提一燈。行暗夜。勿憂暗夜。只頼一燈。
“一燈を提げて暗夜を行く。暗夜を憂えることなかれ。只一燈を頼むのみ。” 佐藤一斎「言志晩録」十三条

2011年6月7日火曜日

私の(好きな)言志四録 その7

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言志録 第7条


立志の功は、恥を知るを以て要と為す。


自らの使命に生きようと決意する時、その使命に対して本当に自分が相応しいかどうか
悩み苦しむ、これは、「恥」の意識と思う。
自分の天命に相応しくない、現在の自らのあり方にたいする、憤り。
誰に対して恥ずかしいか、世間や他人に対してではない。
自分に対しての恥、それはすなわち、自分に生を与えた天に対する恥。
自らの良心に対する恥と言えるかもしれない。

志を立てることによって得られる功徳の中心は、恥を知ることである。
もしくは
志を立てるための工夫としては、恥を知ることが肝要と教えている。

2011年6月6日月曜日

私の(好きな)言志四録 その6

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言志録 第6条


学は立志より要なるは莫し。
而して立志も亦之れを強うるに非らず。
只だ本心の好む所に従うのみ。

「志」というのはどのようにして個人に生まれてくるのか、よくわからない。
「夢」のことか? 「目標」のことか?

今の私の考えでは、志とは、自らの使命に生きようとする決意と思う。
自分がこの世に生命を与えられて誕生し、生きている理由、
天が命じている 自らの役割。天命?
これが何ものか、それに気づくのも自らの人生の中での
大変重要な使命なのではないかと思う。
本当の自分、自らの良心。そこから引き出せる、自らの天命。

志すなわち、本心の好む所とは、自らの良心に従う時にしか見いだせない
自分の使命、そのことと考えられる。

使命に気づくためにも、学ぶことが必要だ。
学ばねば、自分の志もわからないまま、一生を過ごすことになるかもしれない。

自らに対して、自分がこの世に生を与えられている意味、
まっとうすべき使命をいまだ果たせてないことへの憤りが、
学びを進める力になると同様に、

自らの使命に気づくこと、立志のためにこそ
学ぶ意義がある。
本当の自分が求めるところに従った学びのみが大切なのだ。

2011年6月5日日曜日

私の(好きな)言志四録 その5

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言志録 第5条


憤の一字は、是れ進学の機関なり。
舜何人(なんびと)ぞや、予(われ)何人ぞやとは、方(まさ)に是れ憤なり。


「憤」ということが、
学問に進む、または学問を進めるために必要不可欠なものとして挙げられる。

孔子の弟子顔淵が「古代中国の名君である舜も自分も同じ人間ではないか、舜にできて自分にできないはずがない」と、自らを鼓舞し発奮激励する。
それこそが、学ぶことに人を駆り立て、またその学びを継続し深化させるためのエンジンとなる。

通常、外に向けた心の動きと感じられる、発憤(発奮)、憤(いきどお)るとは、
しかし、ここでは(本来は、というべきか)自らに向けられている。
「学問」は、学んで「自らに」問うこと、と教わっているのと同じく、

この「憤」も自らに対して、
自分がこの世に生を与えられている意味、
まっとうすべき使命をいまだ果たせてないことへの憤りが必要なのだ。

2011年6月4日土曜日

私の(好きな)言志四録 その4

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言志録 第4条


天道は漸を以て運(めぐ)り、人事は漸を以て変ず。
必至の勢いは、之を卻(しりぞ)けて遠ざからしむる能(あた)わず、
又、之を促して速かならしむる能わず。


天然自然の成り行きも、人の世の移り変わりも、
出し抜けに、急に生起するものではなく、
着実に、一歩ずつ、しかし 遅すぎもせず、早すぎもせず、
なるようになるものだ。
この認識は、
すべてのことが、避けようなく、起こるべくして起こることゆえ受け入れよと命ずる。
あらゆることを 時間が解決してくれる という安心感をもたせてくれる。
自らが、天道にのっとり、人道にそむかずに、ひたむきに生きてさえいれば。

2011年6月3日金曜日

私の(好きな)言志四録 その3


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言志録 第3条


凡そ事を作(な)すには、須らく天に事(つか)うるの心有るを要すべし。
人に示すの念有るを要せず。


自分の為にではない。他人の為でもない。
人がこの世に生を受けて為すべきは、天の意を汲み取り、天命に生きること。

毎日 身内だけでなく他人を相手にしながら、
人に注意を払わないと一歩たりとも前に進めぬような毎日を過ごしている今だからこそ、
あえて、その人の向こうに、天の意思を感じながら、
天の意に適う行動を追求することこそ大切と教えてくれる。

顧客を創造するとは、天=宇宙を顧客にできるような事業を創造するということかもしれない。
天の意思があるとしたらそれに適うようなサービスとは何か。

人を相手にしながら、その実、その人をも生かしている 大自然を相手にすること。

2011年6月2日木曜日

私の(好きな)言志四録 その2

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言志録 第2条


太上は天を師とし、其の次は人を師とし、其の次は経を師とす。


私が言志四録、また 佐藤一斎翁と引き合わせていただいたのは、師と仰ぐ人とのご縁である。
人は、ことばを発することのない大自然からこそ学ぶべきである。
でも、大自然=天のことばなき言葉を人を介して学ばせていただくこと、
人の書き記し遺した書物、
人から人へと伝えられてきた 聖典・経典や古典からも学ばせていただけることの
なんと有難いことか。

天災からも人災からも、そこから何を汲み取り、学ぶことができるか。
同時代のこの時期に居合わせていることの、
自らの使命、役割に思いを致す。

現在の職場で満三年。
人事も含めた大自然での事上磨錬が今、求められていること。

私の(好きな)言志四録 その1

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私の(好きな)言志四録 その1

言志録 第1条


凡そ天地間の事は、古往今来、陰陽昼夜、日月代わる代わる明らかに、四時錯(たがい)に行(めぐ)り、其の数皆な前に定まれり。
人の富貴貧賤、死生寿殀、利害栄辱、聚参離合に至るまで一定の数に非ざるは莫し。
殊に未だ之れを、前知せざるのみ。
譬えば猶お傀儡の戯の機関已に具れども、而も観る者知らざるがごときなり。
世人其の此の如きを悟らず、以て己の知力恃むに足ると為して終身役役として東に索め西に求め、遂に悴労して以て斃る。
斯れ亦惑えるの甚しきなり。(文化十年五月二十六日録す)

これを運命論ととるべきか、とるべきでないと考える。
人には、(人以外も)それぞれ使命があるのだと、
そこに生を受けている理由があるのだと、
それを見失ってじたばたするでないと、
自らの役割を早く見つけて全うせよと、
受けとめたい。

佐藤一斎先生42歳にこの達観。まさに不惑というところか。
この年にこの「其の数皆な前に定まれり」と喝破する、その境地に迫るべく、
これから 毎日一条ずつ 後を追って参りたい。


2011/05/31 9:00 撮影