提一燈。行暗夜。勿憂暗夜。只頼一燈。
“一燈を提げて暗夜を行く。暗夜を憂えることなかれ。只一燈を頼むのみ。” 佐藤一斎「言志晩録」十三条

2011年9月7日水曜日

わたしの(好きな)言志四録 その98

110906

言志録 第98条




氣に自然の形有り。
結んで体質を成す。体質は乃ち氣の聚(あつま)れるなり。
氣は人人異なり。故に体質も亦人人同じからず。
諸(もろもろ)其の思惟・運動・言談・作為する所、
各(おのおの)其の氣の稟(う)くる所に従って之を発す。
余静にして之を察するに、
小は則ち字画・工芸より、大は則ち事業・功名まで、
其の迹(あと)皆其の氣の結ぶ所の如くして、之が形を為す。
人の少長童稚の面貌よりして、而して漸く以て長ず。
既に其の長ずるや、凡そ迹を外に発する者は、一氣を推して之を条達すること、
体軀の長大にして已まざるが如きなり。
故に字画・工芸若しくは其の結構する所の堂室・園池を観るも、
亦以て其の人の氣象如何を想見す可し。


自然のあらゆる形あるものは、
「氣」の集まり結んだ結果であるという。
まず個人個人の体質そのものが、その「氣」の違いによって異なる。
その個人個人の身体の外に延長して、身体の外に発し結実するあらゆるものが、
個々人の「氣」の形結んだもの=「氣象」であることに想い致すべしと。

字はその人を表し、文は人なり、大なるものから小なる物まで、
「氣」の現れと捉えることで、
自らが、如何なる氣を集め、受け、形作って、外に発するべきかを
反省するべきだ。

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