提一燈。行暗夜。勿憂暗夜。只頼一燈。
“一燈を提げて暗夜を行く。暗夜を憂えることなかれ。只一燈を頼むのみ。” 佐藤一斎「言志晩録」十三条

2011年7月29日金曜日

わたしの(好きな)言志四録 その59

110729

言志録 第59条




凡そ遭(あ)う所の患難変故、屈辱讒謗(ざんぼう)、払逆(ふっぎゃく)の事は、
皆天の吾(わが)才を老せしむる所以にして、砥礪切嗟(しれいせっさ)の地に非ざるは莫し。
君子は当に之に処する所以を慮るべし。
徒らに之を免れんと欲するは不可なり。



人生の苦労や逆境を、自らの能力を成熟させるための切磋琢磨の修行の場と捉えること。
しかも天が与えた試練と受けとめること。

安岡師「六中観」にある通り、苦中楽有り の境地は、
同様に苦を避けようとする心ではなく、
苦の中に身を任せ、余分な力を抜いて、
「身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ」のように、
苦の力で、我が身を浮き上がらせるよう、
真正面に受けとめようとする覚悟の中にあるのだと思う。

なぜ才を老せしむか。自らの天命に役に立つだけの力を持つためである。
世の役に立って、楽天の域に自らを遊ばせるためである。

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