提一燈。行暗夜。勿憂暗夜。只頼一燈。
“一燈を提げて暗夜を行く。暗夜を憂えることなかれ。只一燈を頼むのみ。” 佐藤一斎「言志晩録」十三条

2011年7月31日日曜日

わたしの(好きな)言志四録 その61

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言志録 第61条




一芸の士は、皆語る可(べ)し。


なぜか。
世の為、人の為だからである。

皆 この世に生を受けている者はだれでも、
その人なりの役割を果たすために、今を生きている。(第10条)
その限り、皆、一芸の士である。

とすれば、自らの使命、志は、自分だけのものではない。
語るべし。
他の人のために。
自分が授かった能力の限り、世の為、人の為に尽すべし。

語る能力があり、
一芸に秀でた人物は、他の分野の一芸に秀でた者たちと、
同じ土俵で語り合い、理解し合えるということだ。
自らの一度きりの人生の使命に気づく時、
皆が一芸の士であるのだ。

だから、皆が語る能力があり、語るべきなのだ。
世の為、人の為に、自らの使命を全うする為に。

わたしの(好きな)言志四録 その60

110730

言志録 第60条




古人は経(けい)を読みて以て其の心を養い、
経を離れて以て其の志を弁ず。
則ち、独り経を読むを学と為すのみならず、
経を離るるも亦是れ学なり。




真に学ぶ時、「守・破・離」のプロセスを経る。

経=書物、古典を読むことで、養われる心の深さ、豊かさでもってこそ、
広く世事による実学を通して、書物にとらわれない学びを深めることができる。
師は、先人の遺した書物であり、人=師友であり、大自然=天である。(第2条
自分の生き方は、書物に書いてあるわけでないが、
書物を通して耕された心には、
世間や自然の教えに気づき、受けとめることができる。

豊かな心で感受する、天から与えられたわが命の貴さ。
そこから自らの使命、分限に気づき、それに生きようとする志を弁えることができると思う。

その志の灯りで照らしだされる時、
書物はそれまで見せることのなかった、
新たな姿を現してくれる。
さらに深く自らの心を養ってくれる。

これが
30代前半で出会った本書を、
再び、一斎先生が本書を書き記した年齢になって
読み直す理由でもあり、
意義でもあると思う。

2011年7月29日金曜日

わたしの(好きな)言志四録 その59

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言志録 第59条




凡そ遭(あ)う所の患難変故、屈辱讒謗(ざんぼう)、払逆(ふっぎゃく)の事は、
皆天の吾(わが)才を老せしむる所以にして、砥礪切嗟(しれいせっさ)の地に非ざるは莫し。
君子は当に之に処する所以を慮るべし。
徒らに之を免れんと欲するは不可なり。



人生の苦労や逆境を、自らの能力を成熟させるための切磋琢磨の修行の場と捉えること。
しかも天が与えた試練と受けとめること。

安岡師「六中観」にある通り、苦中楽有り の境地は、
同様に苦を避けようとする心ではなく、
苦の中に身を任せ、余分な力を抜いて、
「身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ」のように、
苦の力で、我が身を浮き上がらせるよう、
真正面に受けとめようとする覚悟の中にあるのだと思う。

なぜ才を老せしむか。自らの天命に役に立つだけの力を持つためである。
世の役に立って、楽天の域に自らを遊ばせるためである。

2011年7月28日木曜日

わたしの(好きな)言志四録 その58

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言志録 第58条




山岳に登り、川海を渉り、数十百里を走り、
時有ってか露宿して寝(い)ねず、時有ってか饑(う)うれども食(くら)わず、
寒けれども衣(き)ず、此は是れ多少実際の学問なり。
夫(か)の徒爾(とじ)として、明窓浄几(じょうき)、
香を焚き書を読むが若き、
恐らくは力を得るの処少なからむ。


学問の為の学問を戒めている。

身体的にも限界の状態を経験することの中で、
真に学ぶことができ、
力をつけることができるとは、
まさしく、「身につく」という身体的経験のことを言っていると思う。

40代でこのことを述べる時、
これまでの経験からの実感、
自らの身に付けた「学力」の感触とともに、
これから将来、身体的経験からも真に学ぶということを、
継続することができるかと、己に問うている。

