提一燈。行暗夜。勿憂暗夜。只頼一燈。
“一燈を提げて暗夜を行く。暗夜を憂えることなかれ。只一燈を頼むのみ。” 佐藤一斎「言志晩録」十三条

2011年7月17日日曜日

わたしの(好きな)言志四録 その47

110717

言志録 第47条




君(きみ)の臣に於ける、賢を挙げ能を使い、与(とも)に天職を治め、与に天禄を食み、
元首股肱、合して一体を成す。
此を是れ義と謂う。
人君若し徒(いたず)らに、我れ禄俸を出し以て人を畜(やしな)い、
人将(まさ)に報じて以て駆使に赴かんとすと謂うのみならば、
則ち市道と何を以てか異ならむ。


天下国家を治める君道と
市井の商売たる市道とが対比されているが、
今、商売をし、事業を興す人は、それが、代々継承されているものにせよ、
新規に起業されているにせよ、およそ、ここでいわれている君道にもとづいた
リーダーがいないところは、早晩、マーケットから退場させられているのではないか?

渋沢栄一氏の言う「論語と算盤」は、今、世の中で何らかの価値を提供している
企業家や政治家、官吏にとっても、必須の道具ではないのだろうか?

そのうえで、ここで言われている「義」について。
組織のメンバーが、その地位にかかわらず、
「ともに天職を治め、ともに天禄を食む」
それぞれが、天から与えられた役割を発揮し、
そのための適材適所も妨げられずに登用され、
ふさわしい報酬を天から与えられるものとして受ける。
これは、天を「顧客」と読み替えることで、
企業にも官公庁にも、ここでの「義」が貫かれるべき理由があると思う。

これは、リーダーの如何にかかわらず、
自らの与えられている位置を全うせよという厳しい言葉でもある。
リーダーや親分の恩に報いるために働くのではないのだ。
そういう部下や子分では、
「義」が貫かれる組織のリーダーを育てることはできない。
天から与えられた職分を、上も下も、忠実に私心なく全うすることが求められている。

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