110707
言志録 第37条
能く人を容るる者にして、而(しか)る後以って人を責むべし。
人も亦其の責を受く。
人を容るること能わざる者は人を責むること能わず。
人も亦其の責を受けず。
これも先生反省の弁と受けとめる。
自分を認めてくれていると思える人の忠告は
受け入れやすいが、
人から認めてもらえてないと決めつけている時、
その相手の言うことを聞き入れることは難しい。
それが人情というもので、
その人情を超越して、
人とはこうあるべきだと考えている人、
客観的に自他を見ることができる人には、
自分も含めてなかなか出合えない。
第35条のように、人を容れることにも明暗がある。
その明暗を超越できる人でないと、
能く人を容れる者とならないのだ。
また、なぜ人を責めるのか?
たいていは、自分も含めた周りの人が
迷惑や被害を被る可能性ありと認めた時ではないのか?
その人のことを考えて、その人の立場になって、責めることよりも、
いうなれば、その人自身よりも、その周りの立場を、
個よりも全体を考えて、人を責めるのではないか。
責められた方は、そこに思い至れば、その指摘を受け入れることができるのではないか。
何が言われているかが問題であり、
誰が言ったかは、本来問題にしてはならない。
しかし、何が、よりも、誰が言ったかに、左右されるのが
人情なのだ。
その人情をわきまえよと、一斎先生は反省したのではないか?
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