学び続けることは、すごいことなのだ。

2011年7月27日水曜日

わたしの(好きな)言志四録 その57

110727

言志録 第57条




草木を培植して、以て元気機緘の妙を観る。
何事か学に非ざらむ。


植物を栽培、育てることで、
生命の氣のあり方や、生育のタイミングなど、
大自然の絶妙な機微や、人としての成長の仕方を観察することができる。
学ぶことができる人にとっては、
ひとたび志立ちなば、薪拾いの中にも水汲みの中にも学べることがある(第32条)。

2011年7月26日火曜日

わたしの(好きな)言志四録 その56

110726

言志録 第56条




勤の反を惰と為し、倹の反を奢と為す。
余思うに、酒能く人をして惰を生ぜしめ、
又人をして奢を長ぜしむ。
勤倹以て家を興す可ければ、則ち惰奢以て家を亡すに足る。
蓋し酒之れが媒(なかだち)を為すなり。


穀氣の精である酒(第54条)。
酒は、「勤倹」に反するものではない。
しかし、「心の解放」や「人間関係の潤滑油」など、
酒の効能を云々することはできても、
「惰」と「奢」を助長するものであることを否定できない。

神に奉り、老人に気力を与える酒は、(第55条)
若年・壮年にはまだまだ不必要な薬であるということか。

そうであるならば、
ここは一念発起して、
老年に至るまでは酒を遠ざけ、「勤倹」に専念すべきか?

2011年7月25日月曜日

わたしの(好きな)言志四録 その55

110725

言志録 第55条




酒の用には二つあり。
鬼神は氣有りて形無し。故に氣の精なるものを以て之を聚(あつ)む。
老人は氣衰う。故に亦氣の精なる者を以て之を養う。
少壮氣盛なる人の若(ごと)きは、秖(まさ)に以て病を致すに足るのみ。


「酒は穀氣の精なり」(第54条)
「氣」の精髄であるので、
「氣」そのものである神仏魂魄に相通ずるための媒介(なかだち)となってくれる。
若者もそういう思いで、酒を用いようとするが、大抵、狂ってしまうのみ。
自らの足りない「氣」を補う程度に用いるべきと言われてわかるのは、
痛い目に何度もあってからか。

老人の氣を養うためにこそ、酒は役に立つとは、
敬老会での、老男女の宴席の談笑を見て実感する。

少年・壮年には、勿体ないものなのだ、酒は。
精々、老人鬼神に酒をふるまうべし。

2011年7月24日日曜日

わたしの(好きな)言志四録 その54

110724

言志録 第54条




酒は穀氣の精なり。
微(すこ)しく飲めば以て生を養う可し。
過飲して狂酗(きょうく)に至るは、是れ薬に因って病を発するなり。
人葠(にんじん)、附子(ぶす)、巴豆(はず)、大黄の類の如きも、
多く之を服すれば、必ず瞑眩(めんけん)を致す。
酒を飲んで発狂するも亦猶お此くのごとし。


酒は穀物のエッセンシャル・オイルのようなもので、
劇薬につき、少量を、身体を養うために飲むべきものだという。
暑い夏にビール(これも麦の精か?)をがぶ飲みするのが
楽しみというのは、言語道断ということか。
確かに、二十代、三十代と比べた時に、
飲む量、また、翌朝の回復具合は、年々下がってきているように思える。
四十代は、そういった習慣・嗜好の見直しの時期かもしれない。

結局、酒を酔っ払うために飲むのは良くないということは認めざるを得ない。

2011年7月23日土曜日

わたしの(好きな)言志四録 その53


110723

言志録 第53条




家翁、今年齢八十有六。
側(かたわ)らに人多き時は、神気自ら能く壮実なれども、
人少なき時は、神気頓(とみ)に衰脱す。
余思う、子孫男女は同体一気なれば、
其の頼んで以て安んずる所の者固(もと)よりなり。
但だ此れのみならず、老人は気乏し。
人の気を得て以て之を助くれば、
蓋し一時気体調和すること、温補薬味を服するが如きと一般なり。
此れ其の人多きを愛して、人少きを愛せざる所以なり。
因て悟る、王制に、「八十、人に非ざれば煖ならず」とは、
蓋し人の気を以て之を煖(あたた)むるを謂うなり。
膚嫗(ふう)の謂に非ざるを。
〔癸酉(文化十年)﨟月(十二月)小寒の後五日録す。〕


