提一燈。行暗夜。勿憂暗夜。只頼一燈。
“一燈を提げて暗夜を行く。暗夜を憂えることなかれ。只一燈を頼むのみ。” 佐藤一斎「言志晩録」十三条

2011年7月1日金曜日

わたしの(好きな)言志四録 その31

110701

言志録 第31条


今人率(おおむ)ね口に多忙を説く。
其の為す所を視るに、実事を整頓するもの十に一二。
閑事を料理するもの十に八九、又閑事を認めて以て実事と為す。
宜(むべ)なり其の多忙なるや。
志有る者誤って此窠(か)を踏むこと勿れ。


「閑事を認めて以て実事と為す」との指摘は厳しいものがある。
自らの日々の業務にあてはめて、冷静かつ客観的に反省することができるだろうか?

忙しい忙しいと言うのは、自分が無能力であると言って廻っているに等しいと、
重職心得箇条」にもある。
(第8条:重職たるもの、勤向繁多と云う口上は恥べき事なり。仮令(たとえ)世話敷とも世話敷とは云わぬが能きなり。随分手のすき、心に有余あるに非れば、大事に心付かぬもの也。重職小事を自らし、諸役に任使する事能わざる故に、諸役自然ともたれる所ありて、重職多事になる勢あり。)

しかし、ここでの眼目は、多忙でも無能力でもない。

有限な人生において、ひとたび、自らの使命に気づいたら、
そのこと以外に大切な限られた時間を使えるはずがないと叫び声が聞こえるのだ。

多忙を理由に、その人の人生で最も大切な事柄に時間を振り向けることができず、
無為に過ごしていないか、をこそ反省すべきと言われているのだ。

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