提一燈。行暗夜。勿憂暗夜。只頼一燈。
“一燈を提げて暗夜を行く。暗夜を憂えることなかれ。只一燈を頼むのみ。” 佐藤一斎「言志晩録」十三条

2011年8月31日水曜日

わたしの(好きな)言志四録 その91



110830

言志録 第91条




人の月を看るは、皆徒(いらず)らに看るなり。
須らく此に於て宇宙窮(きわま)り無きの概(がい)を想うべし。
〔乙亥中秋月下に録す〕


一斎先生44歳の年の旧暦8月15日とのこと。

月見は、ただ漠然と見るだけでなく、
感傷的にもなり、花鳥風月を愛でる日本人ならではの情景である。
それは「もののあはれ」でもあるだろうが、
一斎先生は、そこに大自然の真理を感受すべし、と言われている。
「太上は天を師と」(第2条)するのである。

また、それは真理を窮めることの果てし無さ、
宇宙同様の茫漠さを思い知ることにもなる。
それは、月面に降り立っても、月の砂を研究しても、
極め尽せるものではないのではないだろうか。

余分だが、
山本夏彦氏
「何用あって月世界へ?/月は眺めるものである。」
を思い出す。
たとえ月面に降り立っても、
大いなる宇宙真理への敬意と、己の無力さの自覚が必要と思う。

0 件のコメント:

コメントを投稿