礼記にある「八十、人に非ざれば煖ならず」を、
人肌ではなく、人の「氣」こそが、人を安心させると解き明かす。
真冬に九十歳近い老父の姿に学びを見出す。

人は、「同体一気」である家族一族のみならず、
「人の氣」に支えられて、その生を全うするものと。

誕生も、その終盤も、人に囲まれ過ごせることの幸せを思う。

そのことを、まさしく人生中盤の四十二歳の一斎先生が書き記していることに、
共感を覚える。

礼記という「経」に学び、老父という「人」に学び、
真冬の一族家族のあり方は、「自然」に学ぶことになろうか。(第二条

天意にかなった人のあり方を、あらゆる師から学び取ろうとする姿がここにある。


昨日訃報が届いた。
瑞浪市の、そして大湫町の歴史を研究され続けた、
江戸屋渡邉俊典翁、八十六歳で天寿を全うされた。

ご冥福を祈念したい。

2011年7月21日木曜日

わたしの(好きな)言志四録 その52


110722

言志録 第52条




社稷(しゃしょく)の臣の執る所二あり。
曰く鎮定。曰く機に応ず。


平時には、内外に心配事なく、落ち着いた日常を送れること。
緊急時には、まさに臨機応変、適切な対応をとれること。

一国を統べる大臣の日常の業務は、
常に今に対して正しく応接できることに尽きるということか。

またこの、鎮定・応機、二つの働きは、国のみならず、
修身、斉家、治国、平天下
どのレベルにも必要とされることに気づく。

わたしの(好きな)言志四録 その51

110721

言志録 第51条




大臣の職は、大綱を統ぶるのみ。
日間の瑣事は、旧套に遵依するも可なり。
但だ人の発し難きの口を発し、人の処し難きの事を処するは、
年間率(おおむ)ね数次に過ぎず。
紛更労擾を須(もち)うること勿れ。


仮に天の使命を得、国家人民の安寧を助ける君主の役割があるとしたら、
その君主が助けに使う道具=鋤(第50条)が大臣であろう。
鋤が鎌の働きをすることはできないし、逆もまたそのとおりで、
鋤には鋤の役割を全うする役目がある。


第一、志ある者には重要事に専念する以外の時間など許されてない(第31条)。


大臣など重職の役割について心すべきことを書き連ねた
「重職心得箇条」が、この10数年後に著されるが、
この長=主を補佐する役割の重要性を教えられる。

それぞれの分に応じた役割、職分が全うされることの重要性が、
幕末の半世紀ほど前に記されていること、
この後、幕末まで書き継がれる四録が、
まさしく変革期における個人のあり方の道標となっていることをおもう時、
天=自然の働きに学び、それに殉じる個人のあり方こそが、
真に歴史を動かすことになると信じることができるのではないか。
最後まで幕臣として生き切った勝海舟や山岡鉄舟をおもう。

2011年7月20日水曜日

わたしの(好きな)言志四録 その50

110720

言志録 第50条




五穀自ら生ずれども、耒耜(らいし)を仮りて以て之を助く。
人君の財成輔相も、亦此れと似たり。


耒耜(らいし)とは、「鋤」のことで、大地自然の働きの、手助けをするためのもの。
鋤を使う人間は補佐役で、あくまで主役は五穀=自然である。
国家人民の営みを手助けするのが、君主の役割だが、あくまで補佐役であるというのだ。
経世済民を担う役割は、やはり補助役なのであって、主役は国家であり、また、その民の生活である。

「奇跡のリンゴ」を実現した木村秋則さんも、
自然の働きの手助けをしただけと言うだろう。
天の働きを、天の意思を、実現する、また、実現が可能になる条件をつくる。
その手助けをする。

天=大自然は、人間を通して、それぞれの人間にそれぞれの役割を託して、
何事かを為そうとしているのか、
大自然の働きそのものの自己実現的な生成展開があるのか、
そんなことも、自然を師に(第2条)、学び感得できていけたらと思う。

わたしの(好きな)言志四録 その50

110720

言志録 第50条




五穀自ら生ずれども、耒耜(らいし)を仮りて以て之を助く。
人君の財成輔相も、亦此れと似たり。


耒耜(らいし)とは、「鋤」のことで、大地自然の働きの、手助けをするためのもの。
鋤を使う人間は補佐役で、あくまで主役は五穀=自然である。
国家人民の営みを手助けするのが、君主の役割だが、あくまで補佐役であるというのだ。
経世済民を担う役割は、やはり補助役なのであって、主役は国家であり、また、その民の生活である。

