110830
言志録 第91条
人の月を看るは、皆徒(いらず)らに看るなり。
須らく此に於て宇宙窮(きわま)り無きの概(がい)を想うべし。
〔乙亥中秋月下に録す〕
一斎先生44歳の年の旧暦8月15日とのこと。
月見は、ただ漠然と見るだけでなく、
感傷的にもなり、花鳥風月を愛でる日本人ならではの情景である。
それは「もののあはれ」でもあるだろうが、
一斎先生は、そこに大自然の真理を感受すべし、と言われている。
「太上は天を師と」(第2条)するのである。
また、それは真理を窮めることの果てし無さ、
宇宙同様の茫漠さを思い知ることにもなる。
それは、月面に降り立っても、月の砂を研究しても、
極め尽せるものではないのではないだろうか。
余分だが、
山本夏彦氏の
「何用あって月世界へ?/月は眺めるものである。」
を思い出す。
たとえ月面に降り立っても、
大いなる宇宙真理への敬意と、己の無力さの自覚が必要と思う。
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