言志録 第59条
凡そ遭(あ)う所の患難変故、屈辱讒謗(ざんぼう)、払逆(ふっぎゃく)の事は、
皆天の吾(わが)才を老せしむる所以にして、砥礪切嗟(しれいせっさ)の地に非ざるは莫し。
君子は当に之に処する所以を慮るべし。
徒らに之を免れんと欲するは不可なり。
人生の苦労や逆境を、自らの能力を成熟させるための切磋琢磨の修行の場と捉えること。
しかも天が与えた試練と受けとめること。
安岡師「六中観」にある通り、苦中楽有り の境地は、
同様に苦を避けようとする心ではなく、
苦の中に身を任せ、余分な力を抜いて、
「身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ」のように、
苦の力で、我が身を浮き上がらせるよう、
真正面に受けとめようとする覚悟の中にあるのだと思う。
なぜ才を老せしむか。自らの天命に役に立つだけの力を持つためである。
世の役に立って、楽天の域に自らを遊ばせるためである。
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