「奇跡のリンゴ」を実現した木村秋則さんも、
自然の働きの手助けをしただけと言うだろう。
天の働きを、天の意思を、実現する、また、実現が可能になる条件をつくる。
その手助けをする。

天=大自然は、人間を通して、それぞれの人間にそれぞれの役割を託して、
何事かを為そうとしているのか、
大自然の働きそのものの自己実現的な生成展開があるのか、
そんなことも、自然を師に(第2条)、学び感得できていけたらと思う。

2011年7月19日火曜日

わたしの(好きな)言志四録 その49

110719

言志録 第49条




天工を助くる者は、我従うて之を賞し、
天物を?(そこな)う者は、我従うて之を罰す。
人君は私を容るるに非ず。


一旦、天の物としてこの世に生きるのであるから、
天地自然に寄与するか、
それとも天地自然に反するかが問題で、
天の意思に基づいた賞罰が必要である。

そこに人の私心が入らないことで、
賞罰は受け入れられる。

人は、行動するときに
「この人の為に」「この人の為なら」
と心動かされて、駆り立てられることがある。

これを是とするか。非とするか。

大自然の中にある人間のあり方を追求すると、
この人情の働きを越えた判断が求められる。

わたしの(好きな)言志四録 その48

110718

言志録 第48条




天尊(たか)く地卑(ひく)くして、乾坤(けんこん)定る。
君臣の分は、已(すで)に天定に属す。各其の職を尽くすのみ。
故に臣の君に於ける、当に畜養の恩 如何を視て、其の報(むくい)を厚薄にせざるべきなり。


「我れ既に天の物なれば、必ず天の役あり」(第10条)、
この認識が自らの生の前提であり、
天地が天地として定まっている大自然に生きる人間のあり方である。
それぞれが、その職分を全うするのみで、
相手が何をどれくらいしてくれるかの問題ではない。

それぞれがその職分を尽しながら、
それでも起こるべくして起こるのが大自然の変化なのだろう。
来るものは来るし、来ないものはこない。

2011年7月17日日曜日

わたしの(好きな)言志四録 その47

110717

言志録 第47条




君(きみ)の臣に於ける、賢を挙げ能を使い、与(とも)に天職を治め、与に天禄を食み、
元首股肱、合して一体を成す。
此を是れ義と謂う。
人君若し徒(いたず)らに、我れ禄俸を出し以て人を畜(やしな)い、
人将(まさ)に報じて以て駆使に赴かんとすと謂うのみならば、
則ち市道と何を以てか異ならむ。


天下国家を治める君道と
市井の商売たる市道とが対比されているが、
今、商売をし、事業を興す人は、それが、代々継承されているものにせよ、
新規に起業されているにせよ、およそ、ここでいわれている君道にもとづいた
リーダーがいないところは、早晩、マーケットから退場させられているのではないか?

渋沢栄一氏の言う「論語と算盤」は、今、世の中で何らかの価値を提供している
企業家や政治家、官吏にとっても、必須の道具ではないのだろうか?

そのうえで、ここで言われている「義」について。
組織のメンバーが、その地位にかかわらず、
「ともに天職を治め、ともに天禄を食む」
それぞれが、天から与えられた役割を発揮し、
そのための適材適所も妨げられずに登用され、
ふさわしい報酬を天から与えられるものとして受ける。
これは、天を「顧客」と読み替えることで、
企業にも官公庁にも、ここでの「義」が貫かれるべき理由があると思う。

これは、リーダーの如何にかかわらず、
自らの与えられている位置を全うせよという厳しい言葉でもある。
リーダーや親分の恩に報いるために働くのではないのだ。
そういう部下や子分では、
「義」が貫かれる組織のリーダーを育てることはできない。
天から与えられた職分を、上も下も、忠実に私心なく全うすることが求められている。

2011年7月16日土曜日

わたしの(好きな)言志四録 その46

110716

言志録 第46条




土地人民は天物なり。承(う)けて之を養い、物をして各其の所を得しむ。
是れ君(きみ)の職なり。
人君或は謬(あやま)りて、土地人民は皆我が物なりと謂(おも)うて之を暴(あら)す。
此を之れ君(きみ)、天物を偸(ぬす)むと謂(い)う。


