言志録 第32条
緊(きび)しく此の志を立てて以て之を求めば、
薪を搬び水を運ぶと雖(いえど)も、亦是れ学の在る所なり。
況や書を読み理を窮むるをや。
志の立たざれば、終日読書に従事するとも、亦唯だ是れ閑事のみ。
故に学を為すは志を立つるより尚(かみ)なるは莫し。
思えば学生時代は、まさしく学をしているつもりでいたが
閑事に現をぬかしていたのだと反省する。
閑事を無駄とは言いたくないし、また
今の自らの人生に不必要な経験はしていないという自負もある。
が、閑事は閑事だ。
有限な自らの人生で、真の実事といえるかどうか。
(それでもあえて、
大学に進学する意味を、海を見たい時に実際に観に行ける自由を得るためと
卒業生に伝えた、ある高校の校長さんの言葉には
言いようのない魅力を感じてしまう。)
自らの使命に直結した学びは、
シンプルで、かつ、力強く、
己の心身を筋肉質に鍛え上げてくれるように思う。
そして、思うに、
昔の小学校の校庭に
薪を背負って書を読む尊徳像は、
書を読んでいたのではなく(それでは道を踏み外しそう)、
薪を背負うことそのものが学びであることを
伝えてくれるメディアだったのではないか、
そういうふうに教えられるべきなのではなかったか。
己の使命に生きることを貴しとする気風は、
まさに学びの場である学校において育まれるべきだった。
労働よりも学を尊ぶことではなく、
勤労そのものに学問があることを教え伝える師が必要だった。
その意味で、
今の自分は、
真の意味で 日々学問していると言いたいし、
そう言える 自分でありたい。
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