昨日の義塾嶺西の講義記録続き
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クロモジ開花はもう少し先 |
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中山道大井宿甚平坂から御嶽山を望む |
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アセビは満開 |
・明日のために昨日を捨てよ(牛尾治朗ウシオ電機会長『致知』巻頭の言葉)
「過去の成功に安座することなく、昨日を捨てて明日に生きる覚悟を持って道を切りひらいていかなければなりません。」
・捨てるからこそ、新しいものが入ってくる。
・過去を捨てるとは、過去にこだわらないことである。
・過去にこだわらないということは、過去に真理を学ぶ、また、先人に真理を学ぶこと。
・自分を捨てること=信ずることが、先。
・信ずれば道が開く。それが運命であり、使命である。
・信じきること。信力=信仰。切れのよさとは、こだわらないこと。
・感じたら、まず動くこと。
昨日し残しの仕事あり(ヤリヌキ失格!)、本日、出社することに。
但し、午前中は家族との時間もあり(寝坊したのは確かだが、棲家の後ろの山にある白山様の月に一度の家族清掃で家族6人で石段百段登って最上部の清掃)、
午後から出社、しかも普段の平日にはなかなか挑戦できない 徒歩での通勤。
(こんな時だからこそ、あえて挑戦。これも週末に仕事を残したおかげ。春の日差しも、おっくうがる体を後押ししてくれた。)
といっても、20キロ弱あるので、徒歩区間は、JR釜戸駅までの約4キロの下り45分と、JR恵那駅からの約5キロ45分。
車でいつも30分たらずのところを約2時間かけて通ってみた。
帰りは、同僚に駅近くのスーパーまで送ってもらい~追いかけてきてくれたのだ。伊藤さん有難う!、
釜戸駅からの上りは、
知ってか知らずか「スーパームーン」(3月11日以前にはこうレポートされてもいた)のちょうど登る後ろから道を照らしてくれるおかげで、
午後8時の暗い山道を、懐中電灯なしで、歩き通すことができた。
登り50分の道のりで追い越して行った5台の車は薄情者ではもちろんなく、
ダイエットで歩いているなと、「あえて」車を止めることもせずに通り過ぎて行ったはず。
(帰って妻に話したら、夜道で人を車に乗せるなんてブッソウで出来るわけがないと一蹴された。そういう世間なのだ。)
燃費の悪い車に乗っているので、平日にこの経験を生かして、徒歩通勤を励行できればと考えたが、やはり片道2時間は時間がかかりすぎると断念。
ただし、いつでも歩けるという、心と体の準備ができたのは大収穫。
さて、歩きながら考えたこと。
大湫宿の本陣跡にある、旧大湫小学校の校舎について、今回の被災者の家族に使ってもらうことはできないか?
調理室も、シャワーもトイレも完備されている。
耐震補強がなされてない建物で、閉校後6年たったが、後利活用の決定案が出てない様子。
「青年塾」のような、学びの場に活用できないかと考えているが、
今、自分たちにできることを考えた時、
疎開ではないが、わが町に、人をお迎えするチャンスでもあり、
超深層研究すすんでいるわが瑞浪市としても、ここは、
市営住宅もそうだが、地科学研究の立派な研究宿舎ともども、旧大湫小校舎も
利用に供することができるのではないか?
お見えになった方々の御世話をさせてもらうのも、
今回の大震災の経験を他山の石として自らに活かすことにつながるのでは。
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