これより100年ほど前に、
米沢藩の上杉鷹山公が家督を譲る時の
「伝国の辞」が思い起こされる。
一、国家は先祖より子孫へ伝え候国家にして我私すべき物にはこれ無く候
一、人民は国家に属したる人民にして我私すべき物にはこれ無く候
一、国家人民の為に立たる君にて君の為に立たる国家人民にはこれ無く候
右三条御遺念有間敷候事
天明五巳年二月七日
その鷹山公は、「民の父母にならん」と
細井平洲師より教えを受けたのだった。

君より先に土地人民がある、土地人民のために君が存在するという
この認識の上に、
なぜなら、土地人民は天のものであり、天からの預かりものであると。

これは、藩や国の問題だけでない。
あらゆるレベルでの組織の長、リーダーの弁えるべき原則だ。

さらに、一つの家庭、また、己自身の身体についても、
この真理を感受したい。
第10条にあるように、
「我れ既に天の物なれば、必ず天の役あり」なのだ。
我のみならず、誰でもが天物なのだ。
だから、自らの身体も、自分の恣(ほしいまま)に粗末に扱ってはならないし、
自分の集団を恣意的に方向づけることも天物を損なうことになると自覚すべきだ。

2011年7月15日金曜日

わたしの(好きな)言志四録 その45

110715

言志録 第45条




寵(ちょう)過ぐる者は、怨(うらみ)の招なり。
昵(じつ)甚しき者は、疏(うとん)ぜらるるの漸なり。


根本的な認識の基礎に「無常」がある。
大自然の法則しかり、
そして人情もそうであるのか。

頂点極まったものは、底辺まで転がり落ちる。(第44条)
またその勢いで、再び上まで登るかもしれないが、
頂点が続くわけではない。

そのことを忘れてはならないという、
警告でもあるが、
また、頂点の極みに溺れずに、
常に一新、
変わり続ける工夫が求められている。(第43条

変われるものだけが、変わらずに維持され続くのは、
私たちの生命=身体も同様である。

2011年7月14日木曜日

わたしの(好きな)言志四録 その44

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言志録 第44条




得意の時候は、最も当に退歩の工夫を著(つ)くべし。
一時一事も亦皆亢龍(こうりょう)有り。


これぞ「智慧」と思う。
第34条の「老成の工夫」と思う。

昇りつめた後には、降る道が用意されている。
これは後悔すべきことではない。
必然、必定である。

第43条でいうところ、
改めることで、
変わることはできるのかもしれない。
落ちるのでなく、くだる。
別の山を再び登ることもできるかもしれない。

得意の時に、変化を怖れないこと。
惰性とこだわりから、
いかに自らを解き放つか。

2011年7月13日水曜日

わたしの(好きな)言志四録 その43

110713

言志録 第43条




昨の非を悔ゆる者は之れ有り、
今の過(あやまち)を改むる者は鮮(すく)なし。


反省は、後悔の為にするのではない。
前進する為に、真に学び、己に問い、省みて、
まちがいは間違いと認め、
それを止める、変える、別のやり方をする。。。

誤りを誤りのままにしていることが、成長を止めている。
成長とは、一歩でも自らの使命に近づくこと。
自らの役割を担える自分に近づけていくこと。

朝令暮改は、その集団が成長する為には、欠かせない態度である。
今日の自分を変えることができることが、君子豹変すの意味である。

「大学」にあるという
まことに日に新たに、日々に新たに、又、日に新たなり、と。

毎日が生まれ変わりの機会であり、その機会を活かして、
自らの天命に少しでも肉薄することを目指すのだ。

2011年7月12日火曜日

わたしの(好きな)言志四録 その42

110712

言志録 第42条




分を知り、然る後に足るを知る。


己の役割に気づいたとき、
自分の本分がどこにあるかわかる。
どこまでが自分の職分か、
自分の天分は何か。

それが全うされること、すなわち満足の状態である。
またそれは、己の役割を与えられ、それを担わせていただけるときの感謝の念も。

欲望には限度がない。どこまでいけば満足できるのか。
己の分度=限度がわかれば、それに満足できるというのか?

