提一燈。行暗夜。勿憂暗夜。只頼一燈。
“一燈を提げて暗夜を行く。暗夜を憂えることなかれ。只一燈を頼むのみ。” 佐藤一斎「言志晩録」十三条

2011年6月5日日曜日

私の(好きな)言志四録 その5

110605

言志録 第5条


憤の一字は、是れ進学の機関なり。
舜何人(なんびと)ぞや、予(われ)何人ぞやとは、方(まさ)に是れ憤なり。


「憤」ということが、
学問に進む、または学問を進めるために必要不可欠なものとして挙げられる。

孔子の弟子顔淵が「古代中国の名君である舜も自分も同じ人間ではないか、舜にできて自分にできないはずがない」と、自らを鼓舞し発奮激励する。
それこそが、学ぶことに人を駆り立て、またその学びを継続し深化させるためのエンジンとなる。

通常、外に向けた心の動きと感じられる、発憤(発奮)、憤(いきどお)るとは、
しかし、ここでは(本来は、というべきか)自らに向けられている。
「学問」は、学んで「自らに」問うこと、と教わっているのと同じく、

この「憤」も自らに対して、
自分がこの世に生を与えられている意味、
まっとうすべき使命をいまだ果たせてないことへの憤りが必要なのだ。

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