提一燈。行暗夜。勿憂暗夜。只頼一燈。
“一燈を提げて暗夜を行く。暗夜を憂えることなかれ。只一燈を頼むのみ。” 佐藤一斎「言志晩録」十三条

2011年4月23日土曜日

海水を器に斟み 器水を海に翻せば 死生は直ちに眼前に在り


春の紅白ツートンは、ハナノキとシデコブシ。シデコブシは少しピンクがかっている。




110418
「私と詩吟」 岐阜包容会 渡邊和隆
(静吟ニュース第100号 2011.1.25 全国静吟会発行)

私の詩吟との出会いが、伊藤先生の導
きであったことが、私の幸福だったと心
から思えます。色々と身辺の諸事雑事で
茫然としていた時期に偶々先生に見せて
いただいたのが古びた鶯色の表紙の小冊
子「詩吟と人生」で、その時偶然に目に
留まったのが、呂新吾「呻吟語」でした。
「その心を大にして/天下の物を受け
その心をむなしうして/天下の善を容れ
その心を平らかにして/天下の事を論じ
その心をひそめて/天下のことわりを観じ
その心を定めて/天下の変に応ず」
平易なことばですが、ズシンと腹に響く、
今を歩む心の支えにも、羅針盤として向
かう先の道標にもなってくれる詩との出
会いでもありました。この詩は心の中で
口ずさむ、念ずるだけでも自分に力を与
えてくれます。それを自身のこころざし
の発露として、腹の底から声にして空気
を震わせ、外に発揮できるすばらしさ、
詩吟は私に、他事では得られないものを
齎してくれてます。大切な日々の糧です。


義母が退院されたというが、喜寿を過ぎた身体で、自宅での療養は続くとのこと。
師範代の民謡舞踊で鍛えられた心身にも、無理は禁物とのことで、
近くで寄り添って生活することができないことを大変申し訳なく思う。
お義父さんに頑張ってもらうしかない。




110419
春の嵐のような大雨。


110420
今日のコアバリュー 「素直で謙虚であれ」

お手本は 生まれたての赤ちゃんであろう。
天上からどの親たちのもとに生まれてこようかと眺めている覚えのある人もいるとのことだが、
たしかに命は、赤ちゃんは、時と場と親を選んで生まれてくるのだと思わされる。
逆にいえば、命が授かる、生まれてくるということは、それだけの環境がととのっている、
少なくともその命が、みずからを委ねようと思える場があるからこそ、うまれてくるのだと思う。
そんな赤子は、自らの思うままに、泣き、求め、笑い、眠る。
その役割と能力について、過信もなければ謙遜もないであろう、
ただあるがままを、あるべき姿を、純真に演じるともなく、生きているのだ。
自分の赤ちゃんの時の写真を事ある度に見ると良いとは、先生の言葉だが、
自分の最も素直で謙虚な姿、あるべき役割を飾らずに果たしている姿を見ることができるのだ。
素直になれない、謙虚になれない、といつまでも、みずからの狭い了見で考えた自己実現なぞにこだわる姿を肯定し続けることはできない。
人生は有限なのだ。
天から与えられた命、役割、それを全うすることが、どれだけ貴いことか。




後に聞いた話では、
昼のいつもの散歩で浅間神社を詣でてもどってきた午後3時ころ、
先輩で畏友の 鈴木浩之さんが亡くなられたという。合掌。


110421
詩吟の師匠 伊藤先生より、夕暮れ時に連絡いただく。
兄弟子の鈴木さんが亡くなられたとのこと。
日曜日の発表会でお会いしたのが最後だったと、茫然としてしまった。
以下はこれから練習しようと先日話していた七言律詩。

王維 作  酒を酌んで裴迪(はいてき)に与う    

酒を酌んで君に与う 君、自ら寛くせよ
人情の翻覆、波瀾に似たり
白首の相知、猶お剣を按じ
朱門の先達、弾冠を笑う
草色、全く、細雨を経て湿い
花枝、動かんと欲して 春風寒し
世事浮雲 何ぞ、問うに足らん
如かず、高臥して 且つ、餐を加えんには