自分の使命を全うできてないことの、
恥の認識。
天命を全うするまで、これでいいというところはないのではないか。

分を知るとは、身分を弁えることというよりは、
恥を知ること、つまり自らの使命に気づくこと。

足るを知るとは、欲望をおさえた慎ましさより、
自らが存在できることへの感謝の気持、
己の生まれてきた役割を全うできたときの 満足感ではないのだろうか。

2011年7月11日月曜日

わたしの(好きな)言志四録 その41

110711

言志録 第41条




富貴は譬えば則ち春夏なり。人の心をして蕩せしむ。
貧賤は譬えば則ち秋冬なり。人の心をして粛ならしむ。
故に人、富貴に於ては則ち其の志を溺らし、
貧賤に於ては則ち其の志を堅うす。


富貴といい貧賤といい、これは
個人の境遇であるばかりか、
その時々の社会情勢をもいうのだろう。
江戸時代の文化文政の爛熟期に、
人の心の退廃を看破し、
国家としても、武士としても、その使命を見失った状況が
また、一斎先生をして、
本書を書かせることにもなったのかもしれない。

また人生で云えば、春夏を過ぎ、
これから秋冬を迎える厄年を過ぎての心境には、
共感を覚える。

夏と冬の対比に、
はるか四半世紀前の耳に残る
母校新潟県立三条高校校歌を思い出す。

その5番には、

世は柔弱の風ぬるく/咲くや浮薄の花あれど
我は花なき松杉の/冬凛々の気を凌ぎ
夏炎々の日に枯れず/国の柱とそびえばや

と。

バブル絶頂の頃 青年期を過ごすことのできた我々は、
人生の後半生を、
まさに国の貧賤期と同期して過ごすことになるのだ。
覚悟せよ。

今は元治元年(1864年)からはじまる180年の最後60年の下元の時代を、
まさに一回り前の一斎先生言志四録執筆時期を生きていることになる。
ここを越えると、43年後の2044年には、再び上元へと繰り返すことになる。

2011年7月10日日曜日

わたしの(好きな)言志四録 その40

110710

言志録 第40条




愛悪の念頭、最も藻鑑を累(わずら)わす。


一斎先生にして、
人を選ぶのに、好悪の気持がやはり邪魔になったのだろうと
推察される。

人情は大切であるし、これが人の世に潤いをもたらしてくれる。
家族においても、知友においても、
地域においても、国際関係でも、
人の情がないところに、
絆など成立しないのではと思われる。

しかし、その人情によって、
人物鑑定してはならない、判断がくもる。
結局、自他に対してどう客観的になれるかが問われる。

これは
修身、斉家、治国、平天下
どのレベルでも言えるのだと思う。

自分が好きか嫌いか、そんなところを超えた所に、自分の使命はある。
家族の中にも、仲の良し悪しはある。
性格などの好き嫌いも。
そんなものに左右されては育つものも育たない。
地域でもそうだろう。一国のあらゆるレベルの組織においてもそうだろう。

第37条で述べたように、リーダーとしては、
人情をわきまえて、人に接するべしと考え、
しかし、その人情から自由にならないと、
正しい判断ができないと、続けて述べるあたりが、
一斎先生の人間っぽいところで、好きなところだ。

2011年7月9日土曜日

わたしの(好きな)言志四録 その39

110709

言志録 第39条


人の賢否は、初めて見る時に於て之を相するに、
多く謬(あやま)らず。


初めて人を観る。
その時にどれだけ真剣に対するか。
または、
何気なくすれちがう、はじめて言葉を交わす。
その時に素の人物が現れるということか。

「言を察して色を観る」(第38条)。

心の在り方やその人のもって生まれたものは、
表面に如実に表れているのだから、
それを素直に見て、人を判断することが可能であるし、
翻って、自らもそこで判別されていると覚悟するべし。

わたしの(好きな)言志四録 その38

110708

言志録 第38条


心の形(あら)わるる所は、尤も言(げん)と色(いろ)とに在り。
言を察して色を観れば、賢不肖、人廋(かく)す能わず。


人物鑑定は、人が社会で人とかかわることを避けれない限り、
最も重要な素養のひとつに数え上げられるものである。
どんな人物を師とし、友とし、家族とし、志事を共にし、
どんな人物とかかわらないようにするか。

それを判断する手掛かりは、その人自身が見せてくれている。

人に見えるものとして、表に顕れるのは、
その人の容姿であり、発する声や言葉である。
その見える物を通して、見えないものへの思いをはせて、
言葉や顔色から、その人の本質を見抜けないようではいけないと。

