言志録 第47条
君(きみ)の臣に於ける、賢を挙げ能を使い、与(とも)に天職を治め、与に天禄を食み、
元首股肱、合して一体を成す。
此を是れ義と謂う。
人君若し徒(いたず)らに、我れ禄俸を出し以て人を畜(やしな)い、
人将(まさ)に報じて以て駆使に赴かんとすと謂うのみならば、
則ち市道と何を以てか異ならむ。
天下国家を治める君道と
市井の商売たる市道とが対比されているが、
今、商売をし、事業を興す人は、それが、代々継承されているものにせよ、
新規に起業されているにせよ、およそ、ここでいわれている君道にもとづいた
リーダーがいないところは、早晩、マーケットから退場させられているのではないか?
渋沢栄一氏の言う「論語と算盤」は、今、世の中で何らかの価値を提供している
企業家や政治家、官吏にとっても、必須の道具ではないのだろうか?
そのうえで、ここで言われている「義」について。
組織のメンバーが、その地位にかかわらず、
「ともに天職を治め、ともに天禄を食む」
それぞれが、天から与えられた役割を発揮し、
そのための適材適所も妨げられずに登用され、
ふさわしい報酬を天から与えられるものとして受ける。
これは、天を「顧客」と読み替えることで、
企業にも官公庁にも、ここでの「義」が貫かれるべき理由があると思う。
これは、リーダーの如何にかかわらず、
自らの与えられている位置を全うせよという厳しい言葉でもある。
リーダーや親分の恩に報いるために働くのではないのだ。
そういう部下や子分では、
「義」が貫かれる組織のリーダーを育てることはできない。
天から与えられた職分を、上も下も、忠実に私心なく全うすることが求められている。
0 件のコメント:
コメントを投稿