110422
追悼 鈴木浩之さん

廣瀬謙 作  櫻祠に遊ぶ

花 開けば、万人集まり
花 尽くれば、一人無し
但見る 雙黄鳥
緑陰、深きところに呼ぶを


頼山陽 作  冑山の歌 

冑山、昨(きのう)、我を送り、
冑山、今、吾を迎う
黙して数う、山陽十(とたび)往返
山翠、依然たり、我れ白鬚
故郷、親(しん)あり、更に衰老
明年、当に復、此の道を下るべし


上の2編は鈴木さんがマスターされ
発表会等でよく吟じられた詩。
これからますます、これらの詩を吟ずるときに鈴木さんのことを偲ぶことになるだろう。

告別式は明日土曜日の午後よりとのことだったが、
業務の都合上出席難しかったので、前日のお通夜に参加させていただいた。
おかげで最後の御顔にお別れをすることがかなった。

当地の通夜式はかなり簡素で、和尚様の読経と焼香、喪主のあいさつで30分ほどで終了する。
20日の午後3時に亡くなられた。享年60歳。
喪主は大学生のご長男。

感慨深かったのは、ちょうど自分が焼香する段になったとき、
丁度、和尚のお経が、「白隠禅師坐禅和讃」を唱え始めたこと。


衆生本来仏なり 水と氷の如くにて 水を離れて氷なく 衆生の外に仏なし
・・・で始まり、
況んや自ら回向して 直に自性を証すれば 自性即ち無性にて すでに戯論を離れたり
因果一如の門ひらけ 無二無三の道直し
・・・
此の時何をか求むべき 寂滅現前する故に 当処即ち蓮華国 此の身即ち仏なり


鈴木さんとの縁は、血縁や地縁、腐れ縁 のようではなく、
学ぼうとする魂が その成長時期に 
偶々 だが 必然に 時と場を同じくさせていいただいたような
徳増先生や伊藤師匠に導かれながらの
まさに道縁というべきか、
真に心の許せる先輩であり、友人であったと今にして思う。
素直になれるし、謙虚そのもの。自分を自分以上に見せる必要がない。

「壮にして学べば 則ち老いて衰えず。老いて学べば 則ち死して朽ちず」のとおり、
これからの私は 学ぶ度に 鈴木さんを想い、共に学び、
吟ずる度に 鈴木さんに想いを馳せ、共に吟じ、かつ鈴木さんに捧げる吟になると思う。
こんなに亡くして哀しい思いをした友人は私には初めてである。


平成14年ごろより 中世鰍(どじょう)之会で
徳増先生の陽明学勉強会に参加させていただいていた。
それは伊藤師匠の自宅で開催されており、
平成16年頃より、ご近所にすんでいらっしゃる税理士の鈴木さんが参加され始めた。
平成17年から共に 陽明学の勉強会とは別の日程で、
岐阜包容会伊藤師匠に入門 山田積善流詩吟を習う。
他方、大湫では 中山道開宿400年を記念する年、
2004年=平成16年から小学校の前身「嶺西舎」の開かれた宗昌禅寺で坐禅会が始まっていた。
平成18年夏、サイバーストークの中田社長参加の頃からは、坐禅の後に、
大人の寺子屋として勉強会も開催、
そんな大湫にも鈴木さんは通ってくださり、
平成19年から20年まで 
宗昌禅寺坐禅会ならびに「嶺西舎」大人の寺子屋に参加していただいていた。
詩吟は共に毎月の例会でご一緒させていただき、
先週は飲んで例会に参加した私を、家まで慣れない山道を送ってくださったのだ。
そして、つい先日の発表会まで一緒に進んできたのだ。

決して自分から表に出る人ではなく、師匠いわく「陰徳を噛みしめる」人であった。
だれも気づかぬところで どれだけの善行をしてみえるのか 
底知れぬ畏れを抱かせる友。
まさに畏友だった。
そして
私の修養にとって、まさに同志だったのだ。と改めて 哀しみを噛みしめる。

明日は、坐禅会。



「海水を器に斟み 器水を海に翻せば 死生は直ちに眼前に在り(言志晩録290条)」



自分に与えられた役割を、鈴木さんのように全うできるように、ひたすら進むのみ。


0 件のコメント:

コメントを投稿