提一燈。行暗夜。勿憂暗夜。只頼一燈。
“一燈を提げて暗夜を行く。暗夜を憂えることなかれ。只一燈を頼むのみ。” 佐藤一斎「言志晩録」十三条

2011年3月10日木曜日

志ネットワーク 青年塾

43歳を迎える今年の年頭 誓ったことに、「環境整備、減量、青年塾」がある。

最初の二つは 去年も その前も、かなり前からの課題だが、最後の「青年塾」は、
すでに、入塾の締め切りが過ぎてしまっており、都合 私の今年の年頭所感は、三月ともたずに、破綻してしまったことになるかもしれない。

青年塾は、永年松下政経塾に関わられていた上甲晃氏が始められて、今年15期目に入るもので、国内を5ブロックにわけて20代から40代の男女が20名前後集って15ヶ月間研修を共にするものだ。
昨年より縁あって、メルマガツイッターを介して毎日、上甲先生のことばに触れる機会を得ている。その中で、ある日のメルマガに、しびれたのだ。そこには、

「日本を救おう」と思うと権力が欲しくなったり傲慢になる
そうではなく、自分自身がただ
「日本の救い」になるような自分になるべきではないか
あせらず
人を恨まず
ただ、淡々と自分にできることを積み重ねていくことが、やがて大きな流れになる

とあった。そうだ、自らに恃むとは、こういうことなのではないか。胸が熱くなり、その日一日、職場のパソコン画面に向かいながら、内側から力のあふれる思いを感じさせていただいた。
「そうだ、青年塾に入ろう!」と今年の年頭に思い立ったのだ。後厄がこの節分で明ける、まだまだ自重は肝要だが、地力をつけたいとの思いと、何か、同じ想いの仲間を作りたい、そういう念願が、「青年塾に入る」ことに私を駆り立てたのだ。
上甲先生は、志ネットワークという全国組織を定年後に立ちあげられ、そこでの ひとそだての場が「青年塾」なのだ。

募集要項を取り寄せると、2月に説明会が名古屋であり、その前に、現役14期の塾生の地区別講座があり、外部の参加も可能だという。しかも、会場は、恵那であり、加子母だというわけで、そこにまず、参加させていただくことにした。
途中参加だったが、ドカ雪の降った2月の連休に、加子母の宿泊施設を訪ねて、参加させていただいた、クラス講座、そして、その後にあった入塾説明会は、実に充実しており、感動的で、
ほとんど気分は 15期生の渡邊です、と自己紹介しそうな勢いを、私にもたせてくれた。

ここには、こころざし、おもいを同じくする、師と友がある、それを自分が享受できる幸せは、これからの自分の生涯に確実にプラスの恩恵を齎してくれると確信できた。
江戸末期 大分の日田に桂林荘(後の咸宜園)という私塾を開いていた廣瀬淡窓が、「諸生に示す」で謳った世界がそこにあるという思いは、そこで過ごす日々の楽しさを感じさせてくれるに十分だった。

上甲塾長先生とのご縁を活かすべく、青年塾とのご縁を活かすべく、
自らの近傍に、例えば、すみかの大湫の地、釜戸にある子どもの学校、恵那にある会社、
もちろん他にも縁を結んでいる土地があり、それらの自分がかかわる地や人にもっと積極的に、自分から働きかけること、
身の回りに 師友を求め、一隅を照らすことができるようになることが必要ではないかと思い至るようになってきたのが最近の心境だ。

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