わかっていたはずの、みえていたはずのものに、
なぜもっと早くに気づかなかったのか、
その反省を通して、
さらに人物鑑定の鍛錬を深めるべし。

2011年7月8日金曜日

わたしの(好きな)言志四録 その37

110707

言志録 第37条


能く人を容るる者にして、而(しか)る後以って人を責むべし。
人も亦其の責を受く。
人を容るること能わざる者は人を責むること能わず。
人も亦其の責を受けず。


これも先生反省の弁と受けとめる。

自分を認めてくれていると思える人の忠告は
受け入れやすいが、
人から認めてもらえてないと決めつけている時、
その相手の言うことを聞き入れることは難しい。

それが人情というもので、
その人情を超越して、
人とはこうあるべきだと考えている人、
客観的に自他を見ることができる人には、
自分も含めてなかなか出合えない。

第35条のように、人を容れることにも明暗がある。
その明暗を超越できる人でないと、
能く人を容れる者とならないのだ。

また、なぜ人を責めるのか?
たいていは、自分も含めた周りの人が
迷惑や被害を被る可能性ありと認めた時ではないのか?
その人のことを考えて、その人の立場になって、責めることよりも、
いうなれば、その人自身よりも、その周りの立場を、
個よりも全体を考えて、人を責めるのではないか。

責められた方は、そこに思い至れば、その指摘を受け入れることができるのではないか。
何が言われているかが問題であり、
誰が言ったかは、本来問題にしてはならない。
しかし、何が、よりも、誰が言ったかに、左右されるのが
人情なのだ。

その人情をわきまえよと、一斎先生は反省したのではないか?

2011年7月6日水曜日

わたしの(好きな)言志四録 その36

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言志録 第36条


人の言は須らく容れて之を択ぶべし。
拒む可からず。
又惑う可からず。


これもその人の度量、器量の問われるところ。
まず、受け入れる。

まず、「はい」と受けて、それから、判断する。
出来るか出来ないか。
正しいか正しくないか。
好きか嫌いか。

判断する前に、または、即断する前に、
断って、戸ピッシャン ではいけない。

まず、受ける。躊躇しない。

択ぶ基準はもう決まっている。
だから迷うことはない。

ためらうことなく受け、
迷わずに判断する。

この言葉、思うに
壮年時代の一斎先生の反省から来ている言葉ではないか?

頂点に立つ人ほど他からの攻撃受けやすい。
また、上役からの目も厳しいだろう。
期せずして敵にしてしまったり、
相手に誤解されることが多かったのか?

2011年7月5日火曜日

わたしの(好きな)言志四録 その35

110705

言志録 第35条


物を容るるは美徳なり。
然れども亦明暗あり。


人には、その人なりの度量があり、
その度量の範囲で、
世事や人や物事を受け入れることで、
人の人生は形作られる。

何でも受容できる懐の大きさは、
その人の魅力でもあるし、
まさしく美徳ではある。

自分の器の大きさの中で、
受け取ることのできる物は何か。
極上のピンから最悪のキリまで。
どんな範囲の物でも、容れることのできる度量、
それは、その人の徳である。

その玉石混淆の物は良くも悪くも人生に影響を与える。
物を容れることで良くもなれば、悪くもなる。
その振れ幅そのものが、その人の人生の幅なのだろう。
それを受け入れられる限度が、まさしくその人の徳である。

どうやって器を大きくするか。
学問しかない。
修養しかない。

器が大きくなればなるほど、
自らの天命の活かされる範囲が広がるのだと思う。

2011年7月4日月曜日

わたしの(好きな)言志四録 その34

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言志録 第34条


少年の時は当に老成の工夫を著すべし。
老成の時は当に少年の志気を存すべし。


40代が老成の年代であれば、
その40代のアドヴァイスを、少年は受け入れるべし。
若さが特権の少年だからこそ、わずかばかりの気配りが功を奏するのだ。

一斎先生お気に入りの対比の妙もあるが、
これはまさに40代の
少年でもない、老成もしてない、
そのような状態の時に実感することかもしれない。

もう少年ではない、だが、あの時の勢い、初心を失ってはならない。
まだ老成してない、だが、若い時に失敗した教訓を忘れてはならない。

五十代後半から八十代まで書き続けられた、
後の三冊と比べた時に、
四十代に書かれた 最初の 言志録の
直截的・直感的な書かれ方に、多少 違和感を覚えることがある。
同様の内容について書かれても、
後の三冊の方が、練られている印象がある。

