、周りが明るくなる。
17.全体を考えての個の発言、行動をしているので、皆に頼られている。
18.自分磨きを怠らず、成長しつづけている。
19.教えられ方は謙虚で、気持ちが良い。
20.教え方は丁寧で尊敬できる。
21.相手のことを常に考えて発言、行動してくれる
22.ありがとうと感謝の心を忘れない。
23.ごめんなさい。すみませんでしたと非を認める勇気がある。
24.こそこそ話をしないので、裏表がない。
25.小さいことに気がつき助かる。
26.できない理由を言わず、できる方法を口にする。
27.服装が整っていて清潔感がある。
28.体調管理がしっかりしており、休みがない。
29.車の外装、内装が綺麗で光っている。
30.無駄な経費を削除する為に、小さな努力を怠らない。
31.決められた場所に、決められた物を、その時に戻している。
32.サイバーストークを愛し、サイバーストークから愛されている。
33.メンバーと社外でも気軽に付き合いができている。
34.メンバーに信頼されている。
35.人に感動を届けることを常に意識できている。


110408 新年度PTA役員会

新学期始まり、総会の前の 学年委員や支部長さんたちとともに役員会開催された。
印象に残ったのは、校長先生(新任のイシザカ「コウジ」先生・・・最近はウケなくなったと嘆いておられた)の言葉。

「役を引き受けてくださり大変有難い。しかし、今日この場に出かけてくるときに、子どもたちにどういう背中を見せてきたかが重要。
面倒な役をいやいや引き受けて重たい足取りででかけてくるか、それとも、子どもたち、学校、地域の為に、一肌脱いで、喜び勇んで出かけてきたか。
学校では子供達に児童会や学級で積極的に委員や役に就いてみんなの為に働くことを大切にしている」と。

自らのあり方を反省させられた。
厄年に 人様の役に立つと良い厄除けとなる、などと言っている場合ではないのだ。


110409 伝説のバリューモーニング

会社では、毎朝朝礼時に、日替わりで18ある「コアバリュー」から一つ選び、それについて、ひとこと発表し合いながら、社内外での行動の指針となる、価値観について、理解を深めたり、確認し合ったりしている。
なかでも土曜日は出勤者が少ないこともあるが、平日10分ほどのところ、30分も1時間もかけて、何順も回りながら、一つのコアバリューを深めていく。
今日は「人が幸せを感じた時に、自分も幸せを感じられる人であれ」を4人で深めていった。
人の幸せを自分の幸せと感じることができるのはすばらしいが、なかなかできるものではない。
その中で、以前は自分のことにこだわり、他者との区別を大切にしていた時には、感じられなかった幸福感を今持てるようになっているのは、
自分と他人との区別が前ほど厳格に感じられなくなったからではないかとの気づきが発表された。
自他の区別にこだわらなくなった時に、他人の幸せを我がこととして感じることができるようだ。
人間としての良心がはたらくのは、そういう時かもしれない。致良知というのはそういう状態をいうのだろうか。
最近、そのような幸せな感覚、喜び、驚きの発見が 少なすぎるのではないか、との皆の思いから、
(会社では それを「WOW」と呼び、専用ボードに投稿し、皆の共感を得ることで、会社の内外をWOWであふれかえるほどにしたいのだが、
それがうまく機能してない現実があった)
そのようなWOWの発見、スタッフのまさに心の動きをどんどん取り上げて、それの数を、被災地の支援に結びつけることにした。
その決定が、今日の、70分もかけたバリューモーニングでなされたことも、「WOW」なことだった。


110410 中日新聞 2011.4.10 の記事より

「政府が支えているのではない。東北の人たちの静かな忍耐に政府が支えられているのだと思う」(宮沢賢治の東北・山田登世子氏「言論欄」)

「人が他者を信じる力は、他者に共感する能力に根ざしている。・・・共感にもとづいて立てられる信頼は、監視社会における信用とはちがう、素朴なものだ。だが、装置を用いない、この信頼の立て方をこそ、これからの社会の再建の土台におきたい」(永井良和氏「読書欄」)


110411 ガッツポーズが生まれた日(1974)だとか。ガッツ石松さんでしたかね。


110412 「信を人に取ること難し。人は口を信ぜずして躬を信じ、躬を信ぜずして心を信ず」言志録148条


110413 今の結論「信用は他者に求めるもの。信頼は自らの覚悟による。」

自信は自身

「明日世界の終りが来ようとも、私は今日リンゴの木を植える」私はこの言葉を 童門冬二氏のたび重なるご講演から教えていただいた。
マルティン・ルターの言葉とも、コンスタンチン=ゲオルグとも、いろいろ言われておりますが。

