提一燈。行暗夜。勿憂暗夜。只頼一燈。
“一燈を提げて暗夜を行く。暗夜を憂えることなかれ。只一燈を頼むのみ。” 佐藤一斎「言志晩録」十三条
“一燈を提げて暗夜を行く。暗夜を憂えることなかれ。只一燈を頼むのみ。” 佐藤一斎「言志晩録」十三条
2011年4月5日火曜日
自利利他 「そうだったらいいのに」をカタチにする一歩一歩の努力
3月28日
今、昼間、歩いている。
自分の身体のために、運動したほうがよいと言われ続け、思い続けてきたが、
職場に通勤するよりも前の朝の時間、また、帰宅後の夜の時間、どちらにしても
わずか30分の時間を作り出すことができなかった。食事の前に歩いたり運動するとダイエットにもよいと聞かされ、
ふと、そういえば昼の弁当の前の時間をつかえないかと考えてやってみたら、ことのほか調子が良かった。
食事している時でも電話などで呼ばれることがあるが、外に出かけるので、仕事に追いかけられることがないのも、
思わぬ副産物で、精神衛生上も、実によい、気分の転換を図れることになった。
最初のうちは、近くの国道沿いのコンビニ通いを続けたが、最近は、中山道沿いの田園地帯が散歩コースだ。
一帯の地域は圃場整備された田んぼと農道、転々と住居があり、土が動き始めるように感じられるこの季節は、
格別気持がよい。土地の産土神「浅間神社」がちょうど散歩の折り返し地点で、なるべく車道よりも農道を歩いている。
NHKTV プロフェッショナルでの印象に残った言葉。。。
「批評家にはなるな。いつも批判される側にいつづけろ」
「自分のためでなく、他人のためにはたらけ」
3月29日
ワールドカップにでられなかったカズさん(一歳上で、呼び名は他人とは思えないので、いつも呼び捨て、または、キングを頭につけて呼ぶが、今は敬愛の念から、さんづけしたい)が、勝負を超越したゴールを決めてくれた。
おそらくドーハの悲劇以上の悲劇にフランスで直面したうえで、それからの年月をどれほどひたむきに、愚直に過ごして来られたのか、
そんな、これまでの軌跡を想像させてくれるような、素晴らしいゴールだった。
現役であり続けることの、凄み。というか、潔さ。
生き続けることのシンプルさ。
ただただ敬意と感動を覚えさせていただいた。
3月30日
仏教で 「布施の三忘」というものがあるそうだ。「空海! 感動の人生学」(大栗道榮氏・中経出版)より。
何を、誰に、施したか。その施したことそのものも忘れよとのこと。
それを弁えないと、貪欲の罪に陥ってしまう。
「陰徳」というものは、見返りを求めないもの。
同じ本で野口英世のことば「忍耐は苦し、されどその果実は甘し」。
忍耐という木を育てるのは、長い期間を要し、その苦労は並大抵ではない。
だが、いつ実るかわからないが、必ず実るその味は格別に甘いものだ、とのこと。
3月31日
同じく大栗道榮氏の本より。
「座って、『めいそう』に入ったとき、『坐』の字を思い浮かべていただきたい。
私は生きている。自分をとりまいている父母、兄弟、子、友人、会社の人達によって生かされているのか、
と考えたとき、私は、私と背中合わせに坐っている仏に生かされていることに気づく。
そうして、自分の個性や特長を生かして世のためにつくそうと決心したとき、
あなたの心は一つに決まるのである」、と。
4月1日
徳増先生講義録 於サイバーストーク
辛卯の年、3月7日から二黒土星が南に出た後の 11日に起こった大震災。
二国土星の国、「日本(ちなみに五黄土星が朝鮮半島、八白土星が中国)が、覚悟を持って本気を出さねばならぬときに到った。」
今回の天災ならびに人災に臨んで、周囲からの支援は、まさにいまだこれまでの陰徳が功を奏している現れ。
過去を捨て、ゼロ=無からスタートするチャンスであり、
ゼロになったことを覚悟せよ。
五十にして天命を知る、の境地。
計算しないからこそ、天道に入ることができる。
『中庸』より
天の命ずる 之を性と謂い、性に率う 之を道と謂い、道を修むる 之を教と謂う。
(来月に続く)
4月2日
月に一度の 家族での掃除。家の後ろにそびえる 100段石段上の白山様。
4月3日
金毘羅様の例祭。(自分は消防団入退団式出席のため参加できず)
なぜ、山の尾根づたいにある宿場町に 船の神様の金毘羅様があるのか。
(中には、そんな関係のない神社のお祭りをする必要があるのか、との声もあるらしい。)
北の深い谷を流れるのが、木曽川。そこを流れる東濃檜をはじめ、木曽の材木たち。
この地には江戸時代の 白木番所があり、船との縁が濃かったので、
その歴史を今に残すのは、
白木番所跡の案内看板よりも、この地で、毎春、花見の時期(最近は少し早目になってしまった)に催される
小さなお祭りなのだ。
4月4日
通勤時のFM岐阜から、平原綾香さんのアカペラ・ジュピター。
5分間ほど、息づかいも、感じさせながらの熱唱に、運転中だが、涙あふれてきた。
今、多くの意識が東北に焦点を結びながら、
皆が、それは日本の皆がであり、世界の皆が、東北に思いを寄せながら、
自らもが同じく、ゼロからのスタートの歩みを始めているのだ。
またしても プロフェショナル。三戸岡鋭治氏。
新幹線や電車ほか公共デザインをてがける氏にとって、
「デザイナーは公僕」であるそうだ。
人々のコミュニケーションを生み出すための公共空間の質の高さこそが、
その国の、民度の質の高さを表している、との言葉に、
その公共空間のあり方こそが地域の風土であること、
そういった地域デザインに求められる水準の高さと、
そのデザインをてがけるものに要求される精神性をこそが、
本物の風土を作り上げていくはずとの思いを新たにさせられる。
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