言志録第29条「大徳は閑を踰えざれ。/小徳は出入すとも可なり。/此を以て人を待つ。/儘好し。」
では、人に具わる徳の大小にこだわりが見受けられるが、

後録第33条「春風を以て人に接し/秋霜を以て自ら粛す。」の簡潔さには、
まさしく 人の徳の大小を云々しない、「老成の工夫」が見受けられる。

2011年7月3日日曜日

わたしの(好きな)言志四録 その33

110703

言志録 第33条


志有るの士は利刃(りじん)の如し。百邪辟易す。
志無きの人は鈍刀の如し。童蒙も侮翫(ぶかん)す。


ひとたび天命に気づき志を立ててからは、
よこしまな道に立ち寄っている暇のないことは、
32条の通り、毎日が学びの連続なのだから、
日常の一挙手一投足に 誠が 表れなければならないし、
真の学びは、そこに邪悪の入る隙間を与えない。

一斎先生は、利刃/鈍刀、百邪辟易/童蒙侮翫と、
対比の妙を好まれるが、

子どもに馬鹿にされるとは、
幼長に関係なく、他人に対して、
後ろめたい心がおこることと捉えたい。

ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ

ここには 童蒙侮翫をものともしない、
精神の充実のみが、(充実しているが、「空」である)
感じられる。

2011年7月2日土曜日

わたしの(好きな)言志四録 その32

110702

言志録 第32条


緊(きび)しく此の志を立てて以て之を求めば、
薪を搬び水を運ぶと雖(いえど)も、亦是れ学の在る所なり。
況や書を読み理を窮むるをや。
志の立たざれば、終日読書に従事するとも、亦唯だ是れ閑事のみ。
故に学を為すは志を立つるより尚(かみ)なるは莫し。


思えば学生時代は、まさしく学をしているつもりでいたが
閑事に現をぬかしていたのだと反省する。
閑事を無駄とは言いたくないし、また
今の自らの人生に不必要な経験はしていないという自負もある。
が、閑事は閑事だ。
有限な自らの人生で、真の実事といえるかどうか。
(それでもあえて、
大学に進学する意味を、海を見たい時に実際に観に行ける自由を得るためと
卒業生に伝えた、ある高校の校長さんの言葉には
言いようのない魅力を感じてしまう。)

自らの使命に直結した学びは、
シンプルで、かつ、力強く、
己の心身を筋肉質に鍛え上げてくれるように思う。

そして、思うに、
昔の小学校の校庭に
薪を背負って書を読む尊徳像は、
書を読んでいたのではなく(それでは道を踏み外しそう)、
薪を背負うことそのものが学びであることを
伝えてくれるメディアだったのではないか、
そういうふうに教えられるべきなのではなかったか。

己の使命に生きることを貴しとする気風は、
まさに学びの場である学校において育まれるべきだった。
労働よりも学を尊ぶことではなく、
勤労そのものに学問があることを教え伝える師が必要だった。

その意味で、
今の自分は、
真の意味で 日々学問していると言いたいし、
そう言える 自分でありたい。

2011年7月1日金曜日

わたしの(好きな)言志四録 その31

110701

言志録 第31条


今人率(おおむ)ね口に多忙を説く。
其の為す所を視るに、実事を整頓するもの十に一二。
閑事を料理するもの十に八九、又閑事を認めて以て実事と為す。
宜(むべ)なり其の多忙なるや。
志有る者誤って此窠(か)を踏むこと勿れ。


「閑事を認めて以て実事と為す」との指摘は厳しいものがある。
自らの日々の業務にあてはめて、冷静かつ客観的に反省することができるだろうか?

忙しい忙しいと言うのは、自分が無能力であると言って廻っているに等しいと、
重職心得箇条」にもある。
(第8条:重職たるもの、勤向繁多と云う口上は恥べき事なり。仮令(たとえ)世話敷とも世話敷とは云わぬが能きなり。随分手のすき、心に有余あるに非れば、大事に心付かぬもの也。重職小事を自らし、諸役に任使する事能わざる故に、諸役自然ともたれる所ありて、重職多事になる勢あり。)

しかし、ここでの眼目は、多忙でも無能力でもない。

有限な人生において、ひとたび、自らの使命に気づいたら、
そのこと以外に大切な限られた時間を使えるはずがないと叫び声が聞こえるのだ。

多忙を理由に、その人の人生で最も大切な事柄に時間を振り向けることができず、
無為に過ごしていないか、をこそ反省すべきと言われているのだ。