提一燈。行暗夜。勿憂暗夜。只頼一燈。
“一燈を提げて暗夜を行く。暗夜を憂えることなかれ。只一燈を頼むのみ。” 佐藤一斎「言志晩録」十三条

2011年3月28日月曜日

直感を信頼できるくらい 素直で謙虚であれ

3月25日

あれから2週間経った。
職場での、日中の照明なしとエアコンなしは続いている。ウォームビズどころでない、防寒対策でのオフィス仕事にも違和感はない。
3・11以降、自分たちのあり方が変わらなければならないと、思い続けているが、何を変えていけばいいのか。
この節電も その一環となっていると思うが、キーワードの一つは、「知足」なのだろうと思っている。
足るを知る、分限をわきまえる、今あることが当り前でないこと、そのことへの感謝、
自分が生を受けた理由、使命の自覚と、それに忠実になること。

職場で継続している、コアバリューについて、みんカラというサイトのブログに書く。


ツイッター上で高橋源一郎さんや内田樹さんが紹介してくれた、
藤波心さんという自称B級アイドルの中学生のブログを知る。

「地震発生以来・・・もっとも知的な文章」とのことで、期待して読んだが、その通りと思う。
この「知的」というのは、10代前半の彼女の直感に正直なところなのだと思う。そして、この直感は正しいのだ。

地震発生の前まで、しかも例えば新潟長岡中越大地震の時の柏崎刈谷原発がどうだったかにも無関心なままで、原発について考えていたのは、
(そう、偶然にも、考えていたのだ)人類には、少なくとも、この日本では、原発は必要なのだと、ただし、火の扱いは、その火を、確実に管理できるよう、制御できるようにならなければならないし、人間にそれができるならば、原発は必要だし、今後もそれに頼っていくのだと。
CO2排出削減のためにも原発は有効、わが瑞浪の地下深くでは、廃棄物の安全な管理方法が研究されているとのこと。

今、大自然の動き、はたらきに対して、謙虚に向き合おうと考える時、人間にできることはあまりに無力ではないかと感じる。
地震や津波、放射性物質という自然に対して、それを管理したり制御できると考える人間の愚かしさを切実に感じるし、
人間には事故やミスなど必ずありうると考える時、これは人間を悲観しているわけではなく、
そういうときにフォローし合えるところこそが人間の最大の美徳とも感じるが、
そんな人間に責任もって扱える対象なのか、原子力というものは。
傲慢さは、やはり改めなければならないと切に感じる。

自分たちのありかたが変わらなければならないということは、
自然と人間との関係を見直すことになるのだ。


3月26日

会社では、朝礼に毎日、18あるコアバリューから今日のコアバリューを選んで、それについて話をし合っているのだが、
土曜は、少人数の出勤なので、より「コア」な話に展開していくのが常である。
今朝のコアバリューは、
「チャレンジすることでの失敗、迷惑を恐れず、あきらめない」

サッカーで途中までのパス回しは素晴らしいが、最後にシュートを狙えないでは、ダメなので、仲間を信頼して、チャレンジして行こうとか、
お客様の満足を得るのが最終目的なのだから、急な頼みごとの仕事も迷惑と思わずに、快く受け入れてほしい、
・・・などと話すのが常であるが、
今日の参考になった話は、社長のひとこと。
チャレンジさせてもらえるのは、当たり前なことではない。そのこと自体に感謝すべき。
さらに、あきらめない、がこのフレーズの肝であること、
チャレンジするのは、他の道を捨てて、この道を選んでいるから。
その決断こそが、チャレンジからあきらめず成功するまでの、エネルギーであると再認識させられた。


今日は、新潟から弟家族5人御一行様が車で遊びに来る日だった。午後3時ごろには、こちらに到着していたが、
こちらは土曜勤務で、しかも、夜は、月に一回、このところは第4土曜日におこなっている、坐禅会の日。

すでに長時間運転の後で一杯はじめていた弟家族は誘わずに、いつものようにお寺に向かった。

大湫町に一つあるお寺は、宗昌寺という臨済宗のお寺で、大湫小学校の前身「嶺西舎」あったところ。
7年前、大湫に中山道の宿場が開かれて400年の記念にと、まちづくりに携わる者たちの修養のためにお寺で坐禅会をやることになった。
やってみてはじめてわかったのは、警策(あの「喝っ」と肩や背中叩くやつ)もって、まわっていただく導師様のほうが、坐っているほうより大変なのではないかということ。
この岐阜県東南部、東濃地域では、多治見の虎渓山永保寺以外には一般で坐禅できるところはここしかない。
そうだからではないが、地元の人間よりも他町・他市の参加が多いかたちで、毎回10人ほどで、細々と続けたきた。
ところが、今日は、最近通い始めた息子と自分の2人だけだった。
春の送別会など、いろいろ忙しかっただろうか?
先月と同じ位、いやそれ以上冷えた本堂での坐禅だったが、
この、大湫に灯した一燈を、あきらめずに 続けていられることに感謝している。

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