2011年4月5日火曜日

自利利他 「そうだったらいいのに」をカタチにする一歩一歩の努力



3月28日

今、昼間、歩いている。
自分の身体のために、運動したほうがよいと言われ続け、思い続けてきたが、
職場に通勤するよりも前の朝の時間、また、帰宅後の夜の時間、どちらにしても
わずか30分の時間を作り出すことができなかった。食事の前に歩いたり運動するとダイエットにもよいと聞かされ、
ふと、そういえば昼の弁当の前の時間をつかえないかと考えてやってみたら、ことのほか調子が良かった。
食事している時でも電話などで呼ばれることがあるが、外に出かけるので、仕事に追いかけられることがないのも、
思わぬ副産物で、精神衛生上も、実によい、気分の転換を図れることになった。
最初のうちは、近くの国道沿いのコンビニ通いを続けたが、最近は、中山道沿いの田園地帯が散歩コースだ。
一帯の地域は圃場整備された田んぼと農道、転々と住居があり、土が動き始めるように感じられるこの季節は、
格別気持がよい。土地の産土神「浅間神社」がちょうど散歩の折り返し地点で、なるべく車道よりも農道を歩いている。

NHKTV プロフェッショナルでの印象に残った言葉。。。

「批評家にはなるな。いつも批判される側にいつづけろ」

「自分のためでなく、他人のためにはたらけ」


3月29日

ワールドカップにでられなかったカズさん(一歳上で、呼び名は他人とは思えないので、いつも呼び捨て、または、キングを頭につけて呼ぶが、今は敬愛の念から、さんづけしたい)が、勝負を超越したゴールを決めてくれた。
おそらくドーハの悲劇以上の悲劇にフランスで直面したうえで、それからの年月をどれほどひたむきに、愚直に過ごして来られたのか、
そんな、これまでの軌跡を想像させてくれるような、素晴らしいゴールだった。
現役であり続けることの、凄み。というか、潔さ。
生き続けることのシンプルさ。
ただただ敬意と感動を覚えさせていただいた。


3月30日

仏教で 「布施の三忘」というものがあるそうだ。「空海! 感動の人生学」(大栗道榮氏・中経出版)より。
何を、誰に、施したか。その施したことそのものも忘れよとのこと。
それを弁えないと、貪欲の罪に陥ってしまう。
「陰徳」というものは、見返りを求めないもの。

同じ本で野口英世のことば「忍耐は苦し、されどその果実は甘し」。
忍耐という木を育てるのは、長い期間を要し、その苦労は並大抵ではない。
だが、いつ実るかわからないが、必ず実るその味は格別に甘いものだ、とのこと。


3月31日

同じく大栗道榮氏の本より。
「座って、『めいそう』に入ったとき、『坐』の字を思い浮かべていただきたい。
私は生きている。自分をとりまいている父母、兄弟、子、友人、会社の人達によって生かされているのか、
と考えたとき、私は、私と背中合わせに坐っている仏に生かされていることに気づく。
そうして、自分の個性や特長を生かして世のためにつくそうと決心したとき、
あなたの心は一つに決まるのである」、と。


4月1日

徳増先生講義録 於サイバーストーク

辛卯の年、3月7日から二黒土星が南に出た後の 11日に起こった大震災。
二国土星の国、「日本(ちなみに五黄土星が朝鮮半島、八白土星が中国)が、覚悟を持って本気を出さねばならぬときに到った。」
今回の天災ならびに人災に臨んで、周囲からの支援は、まさにいまだこれまでの陰徳が功を奏している現れ。
過去を捨て、ゼロ=無からスタートするチャンスであり、
ゼロになったことを覚悟せよ。
五十にして天命を知る、の境地。
計算しないからこそ、天道に入ることができる。

『中庸』より 
天の命ずる 之を性と謂い、性に率う 之を道と謂い、道を修むる 之を教と謂う。

(来月に続く)


4月2日

月に一度の 家族での掃除。家の後ろにそびえる 100段石段上の白山様。


4月3日

金毘羅様の例祭。(自分は消防団入退団式出席のため参加できず)
なぜ、山の尾根づたいにある宿場町に 船の神様の金毘羅様があるのか。
(中には、そんな関係のない神社のお祭りをする必要があるのか、との声もあるらしい。)
北の深い谷を流れるのが、木曽川。そこを流れる東濃檜をはじめ、木曽の材木たち。
この地には江戸時代の 白木番所があり、船との縁が濃かったので、
その歴史を今に残すのは、
白木番所跡の案内看板よりも、この地で、毎春、花見の時期(最近は少し早目になってしまった)に催される
小さなお祭りなのだ。


4月4日

通勤時のFM岐阜から、平原綾香さんのアカペラ・ジュピター。
5分間ほど、息づかいも、感じさせながらの熱唱に、運転中だが、涙あふれてきた。
今、多くの意識が東北に焦点を結びながら、
皆が、それは日本の皆がであり、世界の皆が、東北に思いを寄せながら、
自らもが同じく、ゼロからのスタートの歩みを始めているのだ。

またしても プロフェショナル。三戸岡鋭治氏。
新幹線や電車ほか公共デザインをてがける氏にとって、
「デザイナーは公僕」であるそうだ。
人々のコミュニケーションを生み出すための公共空間の質の高さこそが、
その国の、民度の質の高さを表している、との言葉に、

その公共空間のあり方こそが地域の風土であること、

そういった地域デザインに求められる水準の高さと、
そのデザインをてがけるものに要求される精神性をこそが、
本物の風土を作り上げていくはずとの思いを新たにさせられる。