提一燈。行暗夜。勿憂暗夜。只頼一燈。
“一燈を提げて暗夜を行く。暗夜を憂えることなかれ。只一燈を頼むのみ。” 佐藤一斎「言志晩録」十三条

2011年8月13日土曜日

わたしの(好きな)言志四録 その73



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言志録 第73条




古(いにしえ)は方相氏儺(だ)を為す。
熊皮(ゆうひ)を蒙り、黄金四目(もく)玄衣朱裳、
戈を執り盾を揚げ、百隷を帥(ひき)いて之を欧(う)つ。
郷人(きょうじん)群然として出でて観る。
蓋し礼を制する者深意有り。
伏陰愆陽(ふくいんげんよう)、結ばれて疫氣と為る。
之を駆除せんと欲するには、人の純陽の氣に資(と)るに若くは莫し。
方相氣を作(な)して率先し、百隷之に従う。状、恠物(かいぶつ)の若く然り。
闔郷(こうきょう)の老少、雑遝(ざっとう)して聚(あつま)り観て、且つ駭(おどろ)き且つ咲(わら)う。
是に於て陽氣四発し、疫氣自ら能く消散す。
乃ち闔郷の人心に至りても、亦因て以て懽然として和暢し、復た邪慝の内に伏鬱する無し。
蓋し其の戯に近き処、是れ其の妙用の在る所か。


古代中国周の時代から、鬼やらいの儀式は方相氏という役人が執り行ったていたという。
鬼に負けぬ怪物のような姿でもって、その地域の悪疫を追い払う儀礼は、
陰りのない、腹の底からの純粋な陽氣を発散させることで、
地域の人々の心の健全さを保つという。

そこには、伸びやかな歓喜を起こす「楽」を、
一定の厳粛さ、決まり事の中で心身を引き締める「礼」の中に現出させる、
礼楽が合一した妙味があり、これがこのような儀礼に込められた意味であるとのこと。

ここでとりわけ着目されているのは、
陽氣も陰気も、時と場所を選びながら、
陽は陽らしく、陰も陰らしく?あれということである。
陽と陰の調和・バランスが大切なのだ。
陰も鬱も邪も、それそのものが悪であるわけでなく、
伏せられたり、隠されたりすることで、
(同様に、陽も季節外れなら、悪影響を及ぼす)
悪影響を人心に及ぼす、ひいては、集団や社会に悪影響を及ぼす。


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